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2007年4月23日

その連続性を欲したのではないのだ

長崎市長選の結果はあれで良かったと思う。今回のような緊急事態において、安定した市政の運営という意味で連続性を求めるのは、有権者の投票行動として理解できるが、故伊藤前市長とその家族との間にその連続性を見出すにはかなり無理があったからだ。

よって、落選後に娘さんが述べた「伊藤一長はその程度の存在でしたか?」という言葉は、申し訳ないが見当違いだと思う。彼女の夫の落選と前市長の評価にはなんら結びつきはない。有権者の多くに、世襲という形での連続性に疑問と不安があっただけだ。そういう連続性を欲しなかったのだ。

多くの人が悩んで投票したはずであり、拮抗したというところに民主主義らしさが表れていると思うし、結果から判断するに、情を凌駕する冷静な政治意識が働いたという点で、民主主義が生きていたなあと思う。

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