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2007年7月 2日

パンから溢れ出るもの

朝から大雨洪水警報が出ていた。時折、猛烈に雨が降る。あれだけ降ると気持ちがいい。

よく見る番組のひとつ「週間ブックレビュー」。昨晩は、フードジャーナリストの平松洋子さんが、ひとりひとりが自然に持っている大切な味について語っていた。

それを見ながら、ふと小さい頃食べていた食パンのことを思い出した。田舎まちにはパンの文化がまだ定着しておらず、おいしいジャムなどもない時代。純粋な田舎モノである母から教えられたのは、トーストしてない(そもそもトースターがなかった)食パンの上にたっぷりマヨネーズと砂糖を塗って、ふたつ折りして食べる方法だった。学校から帰ってきたあとや、休みの日などに食べていたように思う。

折ったときに、パンの耳の部分から溢れてくるマヨネーズと砂糖の混ざったものを見て、そのあとそれを舐めるのが好きだった。そんな食べ方を続けていたら、きっと今ごろ病気だろうが、幸い小学生のわりと早い段階で、その食べ方の記憶は途絶えている。

20年ぶりぐらいにそのことを思い出したが、その頃パンを食べていた情景がありありと浮かんできた。そういうのがいきなり蘇ってくるんだから、記憶っていうのは怖ろしいし神秘的だなと思う。

時は過ぎ、イギリスの薄い食パン(なんだかフランスではバカにされていたような)が好きになった時期もあれば、パニーニやバゲットばかり買っていた頃もある。毎日ピタブレッドを食べていたときもあったっけ。たまにブリオッシュも食べたくなる。

さすがに、トーストしていない食パンにマヨネーズと砂糖という組み合わせで食べたいとは今は思わないが、でもそれがパンとの原体験であるのは間違いない。マヨネーズと砂糖には、懐かしさと恥ずかしさが混ぜ合わさっている。

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