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2008年4月23日

ネットの時代とアダム・スミス

『ウェブ時代をゆく』を読んでから、気になって、もう一度 Thomas L. Friedman "The World is Flat" を読み返している。

でも、今日は朝っぱらからセミナーで話をして、その後もずっと追われていたので、まだ1ページも進めていない。

現代世界がネットやソフトウェアなどの発達によってフラットになったということに、フリードマンは興奮するとともに不安も感じている。アルカイーダのような怒りや不満をもった勢力にもものすごい力を与えることになると。

聖火リレーをめぐってメールや掲示板などを通じて行われている、カルフールの不買運動や世界中の中国人留学生などの動きを見ていると、基本的に「個」を empower する道具であるはずのコンピュータやネットが、国民や民族といった「集団」の結集と暴発に極めて便利な手段であることも教えてくれる。

しかし、ネットの時代のさらに大きな要素は、そういう動きのいちいちが、やはり白日の下にさらされて、全世界に知られてしまうということだろう。だから、やがて、落ち着くところに落ち着いていくように修正されていくのだろうと思う。ふつうの市民の活動である限り。

ネットを中心とした世の中の動きというのは、アダム・スミスの「神の見えざる手」にどこか似ているのかもしれないと、ふと思った。

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