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2008年1月20日

鏡に映っているのは自分たちだ、『アメリカの鏡・日本』

一日中、霧雨が降る。まわりの山々が神々しいまでに煙っている。

ずっと前から知人に紹介されていたヘレン・ミアーズ著『アメリカの鏡・日本』(メディアファクトリー、1995)を読んだ。抄訳の新書はあるが、全訳本はどこにも売ってなくて、原書も絶版で手に入らなくて、もう忘れかけていた。それが、何気なく初めて行った地元の小さな図書館にあったのだ。

これほどまでに冷静で客観的に、日本が戦争へ向かわなければならなかった原因と、西洋列強なかんずくアメリカの欺瞞について語りつくした本を他に知らない。1948年という戦後すぐの時点で、当のアメリカ人がよくぞここまでものごとを澄んだ目で見られたものだと驚きと感動でいっぱいだった。400ページを超える本だったが、寝ずに一気に読んだ。

マッカーサーは、この翻訳本を日本で出版させなかった。もちろんである。西洋の「近代」「民主主義」「解放」、こういう聞こえのいい言葉がはらむ二面性、嘘、利己主義、そういった諸々の触れてほしくない西洋列強の後ろめたさを、この本は見事なまでに暴露しているのだから。

歴史に矛盾はつきものであり、強者の論理がまかり通るのが国際関係だ。アジアの近代はとくにそれを象徴している。読んでいて、悲しみさえ感じた。

先生である列強にとって、日本は「近代化」「西洋化」の最優秀の生徒であった。日本がアジアにおいておこなってきたことは全部、先生たちの教えどおりであった。しかし、それをやりすぎたがために懲罰を受けることになった。先生たちは同じことをやっていても何も咎められなかったのに。ミアーズは、この矛盾を事細かに指摘している。

日本の行為は西洋列強にとって「鏡」だった。そこに映っているのは、西洋そのものだ。そのことを冷静に見直さない限り、アメリカは間違いを続けるだけなのだ。そして、間違いを続けていることは、その後の歴史が物語っている。たとえ今この本を読んだとしても、アメリカ人もイギリス人も共感しようとはしないだろう。激怒するかもしれない。自分たちの非を認めたいとは、誰しも思わないものだ。もちろん、日本だって自分たちの戦前・戦中の行為を免責されるものではないが。

歴史を客観的に見つめなおすという作業は、きっと何世紀か経たあとでなければできないのだろうと思う。

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