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2007年12月31日

impossible から inevitable へ

今日はもう一回投稿。

国際関係論の権威あるジャーナルのひとつ International Security の最新号をダウンロードした。最初のふたつの論文を読む。なぜかというと、ただ単にちょっと難しめの英語を思いっきり読みたかったから。論文だから長くて読みごたえがある。

ひとつは、第二次大戦後、超党派が伝統だったアメリカ外交が、冷戦後は党派的になってきているという話。もうひとつは、2004年のウクライナのオレンジ革命における外国の影響について。前者は面白く読んだが、後者は theoretical なことを最初にうたっていながら、結局は description でしかなかったのががっかり。

でも、後者の論文の中に、味わいのあるセンテンスがあった。

"In retrospect, all revolutions seem inevitable. Beforehand, all revolutions seem impossible."(振り返ってみれば、すべての革命は必然であったように思える。しかし、起こる前には、どんな革命でも不可能にみえるものだ。)

人生も然り。何かへの挑戦、何かの目標、それらはすべて、一人ひとりにとっての小さな革命だ。

では、impossible と inevitable を結ぶものは何か。意志? 努力? 忍耐? 根性? どんな表現でもいいが、つまるところ精神の力だ。

強靭な精神力を作り上げていくこと。来年は、そういう鍛えを自分に課していこうと思う。

ちょうど、紅白で和田アキ子が「あの鐘を鳴らすのはあなた」を歌っている。いつ聴いてもいい歌だなと思う。希望の匂いはするか。鐘を鳴らすのだ。そうだ、僕はずっとそんな人間になりたかったのだ。

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食材がたくさん

大晦日になってしまった。年末はいつもいろんな食材が自然と集まってくる。

脂ののったブリが届いた。刺身やブリ大根で食べている。ちょうど大根も取れたての絶品をお裾分けしてもらった。和食っていいなと思わせる組み合わせだ。ブリはでかいので、食べても食べても、なかなか終わらない。元日の魚もブリであることは間違いない。思えば小さい頃から、正月といえば、いつもブリだった。自分たちが食べるのはもちろんだが、お歳暮として寒ブリを1匹ずつ配っていた時期もある。

それから、れんこん。産地である佐賀・福富から、泥の付いたれんこんが届いた。この辺りでは、専用の細長い箱に入れられて、よくお歳暮として渡される。泥まみれの見た目は全然美しくないが、それがこのうえなくおいしいだろうことは、洗ってみればすぐ分かる。絶対にスーパーなどには並ばない代物だ。切れば、やはり糸の引き具合が素晴らしかった。鶏肉と一緒に煮込んだりして食う。これもやはりまだ終わらない。

親戚がいつものように今年のもち米をくれたので、いつものように28日に餅をついた(らしい)。らしいというのは、僕はいなかったから。でも、毎年この日は餅つきの日と決まっている。出来上がったすぐのゆるくて熱い餅を、ゆずを入れたごま醤油につけて食べるのがいちばんおいしいのだが、その場にいなかった僕はできなかった。でも、ぜんざいやきな粉餅は、昨日も今日も食べている。

餅は買うと高い。店に行って値段を見てびっくりするが、もっと驚くのが干し柿。正月には需要があるから仕方ないのだろうが、ぼったくりじゃないかと思うぐらいだ。わが家の今年の干し柿はなかなか上手にできた。きれいに粉をふいてほどよく柔らかいものは、「ちょっと試食」と言いながら大方食べてしまった。正月に残っているものは、きっと不恰好なものばかりだろう。

その他、みかん農家からみかん、お茶の製造元からお茶、牧場から牛肉など、それぞれ間違いない味をプレゼントされた。考えてみれば、周辺地域にはいろんな特産物があるのだ。田舎暮らし、ありがたや。

でも、消えた特産物もある。たとえば、有明海のタイラギ。小さい頃、貝柱といえば、タイラギの貝柱だった。帆立なんぞは知りもしなかった。正月は、ストーブの上でタイラギの貝柱に醤油をかけて焼いて食べるのが、最高にシンプルな贅沢だった。しかし今、タイラギを目にすることはほとんどない。言われてるような諫早湾の堰き止めが、本当に直接的な原因かどうかは分からない。しかし、どっちみち人為的なものであるのは間違いないだろう。それは誰か特定の人たちの責任というのではなく、一人ひとりの生活排水への無関心と結びついていると思う。ちなみに、僕が物心ついたときには、すでにムツゴロウは貴重な食材だった。

さてさて、「もう掃除しなくてもいいじゃん、ゆっくりしよう」と怠けたことを言って、おせち料理をつまみ食いしながら、ゆっくり最後の一日を過ごそうと思う。今日は雪が降るらしい。

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2007年12月25日

からだは「流れ」でしかない

最近読んだ本のなかで深い感動を覚えたのは、福岡伸一著『生物と無生物とのあいだ』(講談社現代新書)である。

一般向けに書かれてはいるとはいえ、内容はそれなりに難しい。にもかかわらずベストセラーになっているのは、ひとえに著者の構成力と筆力と文体によるものだと思う。細胞の話であり、分子生物学(でいいのかな?)の歴史であり、福岡氏個人の研究の話でもあり、そして根底には深い哲学的問いが貫いている。科学の本でありながら、叙情に富んでいて、まるで良質の小説かエッセイを読んだ後のような、じわりと心に染み入るものがあった。

からだというものが結局は「流れ」であること、からだは常に破壊されながら秩序を保っていること、そこに絶妙な動的な平衡状態が存在すること、そのダイナミズムの前に私たちは跪くしかないこと。福岡さんの語るこうした内容は、まるで仏典のようでもある。しかし、そう感じるのは、おそらく彼が、生命のあり様を鋭く捉えているからだろうと思う。読み進めながら、僕の心はずっと共鳴していた。

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2007年12月21日

ひとつの区切りを迎えて

ご無沙汰です。いやあ、長く書かなかったなあ。

このまま年を越してしまうと締まりがないので、とりあえず再開しようと、ここ数日考えていた。どうなろうが、それで影響を受ける人はひとりとしていないが、まあ僕の気持ちの問題としてね。

今まで書かなかった理由がちゃんとあるのだが、ここで説明すると愚痴になってしまうので、それはやめておく(本当は一度書いたけど、アホらしくなって消した)。

今年中にケリをつけたかった家族や兄の事業の諸問題は、弁護士、税理士、銀行のおかげで、それぞれひとつの区切りを迎えそうである。別にこれで完全に実家から解放されるわけではないし、いよいよ現実的に厳しい局面を来年初頭から迎えるので、軌道に乗るまではまだまだ時間はかかると思うが、少しホッとしている。

東京の友人は「もうこれで東京に来ていいんじゃないのか」と言っているし、僕もそうしたいところだが、事情はそう簡単ではない。まだ半年ぐらいは本気になってマイナス面の処理に尽力しないと、ここを離れられそうもない。

でも、どんな状況でも僕はミクロな楽しみを見出して生きているので、皆さんご安心を。それに、プラス面の仕事のほうはこのうえなく面白い。

薬害C型肝炎訴訟のことで書きたいことがあるが、また明日以降にします。

外は久しぶりに、長い時間しとしとと雨が降っている。雨の夜は、まったくの静寂よりも落ち着くし、時間の流れを遅く感じる。

手元には出たばかりの『宮本輝全短編』下巻がある。こんな夜には、宮本文学のような、ストレートに美しい人間の業の物語がよく似合う。少しばかり読んでから眠りにつこうと思う。

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