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2007年4月14日

空間があるのも良し悪し

さすがにもう散ってしまったけど、今年の桜はけっこう長く咲いていたような気がする。僕は桜の下で宴会をすることに趣きを感じない。毎年一回でいいから、どこかでしばらく静かに眺めていれば、もうそれで十分満たされた気持ちになる。あとは車窓に流れる美しい桜色の景色に目をやるばかりである。

あっという間に金曜の夜を迎えた。先日、兄の仕事場や事務所として使っている部分をもうちょっと整理された空間にするべく、片付けの天才である従姉を呼んで一気に片づけた。おかげで気持ちのいい空間になった。

はっきり言って、わが家は無駄に広すぎる。しかも、整然としていないと僕は気が済まないので、ここに本格的に住むようになってからひと部屋ずつどんどん物を処分していってるうちに、さらにスペースが広がってしまった。それで分かったこと―空間があるのも良し悪しで、逆に落ち着かないときもあるということ。

ここは僕の持ちものじゃないし、将来も譲ってもらおうとさらさら思っていないので、あんまり力を注ぐ必要もないのだが、今後この家をどうしていくか、時折考え込む。ここに詳しく書けないけども、短期的長期的にいろんな要素が絡まってくる。

でもそんなこと今悩んでみたって仕方ないんだよな。破天荒だった父が生きていたらきっと、「じゃあもう一回建て直そう」と言うだろう。なにせ、この辺全部買うと根拠のない計画を立てていた人なので。たぶん、そういう楽天的で前向きな姿勢に天は味方するのだ。

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