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2008年5月30日

『海に帰る日』

海に帰る日ジョン・バンヴィル著『海に帰る日』(新潮クレスト・ブックス)を読んだ。クレスト・ブックスのシリーズは背表紙を見ていると思わず手に取りたくなってしまう不思議さがあって、今までも何冊か読みかけの小説がある。でも、最後まで読み通したのは今回が初めてだ。

少年時代の淡い恋の思い出と、結婚当時の様子と、妻が亡くなる直前のやり取りと、そして現在の出来事。「今」を基軸にしながら、この4つの時代が無秩序に出現して、交錯しながら物語は進んでいく。違う時間がこうまで入り混じっていると、最初何がなんだかわからない。しかし、記憶は時間軸に忠実に呼び起こされはしないので、渾然一体とした話も、「記憶」という観点からは自然な流れなのかもしれない。

最後の最後になって、ある存在が少年時代にも現在にも関係することがはっきりした。そのことがわかったうえで、もう一度読んでみる価値があるような気がする。

読みながら、ずっと風を感じていた。それから悲しげな海を。原文で読んだら、きっと美しい文体なのだろうと思う。

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2008年5月29日

笑顔が見られればそれで満足

ある工場の支出や返済状況について、見直しのための話し合いを何時間にもわたって行なった。現在の稼動実態からすると、動力は契約を一つ減らすことができ、残った分も容量を大幅に下げられる。電話や保険料は半分くらいで収まるし、ちまちました返済をまとめれば、大幅に毎月の返済額は減る。

ここは去年からなんとか黒字なので、数年前としたら楽になっているが、たいへんな時期に借入した分の返済額が大きすぎて、毎月返済に追われているのが現状。大きな借入分を条件変更するのは、経験上あまりいい効果は生まない。元金が大きいと、月々の返済額を減らしてもそれ相応の額になるし、その分期間が延びることで金利の負担増もあるし、精神的にも重荷だ。残債が大きいものは、なるだけどんどん元金が減っていくほうが、財務的にも精神的にも健康的だと思う。

そこに集中するためには、収入を増やすことももちろんだが、他の小口の返済をまずは片付けることが先決だと思う。カードローンなどは、残債の多少にかかわらず、口数の分だけ月の返済額が増える格好になるので、元金の割には負担感が大きい。なので、常套手段としては、小さいものは一まとめにしてしまうこと。そうすれば、額にもよるが、毎月の返済を半分以下にすることも可能だ。

ざっと計算したら、10数万円は毎月の出費を減らせるのではないかということになった。来月いっぱいになんとかそこまで減らすようにもっていくつもり。

人の心配より、わが家の心配をしなければいけないのが本音だが。でも、この数年間の苦闘は、それなりの知識と知恵を植えつけてくれたのだと、他の人にアドバイスしていて感じる。

人生に無駄はないのだ。僕はどんな最悪な経験も自分の血肉として活かしていきたいと思う。経済的な問題、健康の問題、ビジネス上の問題、法的な問題。まわりには、いろんなことで悩み苦しんでいる人がいる。小さな役割でしかないが、その一つひとつの問題を解決し、係わった人々をきちんと喜びの方向へ歩ませていきたい。その人たちの笑顔が見られたら、もうそれで僕の人生は十分なのではないかと最近は思う。

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2008年5月28日

夏の音の気配がする

夜8時ぐらいから2時間ほど寝てしまった。まいったなあ。夜寝れるかしらん。

起きたら、嵐のような雨風はおさまっていた。ひどく雨が降ったあとは、すぐそばを流れる川のせせらぎが打って変わって轟音を立てる。自分の部屋にいると、それは地鳴りのように聞こえる。これから夏の間は、たびたびこの音が迫ってくることになるだろう。

しかし、今パソコンの前に向かっているこの部屋では、まったく川の音がしない。聞こえてくるのは、アマガエルの合唱ばかりだ。梅雨が近いなあ。

こういう自然がつくり出す音色を耳にすると、とても癒される。音はやっぱり夏の夜がいいなあ。真夏はたまらないが、初夏や晩夏がいい。今晩はその気配がする。ちょうどお疲れモードなので心地よい。ああ、時間よこのまま止まってくれ!

考えること多し。ちょっと気の重いことが続いている。でもどうにかして乗り切らなければ。

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2008年5月26日

こんな英語でもいい

Financial Times の記事にリンクしても、登録していないと全文は読めないようになっている。自動ログインしていたので、今までそれを知らなかった。記事の紹介していたのに意味なくてすみません。と言いつつ、これからもリンク貼るつもりですので、興味のある人は登録してみてください。無料です。

さて、下のリンクで、Financial Times のダライ・ラマへのインタビュービデオが公開されている(2部構成。下のほうがpart1)。これはログインしなくても全部見られます。

http://www.ft.com/cms/885d7916-e3aa-11dc-8799-0000779fd2ac.html

ダライ・ラマの英語の壊れ具合はすごいものがある。聞き手の編集長もちょっと困った感じのように見える。でも、これでいいのです。アラファト議長もたしかこんな感じだった。

まあ、"Your Holiness"と呼ばれる人だから、これでいいのかもしれないが。

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2008年5月25日

そばにいる人にもウェブの発信は効果がある

コーネル・キャパが亡くなったという記事を読んで、しまってあった写真集を探した。あったあった、と思って手にしたら、ロバート・キャパだけの写真集だった。あれれ。うーむ、記憶というのはこうも不確かなのです。

とてもこだわりをもって仕事をしている大工さん(ほぼひとりで家を建てる)が、ウェブで自分の取り組みの発信をしたいというので、協力してあげることにした。何度か間接的に打診はあったのだが、「大工さんが何載せるの?」と受けあっていなかった。でも、今日初めてまともに話を聞いて、これはいけるかも、と認識を新たにした。

まず、家というのは、ある意味で作品であるということ。その人がそこに込めている思想やこだわりは発信する価値があると感じた。また、ビジネスとしては、1年に1件でもウェブを通して受注できれば、その額が大きいだけに十分であること。そして、このふたつの要素はお互いにしっかりと結びつくのである。

話をしながら気づいたことがあった。ウェブで発信するときは、いかに検索で上位に引っ掛かるかということを気にして、SEO対策に目が向かいがちだ。しかし、ネットの向こうにいる未知の相手だけでなく、身近の友人や知り合いに対しても、実は大きなインパクトがある。

なぜなら、自分の誇りある仕事について、そこに集大成することができるからだ。口下手な人でも、サイトが代わりに雄弁にすべてを語ってくれるだろう。いつも近くにいながら漠然としか知らなかったその人の結晶を、みんなが確実につかむ場所となるだろう。再認識した彼らは、他の人との語らいの中で新築や増築の話になったら、「家を造りたいなら、こういう奴がいるよ」とそのままサイトを紹介してあげられる。

大工本人にしても、サイトを紹介することは、自分の仕事ぶりと考え方、実績などを知ってもらい、信用して注文してもらうためのもっとも効率のよい営業手段となるだろう。また、家を造る造らないは別にして、周囲の人にサイトを見てもらって、自分の仕事について多くのことを知ってもらっておくことは、長期的に見たら、とても意味がある。そして、サイトは「常にそこにある」ものだから、いつでも情報を得られる。

人間は、近くにいてもあまり相手のことを知らない。たとえば、「ブクログ」のようなサイトがなければ、家族だって僕が何を最近読了したのか知らないだろう。ましてや、どういう感想を持ったのかなんて、いちいち話さないから知る由もない。自分自身だって、読んだ本の題名も中身もそのうち忘れてしまうではないか。

それがウェブでは、情報の集積と整理、統合、発信ができる。デジタルで全てが表現できると言いたいわけではないが、本人が熱心にそして誠実にウェブを使えば、「わたしが何者であるのか」をアピールする絶好の場所となるのである。未知の相手にも、既知の人々にも。

考えてみれば当たり前のことだし、以前ビジネスブログについてまとめた自分の書類を見返しても、そういうことは書いている。にもかかわらず、今日の話は新鮮だった。

だから、やっぱり人間ってのは忘れやすいんだよなあ。

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2008年5月24日

『欲望する脳』を読んで

茂木健一郎さんのブログは毎日のように読んでいる。著書も何冊か読んだ。好き嫌いでいうと、圧倒的に好きな部類に入る知識人である。書かれていることに共感できるものは多い。

最近出版された本では、『脳を活かす勉強法』(PHP研究所)は立ち読みで終わらせたが、『欲望する脳』(集英社新書)は買ってじっくり読む意義がありそうだったので購入した。

しかし、今読了して、僕はあまり感じるものがなかった。孔子の「七十にして心の欲する所に従って、矩を踰えず」という一文をテーマに、欲望について語られているわけだが、もちろん至るところに頷くくだりはあった。ありはしたのだが、仏教の捉え方が小乗教的で、まるで欲望と正反対に位置しているかのごとき見方であったのが、残念だと思う。灰身滅智(けしんめっち)のみが仏教ではなく、法華経にいたっては「煩悩即菩提」という概念が出てくる。その結晶が日蓮の思想のなかに表現されている。

茂木さんはこう述べている。

孔子の「七十従心」が、聖人の中にも立ち上がるよこしまな心を一掃する感情の抗菌作用によって実現されるのではなく、怒りも哀しみも全て引き受ける、人間的な、あまりにも人間的な猥雑な生の中から生まれてくるものならば、泥の栄養をたっぷりと吸い取って咲く蓮の花の美しさは、私たち一人一人にとって親しき心の秘密になるはずだ。(193頁)

僕は、人間は人間臭い営みの中でこそより高みへと到達できるに違いないと思っているので、このセンテンスには全面的に賛同する。しかし、蓮と泥というのが日蓮の好んで使った比喩であるというだけでなく、法華経を貫くテーマでもあると思うだけに、ここへ結論が至るのであれば、著者が煩悩即菩提ということも考察していたらもっと面白かったのではないかと、勝手に残念に思うのである。最終章のまさに最後のパラグラフを読んで、いやまして強くそう思った。

とはいえ、知識と情報に富み、とても考えさせられる内容であることは間違いない。また数年して読み返したら、違った感想が出てくるかもしれないので、そっと本棚で熟成させてみようと思う。

マンデリンの本棚

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2008年5月23日

ワタクシの食習慣

今日はふたつこちらの思い通りに事が運び、金曜の夜をゆっくりと迎えている。ギネスを飲んで、それからワイン。でも、そんなに飲めません。1週間ぶりにアルコールを口にしたら、すぐにふらふらしだした。

酒は、毎日は飲まないようにしている。カフェインも、飲む総量を減らしながら、できるだけ緑茶を中心にして、たとえばコーヒーを起き抜けに飲むことはしないようになった。そのほうが体の調子は良いからだ。

食習慣として他にやっていることは、朝起きて、フルーツを何種類か食べること。一日のなかで口に入れるものとしては、朝の果物がいちばん「気持ちいい」と思える。そして、水を少し飲む。これも体が浄化されるような体感を覚える。朝食はしばらくしてからとる。たまに、昼や夕食前も、思い出したらフルーツを食べる。そしたら生き返った気分になるのだ。食後にフルーツを口にすることはない。

それから、既成のソースやドレッシングなどは、ほとんど使わない。サラダは野菜のみで食べるので、素材がおいしいかどうかよく分かる。マヨネーズを手にするのは、月に1回あるかないかほど。食パンもただ焼くだけで、何もつけずに食べるのが好きになった。よく醤油やソースを食材にまんべんなくつけて食べる人がいるが、僕からしたら、いったい何を味わっているのだろうという感じ。

コンビニの弁当やおにぎり、サンドイッチなどは買わない。缶コーヒーなども選択肢にない。ジュースも飲まない。なるだけファミレスやファーストフードで食事はしたくない。わけの分からん店で下手に外食したくない。間食はあまりしない。夜遅く食べない。ゆっくり食べる、……。

他にもあるが、うんざりされそうなので、このへんにしておきます。こんなんじゃ他の人と一緒に生きていくのは難しいなあ。でも、2年ぐらい前から自分で勉強して、また自分で実践してみて、そうしたほうが気持ちよかったということばかりなのだ(なかには、昔から自然と行なっていることもあるし、コーヒーのようにごく最近の取り組みもある)。

彩りのないつまらない奴だと思われそうだが、僕にとってはこういう食生活に変えてからのほうが食は楽しめている。そうするなかで、たまに違った意味でおいしいものを食べに外へ出るのが、またいいのである。

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2008年5月22日

懐の大きさと多様性に支えられた底力

NHKスペシャル「沸騰都市」第2回はロンドンだった。本放送を見逃してしまい、再放送も完全に忘れていたが、たまたまテレビをつけたら始まるところだったので見ることができた(ドバイの回は最後の数分しか見られなかった)。

「世界の首都を奪還せよ」という刺激的なタイトル。株式市場の盛況ぶりはニューヨークを上回る。ロシア、中国、インドをはじめとした新興国の人材とマネーが、ニューヨークではなくロンドンへ押し寄せている。

以前から、そのコスモポリタンぶりには驚いていたが、今やロンドンの人口の3人に1人は外国人だという。考えてみよ、東京の3分の1が外国人という状況になった場合、私たちはそれに耐えられるだろうか? というか、そんな事態に至るまで、思い切った開放政策を支持し続けられるだろうか?

最近、保守党の候補がロンドン市長選を制したあたりを見ると、さすがにロンドンも我慢の限界に来ているのかもしれないが、移民に対して他のEU諸国と比べてとてもオープンであることが、ロンドンひいてはイギリスの経済力を支えてきた一面は否定できないだろう。

ロンドンが今後どうなるのかは誰もわからない。しかし、その懐の大きさと途方もない多様性に支えられた底力は、見渡す限り日本人だらけのこの国に住む僕たちには、とても想像がつかないぐらい強味だろう。

ひとたびは祖国を追われ刑事訴追もされているタイのタクシン元首相が、マンチェスター・シティのオーナーであるというのがいい例で、そんなことは日本ではあり得ない。彼自身も番組のインタビューで、「こんな私を受け入れてくれてとても感謝している」と発言していた。それは本心だろうと思う。

さて、今日のFinancial Timesに載っていた記事を紹介しておきます。

Europe is a geopolitical dwarf

この記事の言わんとすることも、よく考えると、ロンドンの話とつながっている気はする。

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2008年5月21日

BusinessWeekの記事から

時々、姉の新聞記事の取材に付き合わなければいけない。あんまり大きな声では言えないが、いつも僕が原稿に筆を入れて納得したあとに出稿する。だから、満足できず再度取材というときは一緒に行く羽目になるのだ。←小声で言ったつもりなり。

今回の取材先はある麺関係のお店。いわゆるB級グルメだが、食べてみたらたしかに安くてうまい。それはいいのだが、掲載する写真でご主人の顔があまりにも冴えなかったので、これはないだろう、ということで再度撮りに行った。

地元の金融機関が主宰するビジネスクラブの経営セミナーに呼ばれていたので、他の社長も誘って参加。今後の企業経営のあり方について講演があった。

講師の方は、経営戦略とそのもとでの中期経営計画をしっかり練ることの必要性について諄々と説いたのだが、本人も認めるように、それはしごく当然の指摘である。しかし実際はそれができてない経営者が多いと。

具体的には、計画上の数字は出されていても、そこに根拠がないとか、実績の数字どうしが有機的に結び付けられておらず、しっかり分析されていないとか。「営業を科学する」という言葉が、とても気に入った。

メルマガ登録している「日経ビジネスオンライン」には、アメリカのBusinessWeekからの記事も掲載されていて、とても読みごたえがある。今日届いた内容から、ネット広告に関するグーグルとマイクロソフトの争いについて。

グーグルに牙をむき始めたマイクロソフト  ネット広告大戦争、“広告効果”をめぐるハイテク対決へ

なんでもそうだが、一人勝ちする環境というのは、価格の問題やサービスの質など、いろんな意味で良くない。この分野に関しては、追いかけるマイクロソフト(もしくは他の企業)に頑張ってほしいという気持ちになる。

これとは違った競争だが、Macがふつうの職場にもじわじわと浸透しつつあるという記事がちょっと前にあった。

アップル、法人市場への本格参入はあるか?  iPodとiPhone人気に乗じて、Macintoshが職場に浸透中

マックの拡がり方が底辺からなので、その分力強い流れになる可能性がある。僕もここのところ、次はマックを買おうかと考えている。

そもそも、人生で初めてまともに触れたコンピュータはマッキントッシュだった!(たった今思い出した) フラットで一緒だったケンブリッジの数学専攻の学生が持っていて、それを使わせてもらっていた。

ああ今すぐにでも欲しくなる。でも我慢がまん。今日の話じゃないけど、計画を立てて、それがうまくいって、余裕ができてからしか買えん。っていったいいつなのだあ?

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2008年5月20日

すべてに美しさが宿る

僕が勝手に B road (イギリスの高速や幹線以外のふつうの道路)と呼んでいる田舎道が隣町の外れにある。夜は街灯も家の明かりもなく、自分の車のライト以外、そこは闇に包まれている。

今晩その道を走っていた。上りながら大きくカーブを切ると、前方に突然、まん丸のお月様が現れる。それはとても神々しく慎ましい柔らかな光だった。後ろから車は来ていなかったので、道の真ん中でブレーキを踏んで、そのままそこでちょっとばかり眺めていた。

雨もいいが、こんな月は晴れた日の夜にしかお目にかかれない。すべてに美しさが宿り、すべてに意義があるのだと思う。

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2008年5月19日

どこかに同じ時間があった

朝から夕方までずっと雨。朝は一時かなり激しく降った。

いつからか雨がとても好きになった。太陽が似合うのは格好いいが、雨がしっくりくる大人も味わい深くていいのではないだろうか。

雨が上がったあと、外へ出て大きく息を吸った。まだ暗闇を迎えていない夜、凛として気持ちのいい空気、すでに人々が帰り静寂にひたっているあたりの建物と道路。ずっと昔、どこかにもこれと同じ時間があった。どこだったろうか、誰がいたのだったか、思い出せない。

ひとつ懸案事項が進展。

人生はどうせ最後はどうなるか決まっているのだから、できる限り清々しく生きていきたいと思う。そういうことを考えていると、出家するという人の気持ちも理解できる気がしてきた。それはそれで、ひとつの立派な今世の選択であろうと思う。

僕はというと、俗世間で行き続けていこうと今は思っている。生と死というものを透徹した目で眺められる不動の人間になりたいと願いつつも、人間臭い下界であたふたしながら、ああなんと人間とは難しいものか、と苦笑しながら生きていきたい。あっちこっちぶつかりながら、少しずつでいいから高みへと至る道を進んでいけたらいいかなと思う。

心さえ澄んでいれば、これから起こるいちいちの出来事がみんな楽しみへと変わり、成長の糧に前進のエネルギーになるだろうと思う。

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2008年5月18日

ラジオに集中してしまう

夜ソファで横になって本を読んでいたら、そのまま2時間ほど眠ってしまった。いつも思うことだが、寝ようと思っていないのに寝てしまうと、目が覚めたときに爽快感がない。逆に、頭が重かったり、背中に疲れを感じたりする。単に時間的な問題だろうか。

昨日は楽しくセミナーで話ができた。終了後、主宰の人とお茶をする。充実した話し合いになった。夜は、借りていたCDを返しに行くついでに、高校生と双子の小学生の姪たちを書店へ連れて行く。1冊ずつ本を買ってあげる。

今、これを書きながら、BBCのRadio4をライブで聴いている。ここはよくラジオドラマをやっていて、ちょうど今もそうだ。映像がない分、想像たくましくできて面白い。でも、英語に耳を傾けながら、一方でなにか作業をしつつ、ちゃんと英語を理解するのは、いまだになかなか難しい。すぐに動きが止まって、聴くほうに集中してしまう。

ということで、書くのはここで終わりにします。

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2008年5月16日

みなが弱さや醜さを持ち合わせている

昨日から、いろいろな話し合いであっちこっちへ。仕事上でらちが明かなかった問題が、新しい業者を引っ張り出してきて少し前進。解決の糸口が見出せなかったいくつかの財務問題も、ひとつ大きく動き出した。肩の荷が少し軽くなった感じ。

今晩は、明日話す内容をまとめている。前回と同じでいいんだけど、わかりやすく面白く話すことに徹するため、努力ばしておりますたい。

といっても、金曜の夜に机に向かっているのは辛いもので、ビールを飲みチーズをつまんで、smooth jazz のラジオを聴きながら、ゆっくりと進めている。

僕は、加護亜依にはエールを送るなあ。別にもともと全然ファンではないけど、こうやって復帰してくるにはものすごい精神の力が必要だと思うから。もう一度落とそうとする愚かな一部マスコミに負けず、そして自分自身の弱さに負けず、澄んだ気持ちで頑張ってほしい。

人間はみんな心のなかに、弱さや醜さを持ち合わせている。だから、彼女の姿をせせら笑うような人間がいたとしたら、それは自分に対して盲目なだけなんだと思う。

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2008年5月14日

僕がどうにかしますよ

タウンページへの広告依頼があり、受けることにした。電話を掛けてきた女性の対応がとても気持ちよく、声も良かったから。ああ、いつもこんなことが判断基準でいかんなあ。

でも、いちばん安い1行のものを。2007年版で確かめたら、うちが載っているページはそれでも十分そうだったので。安すぎてびっくりしている。一人来てくれれば、半年分の元が取れてしまうではないか。17字に凝縮すべく、あれこれと頭をひねる。

金融機関へ行き、懸案事項について話し合い。というか、そのつもりで行ったら、それは後回しで、面白い企業マッチングの話を紹介してくれた。いくつか決め事もした。いつも寛大でありがたい。

途中で、支店長が理事の人を連れてきた。審査管理部の担当だったので、チクチク言われるかと思って、すぐに、ご迷惑おかけしております、と頭を下げたら、お母様やお兄様を存じ上げております、よろしくお伝えください、とのこと。家に帰って当人たちに尋ねたら、ええっとどの人かな、と頼りない返事。まあ、この家は僕がどうにかしますよ。

まずは草むしりだ!、ということで、もう暗くなりかけてから子どもたちに号令をかけ、家の前の駐車スペースの塀に沿って生える雑草を刈った。なぜか母は反対側の草を取っている。そこはうちの土地じゃなくて市の持ちものだから、と僕が言うと、でもみんなうちの敷地だと思っているから、伸ばし放題だとだらしなく思われる、と母。

なるほど、一理あり。ならばいっそうのこと、その先の土地も含めて全部買いたいよ。 

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2008年5月13日

主張に満ちた経済史

戦後日本経済史野口悠紀雄著『戦後日本経済史』(新潮選書、2008年)は、そのなんの色気もないタイトルから想像する淡々とした歴史の記述からは、かなりかけ離れた内容である。主張に満ちた、ときに激しい怒りや嘆きさえぶつけられている、面白い読み物だった。

野口さんの本かあ、というだけで深い理由もなく手に取ってみたのだが、「経済史」と名のつくものを初めて読んだ気がする。しかし、おそらく多くの出来事がこの本では割愛されているのだろうと思う。というより、著者は戦後日本の経済史を網羅しようということに価値を置いていない(そんなものはほかにもいくらでもある)。

この本を貫いているのは、戦時中に端を発する経済体制が今でも維持されているということ。その変わらぬ体制に関する歴史に焦点が当てられているわけだ。金融機関に依存した資金調達のやり方、株主の影響を受けず内部の論理で動く経営、外国資本をことさら排除しようとする国の方針、土地本位に動く経済、……。戦時経済体制を維持したことで、バブルへと向かう過程では歯止めがきかず、バブル崩壊後も新しく生まれ変わることができなかった。

野口氏の主張に対しては官僚機構を中心に異論がありそうだが、意識のある国民の多くは、大きくこの国は変わらなければいけないのに、政治ではいつも同じようなごたごたが続くだけで、なんら国の仕組みは変わりそうもない、と感じているのではないだろうか(たとえ、それが漠然としたものであったとしても)。それがなぜか、ということを、この本はいくらか語っているのだと思う。

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2008年5月12日

今どき、医者が絶対、だなんて

久留米へ。アトピー性皮膚炎のお子さんを持つ方のところで話をする。

何度も見聞きしてきた状況がここにもあった。それは、お母さんは出産をするごとに、自分のアレルギー症状が弱まり元気になってきているということ。そのぶん、子どもに症状が出る。さい帯や母乳を通じて、引き継がれているものがあるのだろうと思うが、定かではない。

病院の対応がどうしようもないことを嘆いたり憤っている人は多い。適当に薬出して終わり、それが効かないと他のやつを出すとか、ろくに診断できないとか、平気で治りませんよと言ったりとか、西洋医学が全てのような浅はかな見方しかできないとか。今日の方もそうだった。

僕のように、よほどの医者じゃない限りまったく信用していない人間からすると、医者なんてそんなもんだよ、という感じなんですけどねえ(最新技術を積極的に取り入れたり、素晴らしい外科手術ができる先生、からだを全体として見て治療を考える先生、研究熱心な先生などは例外)。

逆に、医者の言うことが絶対、という人もいまだにちらほらいて、たまにびっくりする。医者は大事だし、薬も必要だけど、彼らが知っていることはごくわずかに過ぎないのであって、それを金科玉条のごとく信奉していては、かえって病気になるリスクが高くなる。一人ひとりが賢くなろう。それが、この国の医療費問題を解決していくための根本であると思う。

政治は政治家まかせではいけないし、健康も医者まかせではいけない。

野口悠紀雄著『戦後日本経済史』(新潮選書)をほぼ読了。

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2008年5月11日

本棚の記事アップ

マンデリンの本棚に、『奪われし未来』をアップ。

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2008年5月10日

パブで飲むギネスっぽい

昨日は結局、生活習慣病にとって「太らない」ということがいかに端的な予防の目安になるか、なぜ太るとなかなかやせることがきないのか、ということについて、糖質や脂質の代謝の観点から話した。楽しくやり取りをしながらできたので満足。

帰り、ローソンでギネスが専用グラス付きで売ってたので、いいねぇと思ってよく見ずに買ったら、なんとなんと、思い描いていたパブで出てくる定番のグラスではなかった。いや、形はギネスのそれだったが、デザインは「オリジナル」だから、もちろん違う。

まあ、それはよし。そんなことより、この缶のドラフト・ギネスは、かなりうまい! パブで飲むような味に近いと思うんだが、どうだろう。注いだ後グラスの中が下からだんだん黒くなっていく様や、飲み干した後にクリームの泡が残る感じが、それらしいではないか。

本屋で『食い逃げされてもバイトは雇うな 禁じられた数字(上)』と『「食い逃げされてもバイトは雇うな」なんて大間違い 禁じられた数字(下)』(光文社新書)を、一気に読了。つまり、立ち読みして、買いませんでした。著者の方のご苦労を思いつつも……。

読後のコメントは、ブクログ「マンデリンの本棚」に短く書いてあるので、そちらをどうぞ。

梅田望夫さんのブログに「中央公論」から転載されたご本人の記事「グーグルに淘汰されない知的生産術」がアップされている。情報の整理について最近よく考えるので参考になった。よかったら、ご一読を。このことについては、またあらためて書こうと思う。

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2008年5月 8日

もうちょっとひねったカップをください

朝、佐世保まで出かけて、ビジネスの橋渡しをしていた当事者どうしを会わせた。すんなり話が進むものと思っていたら、国からの補助金を交付してもらう関係で、いろいろ面倒なことがあり、持ち帰って検討ということになった。

国はなんでもっと自由に資金を使わせないのだろうか。「自分たちはいい加減にお金使っているくせに、私らにはとっても厳しいチェックが入るんだから」と苦笑する担当の専務。

お昼、誘われてランチをいただく。有田まで足を延ばしたのだが、前々から行ってみたいなと思っていたお店だった。有田焼のコーヒーカップがずらりと並ぶ。食後のコーヒーをカップおまかせで頼んだら、モダンな白で柄の入ってないすっきりとした茶碗が出てきた。

うーん、もうちょっとなんかひねったやつが欲しかったなあ。そんなイメージかね? ゼンゼン、チガイマスカラー!

昨日から、NHKラジオの「まいにちフランス語」を聴き始めた。肩に力入れず、楽しむことにしている。10年ぐらいしたらパリが似合うしぶ~い男になるのだ、と幻想に浸りながら。

さてさて、明日2時間話をしなければいけないのだが、まだほとんど何も内容が決まっていない。どうもそこへ集中が向かわないのだ。でも、今晩は背水の陣で考えないといけない。紅茶でも飲みながら始めるか。

なんだか、試験前夜の学生気分。ああ、こんな日に限って、珍しくとても体がだるい。

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2008年5月 7日

風格の違い

中国の指導者を見るたびに、日本の政治指導者に欠けているものを強く感じる。

それは「風格」。政治体制の違い、国民気質の違い、エリート育成の仕方の違い、もっと基本的なところで言えば民族的な体のつくりの違いなどがあるだろうが、それでも、首相をはじめ日本の政府首脳陣は、もうちょっとどうにかならないだろうか。重みがない。

今日のお昼の記者会見を少しだけ見たが、ビシッとしている胡主席に比べて、福田さんのフラフラして落ち着かない態度は、なんとも頼りなげに映った。

民主主義においては、政治家然とした雰囲気は、かえって印象が良くないのかもしれない。親しみをもたれる、庶民と近い、といった要素が、求心力向上のためには大切かもしれない。

しかし、それと風格とが相反するとも思えない。政治家のリーダーシップのなさが嘆かれて久しいが、色心不二で、それが見た目にも表れているんじゃないだろうか。

(それでも、どちらの政治体制を選ぶかと問われれば、間髪入れずに「日本」と答えるけど。)

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2008年5月 6日

鯉やら鯛やら

最近知り合いになったおば様と、これから先のビジネスについて少々話をする。この人、月収ウン百万と稼いでいながら、将来が不安なのだという。あちゃー。いろいろ悩みの要素はあるよなあ。僕なんか、そんだけの金があったら、目下の問題はとりあえず全部クリアできて、楽になるというのに……。トホホ。

長崎県には、端午の節句に鯉菓子という生菓子をつくる習慣があるらしく、姉が旦那さんの実家からどーんとふたつ、緑と黄色の鮮やかな(そして甘そうな)鯉をかたどった菓子を持ち帰ってきた。あっ、その見た目のつややかさたるや、写真を撮って見せられればよかったけど、ときすでに遅し。ずたずたに解体されて、皆さんに食べられてしまいました。甘いのは甘いんだけど、濃く出したお茶とよく合う。ちなみに長崎では、桃の節句には桃の形と色をした桃カステラなるものが出される。

釣りたての大きな鯛をいただく。目のまわりに執着心を抱いているのは、わが家では僕といちばん下の双子の片割れだけ。彼女が目ん玉を食うというので、僕がまわりを食らった。鯛のお吸い物が、とても味わい深い。

施設で暮らす姪のところへ2週間ぶりに顔を出す。背中をゆっくりとさすってあげると、喜んでくれた。言葉は出ないけど、どんなに巧みに話す人よりも、彼女の笑顔のほうが、僕を美しい心へ引き戻してくれる。今日はいつにもまして別れがたかった。

すべきことは結局あんまり進まなかった。でもまあいい。明日は明日の風が吹くさ。

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2008年5月 5日

強烈な欲求がシルクロードをつくった

朝も午後も来客で、あっという間に夕方になる。母はしきりに、今年の新茶はおいしくない、とこぼしていた。おっしゃるとおりであります。

近くのおばさんが、家に生ったさくらんぼのちぎったばかりのを持ってきてくれた。かわいい大きさで、おいしゅうございます。

シルクロードのことを考える。あの過酷な何千キロという道のりを歩いて、長安へローマへ、はたまたその他もろもろの土地へ人々を突き動かしたものはなんだっただろうか。

それは、商売であれ思想・文化・宗教であれ、強烈な欲求だ。おそらく、その度合いは僕らには想像がつかない。だって、生きて帰ってこられるかどうか定かではないのだから。オアシスの街を繁栄させた人々も、隊商を襲った盗賊たちも、また欲求に基づいていた。命を賭してもというあくなき商売心や求道心が自然とシルクロードをつくっていった。

歴史をつくってきたのは、良かれ悪しかれ欲望に突き動かされた人間たちである、名前を残そうが残すまいが、そうした人間たちの営みのなかにある。今僕たちは、果たして何かに激しく揺り動かされているだろうか。

西域南道や天山南路を歩きながら、どこまでも続くタクラマカンを眺めながら、人々の心に去来したもの。死ぬまでに一度は、ほんの少しの距離でもいいから、この足で歩きながら、そのことに思いを馳せてみたい。

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2008年5月 4日

すっきりしないのは

庭のツツジがピンクと白の入り混じったきれいな大ぶりの花を咲かせている。不格好に外に伸びている枝葉を少し切ってあげたら、さらに見た目が美しくなった。ほのかな良い香りが漂ってもいる。何匹かミツバチが元気にブンブン飛び回っていた。

数日前にもらった、いろんな種類の明太子。長持ちしないので毎食食べていたら、なんだかおなかの調子がすぐれなくなり、今日はもう手をつける気がしなかった。しばらくは食べなくてよさそう。

姿勢、下半身の筋肉、歯の状態、食事など、いくつかの点について健康のアドバイスをする。

この連休中にしなければならないことがいくつかあるが、どうも進まない。でも、すっきりしないながら、セミナーのために勉強や読書はおこなった。シーア・コルボーン他『奪われし未来』を読む。環境ホルモンが一躍世界中で知られるきっかけになった本。状況はこの出版時より悪化しているだろうことを思うと、big sigh。人間はいったい何をしたいのだろうか。地球を道連れにした自滅か?

あっ、もしかして、この本を昨日から読んでいて、それで心が落ち着かず、考えがまとまらず、すっきりしないのかもしれない。

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2008年5月 2日

本当に無責任なのは誰?

揮発油税などの暫定税率再可決を受け、福田首相は「歳入不足が継続する無責任な状態を解消する必要があると判断した」と述べた。

いかにも地方のことを考えているかのような発言だが、よく考えてもみよ、暫定と言いながら30年にもわたってズルズルと当たり前のように税金を取ってきた悪の元凶は誰か。自分たち自民党ではないのか。長く続けてきたから、それが当然のシステムになってしまって、いざなくなると慌ててしまう。無責任と言うのなら、自分たち国会議員なかんずく自民党で長く議員を続けている人たちに言ったらどうなのだろうか。

何の問題をとってもそう。肝心なところに何の反省もなく、何のメスも入れられず、それでいて、いかにも国民のことを考え、大事を成しているかのような態度。そして、無駄な金が使われていく。アホくさいなあ。

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2008年5月 1日

ようやく新茶の季節

今年は新茶ができるのが遅かった。

わが家が長らく愛飲している嬉野茶の製茶店があるのだが、先週行ったときはまだ出ていなくて、今週になってようやく出始めた。

いろんなところのお茶に浮気してみたが、小さい頃から親しんでいるせいか、結局はここの店へ戻ってきてしまう。腐れ縁の夫婦のようなものか? いや、実際においしいし、色も美しい。そして、まろやかな感触。これがたまらなく好きだ。

でも、新茶ってのは新茶っていうことに意味があるだけで、実際は若くて青臭く、まだまだっていう感じ。番茶のほうが落ち着いてますよ。昨日買いに行ったときも、手が出たのはやっぱり番茶だった。もちろん新茶もいただき、ついでに嬉野茶の紅茶も買ったけど。

人を連れて、近くの山へ行った。姪が詠んだ短歌の歌碑を見たいというので。ツツジはもうきれいな時期は過ぎていた。こちらは例年より早かったなあ。

今日は朝から良い話が舞い込んできた。この1ヶ月が実り多きものでありますように。なむ。

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