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2007年9月28日

冬瓜って

もう9月も終わるというのに、まだまだ暑くて、昼間は半袖で過ごしている。秋はほとんどなく通り過ぎて、いきなり冬になっちゃうんだろうな。

この夏も、野菜をはじめとして、いろいろとお裾分けしてもらった。ナスやカボチャ、ゴーヤなどを畑で作っている人が多いようで、よく食べた。ゴーヤはね、あんまり強いて食べたいとは思わないが……。でも、夏バテ防止には豚とゴーヤの組み合わせは抜群なのだ。

あとよく食べたのは、冬瓜。僕恥ずかしながら、冬瓜が夏野菜だとは知らなかった。なんで季節はずれの冬瓜をみんな持ってくるんだよ、と首を傾げていた僕はアホだなあ。

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2007年9月26日

余韻が大切なのだ

昨日は珍しく、空が薄っすらと明け始めた頃から仕事をしていた。やりたくなくて延ばし延ばしにしていた書類作りを、いよいよ終わらせねばならず、福田さんの就任の弁ではないが、背水の陣で臨んだ。午前中、人待ちをしている間もパソコンとにらめっこ。なんとか昼過ぎに終わらせた。

やはり朝早くに始動するのは、効率が良い。今朝も早く起きようと思っていたら、6時前に自然と目が覚めた。毎朝するように、最初に果物を多めに食べて、ストレッチなどをして、しばらく経ってから朝食をとる。いろいろそれから済ませても時間があったので、久しぶりに縁側で朝日を浴びながら、コーヒーをゆっくりと飲んだ。気持ちがいい。

中秋の名月は、雲に隠れてなかなか拝めなかった。ここ数年は、玄関先で団子を食らいながらお月さまを眺めていたのだが、それも今年はやらずじまい。でも、寝る前に部屋に入ったら、窓際がほのかに明るかった。月光が差し込んでいる。思わず窓を開けて空を見上げると、いつにもまして美しい月が煌々と輝いていた。

月を愛でる文化、月に人間や人生を重ね合わせるような思考を持つ文化は、他のところにもあるのだろうか。茂木さんのブログを読んで知ったのだが、夏目漱石は "I love you" を「月がきれいですね」と訳したのだという。日本語にとって大切なのは、きっと余韻なんだな。そこに言葉の美しさがにじみ出てくるのである。

僕らは、そのじんわりとした感覚を、かなり忘れ去っている。

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2007年9月25日

指導者に力を感じないなんて

新政権発足の日に、去る人のことを書いても仕方ないかもしれないが、昨日の安倍さんの会見は、さすがに見ていて痛々しかった。

しかし、脳梗塞で倒れるとか、末期ガンが発見されたとか、そういう危ない状態でない限り、総理の座をあんなに簡単に投げ出すべきではなかったと思う。少なくとも区切りのいいところまで続けるべきであり、そういう意味では、選挙後の時機を強引に乗り切ったのだから、次はいちばん早くても11月1日であるべきだった。

なにか今の日本全体の雰囲気を、安倍晋三という人間が体現しているようで、重苦しい気持ちになった。しかも、もう去り行く人には用はないといわんばかりに、メディアでも軽く取り上げられただけで終わった。ちょうど1年しか政権が続かなかったことは、本人はもちろん不本意だろうが、一国の指導者からあんな弱々しい姿を見せられては、こっちだってたまったものじゃない。どうせ思いを遂げずに辞めるのであれば、先の参院選、もしくはテロ特でも次の総選挙でもいいので、負けっぷりよく爽やかに退陣してほしかったと思う。

福田さんもそうだけど、指導者に力を感じないとはどういうことだ。

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2007年9月24日

違った不満がたまりそう

麻生太郎はかなりの善戦だった。投票を実施した地方票の合計は、麻生さんが福田さんを上回っている。とくに東京をはじめ、人口の多い県では軒並み麻生さんへ票が流れた。これじゃあ、福田さんは勝った気がしないだろう。

一連の討論会などを見ている限り、「福田さんで大丈夫なの?」と不安になった議員や党員も多いと思う。福田さんの話には、ほとんど中身がなかったではないか。日本記者クラブ主催の討論会を見たけど、福田さんは「どうせ勝つんだから、別に政策とかどうでもいいんだよ」という雰囲気で、見てて腹が立った。最初の10分間の演説は漠然とした内容だし、麻生さんからの質疑には防戦一方。あれを見て、福田さんのほうがいいと「本気で」思った自民党議員がいたとしたら、そいつは大ばか者だろう。

今日の新総裁の記者会見も同じ。「よく話し合います」「精査しないとね」「これから議論するでしょう」「まだそういう立場じゃないから、なんともいえない」。そんな言葉の連発。まったく、聞いているこっちは爆発しそうだよ。

なんだか安倍さんとはまた違った不満が、これから僕のなかにたまりそうだ。

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2007年9月19日

底抜けに明るく

今日(18日)は、体感としてはこの夏いちばん暑く感じた。

朝から夜遅くまで、果てしなくメールと電話。丁寧にいろんなことに対応していたら、今日はそれだけでほぼ一日が終わってしまった。なんたること。でも、いろいろものごとは進んだのでいいだろう。わりと楽しい一日だった。

昨日、たくさん集まったある会合にぎりぎり間に合って滑り込んだら、知り合いの女性がすぐ前の席にいた。こちらを見て開口一番

「私ね、骨盤が曲がってるんですよ。へその位置もおかしいし」
僕「そんなことをいきなり、しかも聞こえるように言うんじゃないよ」「それに、へその位置がおかしいってどういうことよ?」
彼女「からだの真ん中の線にないんです」
僕「ああ、そういうこと。たくさんいるんじゃない、そういう人。でも、骨盤とか背骨は全身の健康に関係あるから、一度きちんと診てもらったら」

そして「太るよ」と痛い一言を添えてあげた。

何時間か経って、休憩のときの彼女の第一声……「太っちゃうんですよね」
僕、間髪入れずに笑顔で「うん」

乙女よ、うんと悩みたまえ。

われらが麻生太郎は、劣勢を百も承知で、また今回も出馬した。立候補しただけで、僕は彼に拍手だね。石原伸晃がテレビで言ってたけど、麻生さんは底抜けに明るい人で、最近(党務で)初めて近くで仕事するようになってそれを知り、びっくりしたらしい。あんな楽天家はいませんよ、と。ううん、見習ってできるもんじゃないけど、そういう姿勢で人生は臨まねばならんなと思う。

よく考えたら、西洋の人智は、ギリシャ的な徹底的に明るいところから生まれているのだ。そこには、それだけ色濃い影が地に張っているだろうが、その暗さははっきりとコントラストを描きながらも、やはり明るさへとつながっている。頭をもっとシンプルにして、クリーンにして、いろいろ考えずに生きてみよう。麻生太郎のべらんめえ口調を聞きながら、そう思った。

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2007年9月16日

なんてことを考えつつ

台風の影響を微妙に受けて、時々激しい雨が降る。

今日は姪の小学校の運動会。この学校は、いつ訪れても素晴らしい環境だなと羨ましく思う。並木道があり、小川が流れ、滝があって、山がひかえている。おまけに鳥居まである。

子どもはよく動く。昼食を取って、またすぐに走り回っている。あっちでもこっちでも。疲れを知らぬ子どもたちのエネルギーに、あらためて新鮮な感動を覚えた。果たして少年時代に、僕もあれだけの爆発を日々していただろうか。

僕には生の充実がなかったのではないだろうか。子どもの時代だけじゃなく、思春期も大学時代も、そのあとも。そして今も。ふと、そんな考えがよぎった。それからしばらくじたばたとして、自分にものすごく嫌気がさした。

でも、自己啓発の本に書かれているごとく、自分のことは自分がいちばん好きにならないと、誰からも好きになってもらえなくなる。未来は今この瞬間から始まっているんだ、そう強く言い聞かせた。

なんてことを考えつつも、『ホタルノヒカリ』の9話と最後の10話を一気に見る。しかも2回も見る。だって、蛍と部長の掛け合いが楽しかったから。綾瀬はるかは、この役にぴったりはまっていたんじゃない?  

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2007年9月13日

遅すぎて、早すぎて

最後まで安倍さんは鈍感だった。辞めるタイミングとしては最悪だ。参院選惨敗のあとも居座ったという意味では遅すぎるし、国会が開会したばかりという意味では早すぎる。

指導者としての美学を求めるのであれば、選挙後に辞めなかったのだから、この際テロ特措法の問題に結論が出るまで、努力を続けるべきだった。職を賭すとまで意気込んでみたのだから、「とことん頑張りました、でもダメでした」というところまで、根性出して粘ってみるべきだった。

ここで辞めるんだったら、選挙後のしがみつきようはいったい何だったのだろうと思わざるを得ない。「昭和の妖怪」といわれた祖父・岸信介が60年安保のさなか、新安保条約成立までに見せたような強靭な精神力は、まったく受け継がれていなかった。

僕はずっと安倍さんに批判的で、小泉さんと安倍さんは似て非なるもので、絶対にこの人にはリーダーシップがないと思っていたし、そういうことをここで何度も述べてきた。ブラウン管を通して見ただけでも、それが透けて感じられたのに、どうして圧倒的多数の自民党議員が彼を総理総裁に選んだのか。僕は、総裁選のときに彼を推した人々は責任を感じるべきだと思う。

僕は、彼に深い思想や政策があるとは一度たりとも感じたことがなかった。何かぼんやりとした戦後というものへの苛立ち、薄っぺらいありきたりのナショナリズム、大統領的な政治運営をしたいという幻想。そんなものしか感じなかった。彼を支持する議員の声を総合すると、結局は「人が良い」という以外に何も答えらしきものはない。そんなもので政治はできっこない。僕にとっては、すべてにおいて、ただただつまらない人だった。

安倍さんは運が悪かったのではない。不測の事態が起こっても、きちんと対処できれば問題はなかったはずだ。運が悪かったのではなく、彼自身に指導者としての能力が相当足りなかったのだ。このタイミングで辞任するという無責任さに、それが象徴的に表れている。

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2007年9月 8日

何かを書きたいのだが

月曜からあっという間の5日間だった。座っている時間が長くて、時々気持ち悪くなる。ふくらはぎから、なんともいえない倦怠感がからだのなかを上ってくる。

何か長い長い書きものをしたい。時折、からだの底からマグマのような何ものかが噴き出す感覚がある。しかし、それをうまくまとめることができない。きっと、もっと長い時間、多くの経験と思索が必要なのだろう。

わずかに秋の気配がする。しかし、ものを考えるにはまだ暑い。もっと空気は冷えないといけない。深い闇もないといけない。風はひゅーひゅー吹かなくては。寒さのなかで人間は凛となる。哲学には寂しい生が必要だ。豊饒な南国の大地はしょせん天国であって、そこでは動物として生きていれば、それでいい。

僕は北が好きなのか、南が好きなのか、時々わからなくなる。

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2007年9月 2日

明るいエネルギーはいくらあってもいい

時折、豪雨。天神の地下街から上がってきたら雨が降っていたのでびっくりした。

知人から紹介されて、初対面の人の相談にのってあげた。役者を目指していたというだけあって、発声がいい。ぼそぼそ話す僕と対照的に、その子の声だけが周囲に響いていた。相談にのってあげていたはずが、彼女のとぼけぶりがおかしくて、途中から僕は、失礼ながらしょっちゅう笑っていた。明るいエネルギーというのは、いくらあってもいいものだ。

丸善で、Jeffrey Archer の "Cat O' Nine Tales" という短編集が出ていたので買った。アーチャーの小説は何冊か原書で読んでいるが、いつも面白い。これは刑務所にいた間に書いたものらしい。さすが、タダでは起きないつわものだ。さっそくひとつ目を読んだ。

今まで読んだ彼の小説のなかで、たとえば "Kane & Abel" なんか、どんどん引き込まれていって、あんなに楽しく読めた小説はないのだが、日本語訳を読むと、その良さが全然伝わってこない。平坦な物語に変わり果ててしまっていた。いつも書くことだけど、英語には英語の味わいがあって、それは英語で読むしかつかむことができないものだ。

死ぬまでに、どこまで深くその味わいがわかるだろうか。極めたいなという思いはある。

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2007年9月 1日

また思いを入れかえて

8月はあまり書かないうちに終わってしまった。最後の1週間は、皆既月食のことや、安倍続投批判など、書いている途中でやめてしまったことも何度かあった。

安倍総理の顔を見たり、朝青龍問題のバカバカしい加熱報道などに接していると、本当にこの国にうんざりする。昨日の夜などは、その思いがとくに強かった。国を捨てるとは、こんな気持ちの延長にあるのだろうか。

でも9月は、また思いを入れかえて頑張る。

今日オープンする「ザ・ペニンシュラ東京」、なかなか良さそうだ。すぐにというのはちょっと無理だけど、1年後までに一度泊まりに行こうと思う。そういう目標もいいんじゃないか、ということで、いとことテレビを見ながら衝動的に決定した。そんなことで、俄然やる気が出てきた私でした。

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