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2007年6月23日

マイ箸は僕も実践しようかと

ばたばたと過ぎていくここ数日。夏至のキャンドルナイトもする予定だったのだが、その時間、猛烈に勉強していて完全に忘れていて、気づいたら終わっていた。とりあえずそのあと、早めに電気を消して静かにはしていたけど。

1万円の高級品も売れる「マイはし」 「割り箸」は消える?

僕のまわりでは、マイ箸を持っている人、ちらほらいる。環境のためというよりは、自分の健康のためである。

割り箸の多くは中国製だが、廃材でつくられていればどんな有害なものが入っているか心配だし、漂白が残っていたらと考えると、とてもうどんとか熱い液体の中に突っ込む勇気がないというのが、その人たちの考え方である。金魚鉢に割り箸を浮かべたら金魚が死んだと言っている人もいる。

こういうのは、大袈裟になって取り組んで損することはないと思う。この間、一緒にランチをした人がささっとバッグからマイ箸を取り出すのを見て、「あっ、俺もやろうかな」と思った。

どうせなら、気に入ったものを買いたいのだが……。昔、銀座で入った箸の専門店のような、どれ選んでいいかわからないぐらいたくさん置いてある店で買いたい。どっかないのかな、このへんに(このへんてどのへん?という感じだろうが)。

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2007年6月21日

いろいろと解決

仕事や家庭の問題が山積し、昨晩もひとりで悩んでいたが、今日ふたつ大きな問題が解決した。ひとつは僕のことで、もうひとつは甥のこと。

また、午後の仕事の約束がきちんと果たせるだろうかと思っていたが、いい話になってよかった。そのなかで、ここ数日願っていたことが思いもしないかたちで叶うことにもなり、驚きとともに嬉しい気持ちでいっぱいになった。

それでどっと疲れが出たのか、夕食のあと深く眠ってしまった。

毎日少しずつ進めている勉強があり、それがまだ終わっていない。ああ、『FooDictionary』を見そこなってしまった。

前向きに喜んで悩む、降りかかってくる問題に対して感謝をする、という姿勢は堅持しているが、それとともに、最近はプラスのパワーを出している人になるだけ接するようにしている。不思議とものごとがいい方向に動くから。変な宗教みたいだけど、そういう力学は存在すると思う。

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2007年6月20日

ひとりひとりが賢くなって

家に戻ってきたら、ガスの請求書とともに、「オール電化」の人体への危険性を訴えるチラシが入っていた。ガス会社の人が入れたのだろうが、単純に商売敵だからというだけでなく、いろいろ気にしたほうがいいのではないかと思うことが書かれている。

僕の周辺でも、IHクッキングヒーターをはじめ、電磁波の危険性の話がよく出る。WHOも、高圧電線や電化製品などの超低周波電磁波と小児白血病との関連は否定できないとし、各国に対策を呼びかけたばかりだ。

日本は裁判所も含めて、いつでも業界優先だから、こういう対策ももちろん遅れている。こんな国に期待してはいけない。健康のことなんて二の次なんだから、国の方針が正しいなんて信じて生きていたら、損するのは自分である。ひとりひとりが賢くなって、健康に生き延びるための、インフォメーションではなくインテリジェンスをつかまないと、自分が知らず知らずのうちに犠牲者になる。

WHOは、携帯電話が発する高周波の電磁波が人体に及ぼす影響についても、すでに調査を進めている。とくに若い女性が携帯依存症になっていることと婦人科系疾患のリスクについては、僕も最近心配している。

光だって電磁波なんだし、そこらじゅうに電磁波があるのだから、大丈夫なような気もするが、おそらく人為的につくりだした電磁波は人体に悪影響があるのだろうと思う。少なくとも、IHは使わないほうがいいのではないだろうか。ものすごい電磁波だから。

僕は、携帯電話をなるだけ体に触れて携帯しないようにしている。笑われるかもしれないが、心臓に悪いんじゃないかと思って胸ポケットに入れることは絶対にしないし、睾丸に悪いんじゃないかと思ってズボンのポケットにもなるだけ入れない。あと、閉じた狭い車内では発信しないとか。

こんなことを考えていると、便利な生活というのは、ハイリスク・ハイリターンだなと思う。でも重ねて言うけど、この国は業界優先だから、国の言うことを信じて生きてはダメです。自らが賢くならないといけない。

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2007年6月19日

なにものであるのか

ここ数日、時折強い雨が降る。

今日できることは何か考えて、それを実行しようと思った。気乗りがせず、どうしようか悩んだものもあったが、最終的にすべてやった。ひとつは、自分が望んだ結果にならなかったが、またそれもよし。ゼロに何を掛けてもゼロだが、行動を起こした分、後々に続く因はつくったことになる。

昨日、「その場凌ぎは壊滅へ向かう」と書いて、そのあとで、「それは自分自身にも当てはまるじゃん」と反省した。もうちょっと腰を落ち着けた人生にしないとなあ。

「お前はいったいなにものか、なにものになりたいのか」

そんなことを自分に問いかけると、なにものとも言い難いだけに、心の苦しみを覚える。しかし、この問いに逃げず答えを出す作業に、もうちょっと真正面から取り組まねばならないと思う。

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2007年6月18日

その場凌ぎは壊滅へ向かう

丸山弁護士の出馬会見の報道を見て、はあ?だよ。選挙だから別に誰が出てもいいけど、「今回は自民党の土俵を借りる」と言ったり、自民党から出ることに「矛盾があると思う」と認めたり。これじゃ、ほとんど丸川珠代と似たり寄ったりじゃん。政党ってなんなんだろうなあ。まあ、現代における政党政治の限界が、こういう観点からも見て取れるのかもしれない。

自民党もその場凌ぎのことばかりやっていると、長期的には壊滅の方向に向かうということが分からないのだろうか。ただでさえ、公明党(というか創価学会)に票をもらわないと、とくに衆議院の多くの小選挙区は当選が危ういぐらい、悲惨な状況に陥っているのに(公明党のわずかな小選挙区も、自民党の協力がなかったらひとつも取れないだろう)。

民主党でも本当は構わなかったような有名人たちに頼るとか、自分たちの組織が崩壊しているから他党の組織票に頼るとか、そんな小手先の手段ばかりで無理に選挙に勝とうとすればするほど、取り返しのつかないぐらい党の弱体化につながっていく。たとえそれで、そのときの選挙は凌げたとしても。

小泉さんと安倍さんが総裁になれたのも、つまるところイメージだ。顔がどうかということだ。政策とか資質とか党の路線とか関係なく、リーダーのイメージに頼ってできる限り票を取るしか、もう残されている道がなかったからだ。それだけ苦しい党勢である。

僕は、自民党のためにも、何回か国政選挙で負けたほうがいいと思う。そこから再生したほうがいいのだ。

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2007年6月17日

美を追求するしかない

紫外線は6月がいちばん強い。

僕は、日を浴びると赤くなるけど、あとで黒くなることはない、いわゆる「スキンタイプ1」と呼ばれる肌質で、いちばん紫外線の有害作用を受けやすい。黒くならないということはメラニン色素ができにくいということだから、紫外線を遮断できないのだろう。

だから、色白だからといって下手に焼こうなんて考えたらいけないのだ。クリームでサンタンの効果が出るものもあるが、小麦色の顔を考えたらどうも変なので、結局今のままでいようと思う。もうこうなったら、逆に肌の美しさを追求するしかないというのが最近の僕の考え方である。スキンケアはかなりやっている。

それにしても、夏はあんまり好きじゃないな。

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2007年6月15日

金曜日になってしまって

なんともう金曜日。振り返ると、月曜の夜を皮切りに、夜の来客が多かったり、一日中外へ出ていたりして、夜寝る前に更新するというリズムが崩れてしまった。わざわざ睡眠時間を減らしてまで続けるようなものでもないし。

それに、仕事上の通信物をつくったりもしていた。メールで情報を伝えるのが簡単だし金もかからないけど、何か人間的なぬくもりが欠けている気がして、昔していたように、紙に印刷して、手書きの封筒に手書きの一筆箋を添えてみんなに出した。

月曜の朝いちばんでいただいたすらっとして美しいショウブは、玄関でおおかた花開いてしまった。庭のサツキは折からの雨で、そこらじゅうに散ってしまった。先週から家の裏によく来るようになった猫は、今では車庫のそばのダンボールの上に居心地の良さを見出したようだ。定宿のようにひとところにじっと佇んでいたカエルは、この雨のなかどこかへ消えてしまった。そして、まわりでは田植えが進んでいる。

すべてのものは動いているのだ。

今晩お話しした方の声は、僕のいちばん好きな声だった。アドバイスをしながら、こちらが癒されているような気分になった。声って大事だなとつくづく思う。

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2007年6月10日

判断は間違ってなかった

朝から佐世保へ。

米軍と自衛隊と造船の街。異国と南国と海の開放さとヘビー・インダストリーが混じり合った、不思議な雰囲気をもった街・佐世保。

待ち合わせまで時間があったので、駅周辺をぶらぶら散歩。海自の制服を着た隊員がカフェで女性と談笑している。駅前では、露店で海産物を安く売っている。山を見上げると教会があった。

佐世保バーガーを食べようかと思っていたが、ちゃんぽんの店が2件並んであり、うまそうだったので食べようと思ったが、どちらに入ろうか悩む。そうしたら、一組のカップルが「こっちだったよね」とちゅうちょなく片方の店ののれんをくぐったので、それを決め手に後に続いた。まだ昼には早かったが、続々と人が入ってきて、すぐにいっぱいになった。

太麺の皿うどんは食べきれないほどの量だったが、おいしかったので平らげてしまった。そそくさと代金を支払い外へ出ると、もう一方の店は空いていた。僕の判断は間違ってなかったのだ。

一日、いろんな話を聞き、また話した。国の無策、国民の無知と無関心、いろんなことに嘆き怒りを覚え、不安を感じた。詳しいことはここに書かないけど。

夜は、親戚に鮨をごちそうになって、佐世保を後にした。

また1週間がはじまる。辛いなあ。でも、できることをやるしかない。

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2007年6月 9日

指導者は余裕がないと

ワインを飲みながらもつ鍋をつつく。

っていう季節でもないけどね。でもこのところ、一日中柔らかな風が通り抜けて涼しい。穏やかで過ごしやすい昨今です。全国そうなのかしらん?

酔った勢いで(?)、姪たちに付き合って百人一首。僕は歌詠みに徹する。なんと美しくしなやかな響きをそなえたコトバたちだろう。

コンビニの本棚にあった『ダカーポ』の表紙に「麻生太郎の真実!」というタイトルが。麻生好きの僕としては買わずにはいられなかった。

この人に関する記事は、読んでいていつも口元が緩んでしまう。この特集でもやっぱりそうだった。こんなに楽しませてくれる政治家、なかなかいない。どうせ、どうしようもない自公政権だったら、失言しようが口が曲がっていようが、すかっと面白い麻生さんに任せたらいいんじゃないか。この人には余裕があるよ。見るからにいっぱいいっぱいの指導者はごめんだ。すぐに逆ギレするような総理ではどうしようもないじゃないか。

華麗なる一族の血筋にして、元オリンピック選手で、斜陽の炭鉱・セメントの社長を経験し、おしゃれでお茶目でオタッキーでべらんめえ口調の麻生太郎。愛すべき人物だ。

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2007年6月 8日

wonderwall はいずこ

今朝はちょっと寝坊してしまった。

ぼーっとしながらまだコーヒーを飲んでいるときに、難しい相談を持ち込まれた。でも、親しい人が苦境にいるときに、僕にできることがあるのなら、いくらでも力を貸してあげたいと思うのだ。

All the roads we have to walk are winding.

All the lights that lead us there are blinding.

生きていくのはたいへんな苦労がともなう。まっすぐで簡単な道はないし、しばしば向かうところを見失いそうになる。それでも美しい頂ににたどり着くのを信じて進んでいくしかないんだよな。

しかし、僕自身の wonderwall はどこにいるのだろうか。もしくはどこにあるのだろうか。

牛ヒレはとても柔らかく、おいしかった。それから、こちらもいただいた地鶏で親子丼。感謝感謝。しかし、カロリー高め。

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2007年6月 7日

「もうひとつプレゼント」

あっという間に夜中になってしまった今日一日。

久しぶりに会った人に、前々から感じていた印象を伝えた。「滝川クリステルに似てますね」。以前よりぐんと肌質が良くなり、髪型も似た感じになっていたので、よけいにそう思えたのだが、本人は目を丸くする。「そりゃあ言い過ぎですよ」。いや、方言丸出しでしゃべるのでギャップは激しいが、静かにしていれば似ていると思う。あっ、これでは誉めていることにならないか?

夕方、牧場の知り合いがホルモンを持って来てくれた。2キロ。1キロはさっそく焼いていただいた。ホルモンにはうるさい母が満足するぐらい、とてもおいしかった。噛んで噛んで、最後は飲み込む。牛さんに感謝です。

その人を見送ろうと外へ出てしゃべっていたら、「顔見てたら、もうひとつプレゼントしたくなった」と嬉しいことを言ってくれて、保冷車のなかから何やら取り出した。なんと牛ヒレ。ステーキ用に厚めに何枚か切って、脂も添えて包装してあった。きっとどこかに約束されていたものだろうに。

僕としてはこっちを食べたかったのだが、献立の都合上、これは明日にお預けになった。それでどうも不完全燃焼のまま今を迎えている。でも寝るしかない。

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2007年6月 6日

自筆の妙味、縦書きの不安定

最近つとめてペンや鉛筆で字を書くようにしている。キーボードばかり叩いていると、漢字を忘れるのではないかということと、字が下手になるのではないかという怖れを感じているからだ。どちらもそうなっては恥ずかしいので、別にさしあたってデジタルで残しておく必要がないものについては、面倒くさいけど手を使って書いている。

作家のなかには、原稿用紙のうえに万年筆を走らせる書き方を続けている人がいる。ある小説家が、字体やペンの動きを見ていると、その日の自分の体調や精神的な状況がわかるといっていた。ただ文字を連ねるのではなく、作品を創作していくわけだから、何かその作業のなかに体感があったほうがいいのだろう。意外と今でも原稿用紙を使う人は多いのかもしれない。

自筆の場合、手先を動かしていくことで、一文字ひともじが書き順に従って徐々に完成していく。パソコンで入力するのと違って、書くたびに同じ文字でも様子が変化する。それが自筆の妙味なのだろうし、だから生命がそこに反映されていると思えるのだろう。字を書くことで、きっと脳の働きも活発になっていると思う。

書いていて発見したこと。それは、縦書きの字の並びがどうも不安定で美しくないこと。自分の字面を見ていて、苛立ちを覚える。縦書きをほとんどしないから、美しく縦に書けなくなっているのだろう。天から地に向かって書けないと、もしかして日本語らしさが失われていくのではないかとふと不安になった。それは、何かとても大事な世界観の変化に思えてくる。

横書きのほうが、書ける内容が広くなるし、文体も多様にできると思う。縦書きだと不思議と力が入ってしまうし、文章も堅苦しいものになりがちだ。それでも、時々は縦に書いて、日本語の、また日本人の本来持っている礼節や繊細さ、奥ゆかしさといったものを感じるようにしたほうがいいのではないだろうか。横でそれらが表現できないことはないだろうが、元来縦書きで綴りながら文を作り上げてきた背景があるのだから、やはりそこには何らかの意味があるはずだ。

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2007年6月 5日

ごまかしの数字では

今日一日どうなるだろうと思いながらも、終わってみればなんとかなった。

兄が頭に叩き込んでいる筋肉や骨、神経、リンパの知識と、毎日の施術に基づくそれらの臨床データはかなりのもので、聞いていてとてもためになる。一日に何度となく議論をするが、飽きることがない。常に学び経験しながら、内容が進化しているからだろう。

久しぶりに The Lotus Sutra を読む。Phantom City (化城喩品第七)。全然関係はないけど、読みながらゴビの砂に消えた西夏の都のことが目に浮かんだ。

ニュースをひとつ引用。

中国は環境に優しい国?!脅威論を完全否定!―途上国向け規制に反発(Record China)

ここに3つの数字が出てくるけど、少なくとも最初の2つはごまかすための数字じゃないのと思う。1番目の数字について。工業化は最近の話なんだから、1950年代からのCO2累積排出量を提示して、何の意味があるというのだろう。「今」がどうなのかが大事なのでは。それから2つ目。人口一人当たりの排出量。母数が他国(除くインド)と比べものにならないでしょうが。まだ文明を享受できていない国民が多いだろうに、それでもって「一人当たり」は的外れだろう。国としての「総量」が重要なのでは。これで「中国は環境に優しい国です」なんて言われてもなあという気がする。

九州にいると、中国の環境が脅威に思える。黄砂に化学物質が含まれているとか、九州で光化学スモッグの発令が多くなっているのも中国の工業化や排気ガスが大きな原因だとか。なんでこんな厄介な巨大な国がすぐ隣に存在しているのだろうと、恨めしく思えることしばしば。偽ブランドものや海賊版をつくるのは許すからさ、環境だけは本当に手を携えて真剣に考えていってほしいよ。

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2007年6月 4日

それが運命の道だと知ってはいるけども

朝4時半に家の電話が鳴った。鳴り止まないので、胸騒ぎがして急いで階下へ行くと、ちょうど切れてしまった。番号を確かめると、遠くにいる知り合いの人からだった。

何かあったのだろうか、掛けなおしてみようかと考えているところに、また掛かってきた。もう一度駆け足で下りていって受話器を取る。

なんと、家族の方が亡くなられたという知らせの電話だった。厳密には、他のところへ掛けようとして、間違ってうちへ掛けてきた。気が動転していたのだろう。

最近はまったく夜中に目が覚めないのに、遠く1階の電話の音で目覚めたのは不思議だ。ここ数日、亡くなったその人の病気の平癒を念じていたので、知らせを受けたときは、ちょっとショックだった。呆然としながら明けかかった空を眺めた。

人間は生まれた瞬間から、ひとつだけ避けられない道がある。それは死に向かっていく道で、僕たちは刻々とその道を進んでいくしかない運命にある。やがてはみんなちゃんと終着を迎える。それは重々承知しているが、やはり死には悲しみが伴う。

三たび電話が掛かった。また間違えたようだ。思わず「大丈夫ですか」と尋ねると、「大丈夫、大丈夫なのよ」と力ない声が返ってきた。その少し震えた声が、今日は耳朶から離れなかった。

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2007年6月 3日

「問い」を続けること

よく寝た。なんとなく体がだるい。最近歩いてないからな。

今日は何もしなかった。

横になって、ソクラテスやプラトンのことを考えていた。プラトンの著作は、アカデメイアが長らく存在したおかげで、ひとつも欠落していないと考えられている。そして、それらの作品の主人公はソクラテスである。何も書きものを残さなかったソクラテスについて、僕らが知識を得られるのは、ほぼプラトンのおかげである。

どこまでがソクラテスの思想で、どこからがプラトンのものなのか、はたまたすべてはプラトンの思想なのか。それはわからないけども、ソクラテスの「無知の知」や「汝自身を知れ」が僕たちに求めるのは、飽くなき人生の「問い」であろう。

夕方、気分転換に出かけて、Travis 「The Boy with No Name」と竹内まりや「Denim」を衝動的に購入。

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2007年6月 2日

そこからまた再出発

本当は天神で一日缶詰め状態のはずだったが、昨夜日程が急きょ変更になった。ゆっくりできるなと思っていたが、土日関係なく仕事の用事は入る。結局忙しい一日だった。

どうも体調が優れなかったので、途中横になる。ただの寝不足かもしれないけど、今日はしんどかったな。

午後、姪のいる施設へちょっと顔を出す。スタッフの方々に、お久しぶりですと言われる。ああ、そんなに長いこと来てなかったんだ。姪の大好きなアイスクリームを持っていった。喜んで1個ぺろりと食べてしまった。ふくらはぎのマッサージをしてあげる。

ここへ来ると、いつもいろんなことを考えさせられる。人間がどれだけ可能性を秘めているのか、それは誰にもわからない。ただどんな状況であれ、現状を突破する希望をもって、自分の可能性を信じて生き抜いていかねばならない。

松岡さんのように死を選んではだめだ。生きていれば、そのうちどうにかものごとは動いていくのだから。非があるのなら認めて、そこからまた出発すればいいだけだったのにと思う。

自分の人生はもうだめだ、ということは絶対にない。自分がそう決めつけなければいいだけの話だ。

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2007年6月 1日

人を眺めながら考えること

昨晩遅く近くで大火事が発生していたのだが、全然気づかなかった。いやあ熟睡していたんだろうな。最近は深く眠っている気がする。

兄が持っていた『顔をみれば病気がわかる』(猪越恭也著、草思社)が面白そうだったので、ちょっと読んでみた。昔から僕は、人の顔や姿勢、歩き方、食べ方などが気になって、じっと観察してしまうことがある。「ああいう体勢の人は胃が悪いんだよ」とか「ああいう顔色の人は肝臓が良くないんだ」とか、そういうことを小さい頃から聞かされてきたからだろう。人に会うとすぐに、その人を眺めながら体調のことを考えてしまう。

その経験(?)に照らし合わせて、この本は顔と体調について端的にまとめてあり、参考になるなと思う。もちろんこれは東洋医学的な発想なんだけど、自己管理のため、もしくは問診の際にはけっこう役立つと思う。五臓と顔の関係は、体の全体性を考えたときに、あながち否定できるものじゃないだろう。

僕自身はというと、肝臓や胃腸が弱いと思う。

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