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2008年1月 7日

個人主義と寂しさ

夜明け前、外は霧がかかっていた。夜中は雨が降っていたようだ。冷気が漂う朝は凛として気持ちいい。川辺を歩きながら何度も、大きく息を吸い、そして吐いた。

庭では、寒椿が鮮やかな色で咲いていた。何ゆえに、こんな寒い季節に花を咲かせるのだろうか。冬の花の美しさは痛々しく、それだけに趣きがある。

漱石の「私の個人主義」を読み返す。自分の講演を聞くなんて「目黒のさんま」を味わうようなものだ、とおどけてみせるところが漱石らしい。果たして、学習院の学生から笑いは取れたのかしらん。

中身は、今でも学ぶことの多い内容だ。個人主義に伴うバランス感覚、彼の論に出てくるのは自分と他人、権利と義務、特権と責任、個人と国家という対立軸だが、どの関係を取ってもバランスよく思考し行動できる感覚を持っていなければ、真に個人主義とはならない。そして、この感覚を養うために倫理的な修練が大事である、とする。

突き詰めていくと、個人主義はストイックなものにならざるを得ないように思う。自由の放縦ではなく、国家主義のように大上段に構えるものでもなく、誰かと徒党を組むでもなく。漱石は、個人主義はときに寂しいものである、と言う。然り。イギリス人に流れている雰囲気がまさにそうではないか、と思った。陰鬱なロンドンの空を眺めながら、漱石ははっきりとイギリスの精神を掴んでいたのかもしれない。

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