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2008年4月28日

追われる日々に憐れみの言葉を

漱石は「現代日本の開化」のなかで、興味深いことを言っている。

開化が進めば生活が楽になるかどうか、という問いを立てて、次のように言う。

打ち明けて申せば御互の生活は甚だ苦しい。昔の人に対して一歩も譲らざる苦痛の下に生活しているのだという自覚が御互にある。否開化が進めば進むほど競争が益(ますます)激しくなって生活はいよいよ困難になるような気がする。(『漱石文明論集』、22頁)

時代は違えど、今の私たちの生活に照らして、この言葉に深くうなずく人は多かろう。社会に出ている人で、10年前よりゆっくり過ごせている、仕事の量が減った、いろんなことに追われていない、という人はまずいないと思う。

それがなぜかというのは語るべくもないことだが、パソコン、ソフトウェア、メール、ネット、携帯電話、こういったIT技術の爆発的な普及と進化により、ものごとを進めるのが格段に便利になり、あらゆることに対して時間の短縮が可能になり、そして明らかに僕らは忙しくなった。適当な言い訳のできる「間」が設けられなくなってしまった。

常に忙しく、常に連絡がついてしまう。休みの日に、思い切って携帯の電源を切って過ごすぐらいの勇気がなければ、オフの日であっても身の回りの人たちから追われてしまう(逆に、切ることで置いてけぼりをくう不安のほうが強い?)。そんな生活をしていては、それこそ神経衰弱になってしまうだろう。ずっと交感神経が高ぶっているような生活では、自律神経がいかれてしまうではないか。

かといって、この時代の流れに長く逆らって、実生活上で得することもない。では、どうしたらいいのだろうか? その答えを今持ち合わせているわけではないが、そういう問題意識を持ち続けていくしかない。

「俺はこんなものに振り回されてなんかいないぞ! 楽しんでいるんだ!」と自らに憐れみの言葉(?)を投げかけよう!

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