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2007年4月30日

続いて、新たまねぎの責めに

気分がすっきりしない数日間。明日から月が変わるし、心機一転頑張ろうと思う。

その後、たけのこの攻めが数度あり、それと前後して今度は、新たまねぎの攻撃にさらされている。佐賀の白石平野というところはたまねぎの産地で、そこで農業を営む人たちから同時にいただいた。もう1週間ぐらい食べ続けている。甘いのでそのままでも食べられるし、煮るとトロトロになる。

アメリカから一時帰国した知人が、4歳の男の子を連れてやってきた。お母さん似のかわいらしい子で、かわいいねえと言ったら、ちょっと不機嫌に。男の子だから、かっこいいと言われたいらしい。子どもながら、そんなところに敏感なんだあ。途中、砂糖をこぼしてお母さんに怒られて、「アメリカにかえ~る~」と泣き出した。いいなあ、こどもって。急に家庭を持ちたくなった。

月曜夜の「くりぃむナントカ」だけは、なぜかとても気に入っているバラエティ番組だ。これだけはほとんど欠かさずに見る。今もそれを見ながら、これを打っている。ああ、元気が出てきた。

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2007年4月25日

最悪のマンデリン

スタバで話し込んでいたら、次の約束の時間を過ぎていた。それでも、まあいいだろう、と思ってしまうのが悪い癖。笑顔で登場して何事もなかったかのようにだましてしまうのは、もっと悪い癖。

天神の地下街を歩いていて、マンデリンを飲みたくなり、初めての店に入ったんだけど、ひどかったなあ。今まで飲んだなかで最悪のマンデリンの味だった。そもそも、注文してから出てくるまで早すぎる。お姉さん、そんな入れ方じゃダメでしょうよ(喫茶店は、やはりこだわりのオヤジがやっているのがいちばん?)。このお店には二度と来ない。でもレジでは、笑顔で「おごちそうさま」と言ってしまった。

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2007年4月24日

ホイットマンを否定せずに済んだ

以前ある出版社から出ているホイットマンの『草の葉』を読んだときに、全然自分に訴えかけてくるものがなかった。変だなと思いつつも、直感には素直に従ったほうがいいと思うので、すぐに読むのをやめた。ホイットマンのどこがいいんだろうというのが、それ以来変わらぬ僕の印象だった。

この間家の本の整理をしていたときに、今度は岩波文庫の『草の葉』上巻がでてきた。せっかくなのでまた読んでみようかと思って、忘れないように机の上に出しておいた。

開いて目を通してみると、驚いたことにこちらはなんともすんなりと入ってくる。ぐいと迫ってきて、読む者を鼓舞するダイナミズムがある。これぞ古き良きアメリカ、と思わせる快活さ、逞しさ、力強さ、精神の大きさを、ちょっと読んだだけでびしびしと感じるのだ。これがホイットマンだったのだと、今さらながら感心しているところだ。

翻訳の仕方ひとつでこんなに受け取り方が違う。名前は出さないけど、前者の訳はリズムが悪く、引っかかるところが多すぎる。今の岩波版がどんな評価を受けているかは知らないけど、僕としてはこれを手に取ったおかげで、ホイットマンを否定せずに済んだ。ありがたい。

さらに原文を読んだらまた違った感じ方をするのかもしれないし、もっと良い訳本もあるかもしれないので、気に留めておこうと思う。

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2007年4月23日

その連続性を欲したのではないのだ

長崎市長選の結果はあれで良かったと思う。今回のような緊急事態において、安定した市政の運営という意味で連続性を求めるのは、有権者の投票行動として理解できるが、故伊藤前市長とその家族との間にその連続性を見出すにはかなり無理があったからだ。

よって、落選後に娘さんが述べた「伊藤一長はその程度の存在でしたか?」という言葉は、申し訳ないが見当違いだと思う。彼女の夫の落選と前市長の評価にはなんら結びつきはない。有権者の多くに、世襲という形での連続性に疑問と不安があっただけだ。そういう連続性を欲しなかったのだ。

多くの人が悩んで投票したはずであり、拮抗したというところに民主主義らしさが表れていると思うし、結果から判断するに、情を凌駕する冷静な政治意識が働いたという点で、民主主義が生きていたなあと思う。

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2007年4月22日

原文のほうが味わいがある

雨模様だったので静かに読書。と思ったら、何時間もソファで寝てしまった。

A Tale of Two Cities はようやく三分の一ぐらい終了。ところどころ、かなり風刺が効いている。英語から読むのは正直言ってかなり辛いので、最初の方針を転換して、今は日本語をまず読んで、それから原文に挑戦している。なんとなくディケンズの文体に慣れてきた(と思う)。どんなに名訳でも、原文のほうが味わい深いと思うくだりがいくつかある。結局、原書と翻訳との間には、常にそういう後者の限界があるのだろう。この本は読むと決めたので、絶対に読了したい。

同時並行で、Jeremy Paxman, The English: A Portrait of A People (Penguin Books, 1999) を読み始めた。イギリス外務省の人と話したときに、イングランド人を知るためにと推薦された本だ。パックスマンはBBCの有名なジャーナリスト。まだ数章しか読んでいないが、面白すぎて時間があったらずっと読んでいたいと思う本だ。

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2007年4月19日

筍ざんまい

春になると自分の山の至るところに顔を出す筍を採り、地元の農協へ卸している人がいる。そこから昨日食べきれないほどたくさんの筍を頂いた。一個一個が、で、でかい。

すでに下ゆでしたもらっていたので、昨晩はまず刺身で。今日は昆布と一緒に煮て食べた。シンプルな調理のほうが、筍本来の味がわかっていいらしい。たしかに。家でこれだけおいしく食べられたら満足だ。明日は筍ご飯をするらしい。

旬のものを食べるのは、体にとって大事なことなのだ。でも、何がいつ食べ頃なのか、実はあまりよく知らない。たとえば今日、山本益博の番組でいちごを取り上げていて、いちごは本当はこれからが旬だと語られていたが、全然知らなかった。

そういう意味では、今の生活は自然の流れを感じる、というか周りが勝手に感じさせてくれるのでありがたい。

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2007年4月18日

それでもまた一歩前へ

朝からさめざめと雨が降るなか、長崎へ行った。市長が凶弾に倒れるという事態に陥った今日の長崎市に、雨以外の天気は不釣合いだったろう。すべてが寂しげに映る。

今日メインでお会いした人はもともと市の関係者で、故伊藤市長とも親交があった方なので、ひじょうに落胆されていた。他の人たちも異口同音に、素晴らしい市長だったと語っていた。市民にとても信望のある政治家だったらしい。なんともやるせない。

バージニアの大学の事件にしてもそうだが、次の瞬間命は途絶えるかもしれない、そんな当たり前のことをあらためて考えさせられる一日だった。月並みだが、いつ死ぬかはわからないのだから、できる限り今を一生懸命生きるしかない。

帰りはちょうど雨が上がったばかりで、光が射し、山は澄んで、海はきらきらと反射していた。自然は豊かで、そして動いている。誰人も、立ち止まってはいられない。どんな状況であれ。大きく息を吸って、ゆっくりと吐き出したら、また一歩前へ進み出そう。豊潤な心を目指して。

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2007年4月17日

政治とメディアと国民の思惑の一致

昨晩たまには政治学の勉強をと思って、猪口孝が編集長で Cambridge University Press から出ている英文ジャーナル Japanese Journal of Political Science の最新号(Vol. 8, No. 1)のタイトルを眺めながら、面白そうなのをダウンロードして読んだ。

Ikuo Kabashima and Gill Steel, "How Junichiro Koizumi seized the leadership of Japan's Liberal Democratic Party" (pp. 95-114)

という論文。小泉前首相はメディアを活用し、またメディア側は彼に振り回されもしたが利用もし、そして国民はその報道に多大な影響を受けて小泉政治を解釈していた、という内容。すでに日本語の世界では言い古されたことである。深く掘り下げた議論はどこにもなかったが、2001年の総裁選前後の政治と報道をめぐる枠組みが概括的に提供されていて、再確認にはなる。

小泉さんの手法への批判、それにまんまと乗ってしまったメディアの自己批判は、小泉政権の回顧とともにいやというほど聞いているが、小泉時代に関係なく、メディアは結局のところ、低俗で面白いネタに走りがちだ。見てもらわなければいけない、読んでもらわなければいけない、買ってももらわなければいけないからだ。つまり、儲からなければ元も子もないのだ(上の論文でも指摘してあるが、小泉さんはそれをよく心得ていた)。だから、久米宏のニュースが受けるようになると、民放はこぞってニュース番組のソフト路線化とどうでもいいコメント挿入を始めるようになった。

政治側はメディアを利用したいという誘惑に駆られ、メディア側は刺激的な報道をしたいという欲望を抱き、一般国民は観客と化して面白いものを見たいという欲求を捨てられない。これら三者の傾向性は、どんなに政治が成熟しても、民主主義のもとでは考慮せざるを得ない要素として残るだろう。それがそれぞれ極端に走らずに、お互いうまくチェック・アンド・バランスの関係であることを望むしかない。

この三者の思惑が、浅薄なレベルだったかもしれないが奇妙に一致したということが、小泉政治の重要な一面だったのではないだろうか。しかし、それができたのも、小泉さんやその周辺のキャラクターが人間味あふれていて、彼らが追求した政治や政策が国民の多数に共感を生むものだったからだろうと思う。素材が良かったのだ。

それに比べて安倍政権の素材がまずいことは否めない。

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2007年4月16日

欠落部分の意味するところは何だろう

The Lotus Sutra の "The Parable of the Medicinal Herbs" を読んだあとに、『法華経』の「薬草喩品」に目を通してみた。あら、鳩摩羅什訳には後半部分がないのね。僕が読んでいる The Lotus Sutra は、翻訳の方針が羅什訳を英訳するということで、サンスクリット本は完全無視なのでまったく触れてないのだが、羅什訳では薬草喩品の後半が欠落している。

なぜなんだろうとネットで探っていたら、漢訳の土台となった原典の違い、成立年代の違いなどが挙げられている。欠落している部分に対応するサンスクリット語の和訳を読む限り、別に流れが変わるとか、なにか都合の悪いことを述べているということはなさそうなので、羅什があえて訳さなかったのではなく、依拠した原典が違うのだろう。

真夜中まではまってしまいそうなので探るのはすぐにやめたけど、謎が多くて面白いなあ。僕が10年ぐらい前に聞いたときは、漢訳本より古いサンスクリット語本は発見されていないということだったけど、今でもそうなんだろうか。

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2007年4月14日

あやうい記憶

気分転換にブログのデザインを変えた。スパム対策は向上したようなので、コメントに関しては一旦保留を解除。リンクしていたブログのいくつかは消滅してしまっているので、とりあえず現在更新を自動的にチェックしているものだけに限定した。鉄血人文主義者さんはその後どうされているのだろう?

いらない本を古本に出そうと思って本棚の整理をしていたら、すごいものを発見した。

これ、大江健三郎の直筆サイン。ノーベル賞受賞後に出版された "Nip the Buds, Shoot the Kids"(彼の最初の長編『芽むしり仔撃ち』の英語版)というタイトルのハードカバーだ。

うーん、一体どこで手に入れたんだろうか。まるで思い出せない。大江さんに会ったのかなあ。どっかで講演を聴いたのだろうか。東京で買ったんだろうか、ロンドンだったのか。こんな重要なことを忘れ去っているなんて、いったい私の頭はどうしてしまったのだろうか。

でも古本行きにならなかったのは、手に取った瞬間、何か感じるものがあったからだ。サインとは結びついていなかったけども、「この本、何か特別じゃなかったかな?」という考えが横切った。もう途切れんばかりのかすかな記憶が残っていたのだろう。

他にも、持ってないと思い込んでいて、Amazon で購入するつもりだった英語の書籍が出てきたり。いやはや、あやうい記憶の基盤のうえで生きていることよ。

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空間があるのも良し悪し

さすがにもう散ってしまったけど、今年の桜はけっこう長く咲いていたような気がする。僕は桜の下で宴会をすることに趣きを感じない。毎年一回でいいから、どこかでしばらく静かに眺めていれば、もうそれで十分満たされた気持ちになる。あとは車窓に流れる美しい桜色の景色に目をやるばかりである。

あっという間に金曜の夜を迎えた。先日、兄の仕事場や事務所として使っている部分をもうちょっと整理された空間にするべく、片付けの天才である従姉を呼んで一気に片づけた。おかげで気持ちのいい空間になった。

はっきり言って、わが家は無駄に広すぎる。しかも、整然としていないと僕は気が済まないので、ここに本格的に住むようになってからひと部屋ずつどんどん物を処分していってるうちに、さらにスペースが広がってしまった。それで分かったこと―空間があるのも良し悪しで、逆に落ち着かないときもあるということ。

ここは僕の持ちものじゃないし、将来も譲ってもらおうとさらさら思っていないので、あんまり力を注ぐ必要もないのだが、今後この家をどうしていくか、時折考え込む。ここに詳しく書けないけども、短期的長期的にいろんな要素が絡まってくる。

でもそんなこと今悩んでみたって仕方ないんだよな。破天荒だった父が生きていたらきっと、「じゃあもう一回建て直そう」と言うだろう。なにせ、この辺全部買うと根拠のない計画を立てていた人なので。たぶん、そういう楽天的で前向きな姿勢に天は味方するのだ。

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2007年4月11日

制約のなかに創造が

それぞれの訪問先でいろんなものを飲み食いしてお腹いっぱいで帰ってきたら、家ではちらし寿司とケーキが待っていた。今日は3番目の姪の高校入学だったのだ。お願いだから寿司は半分で、と言って無理して食べているときに、近くのパン屋さんからさらにケーキを頂き、結局どちらのケーキも食べる羽目に。ふだんは9時以降には食べないで、ある程度お腹を空かせてから寝るようにしているので、今横になったら気持ち悪くなりそうだ。もう少し起きていよう。

たまたま見た今日の『プロフェッショナル 仕事の流儀』で、こんなことが語られていた。「制約のなかに創造がある」。ああたしかにそれはそうだなと納得した。人間のこの生のなかで、そもそも無限という条件が与えられることはない。有限という負荷があるからこそ、そこに思考が生まれ行動が起こるのであって、無限に対して挑戦は存在しない。

僕も今の生活環境をむしろ喜んで感謝して、ここで精神的にも実際上も何かつくり出していこうと、あらためて自分自身に言い聞かせた。

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2007年4月 9日

答えは海苔だった

朝から雑多なデスクワークで一日終わってしまった。こういうのがいちばん嫌だな。

東京から海苔が送られてきた。先日の何かを送るという電話の答えはこれだったのだ。りんごって言われた気がしたんだが……(いやそりゃこの季節にりんごはおかしいよな、と思ってはいたけどね)。梱包を解きながら、えぃ、俺は海苔の本場、有明海の生まれだぞ!と冗談を飛ばしたりしたが、もちろん東京湾の海苔もおいしいので、ありがたく頂いた。

ここ数日、左目まぶたがぴくぴく震えている。良くない兆候だ。顔面神経痛にならないように気をつけよう。

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首長のほうが面白い?

昼ごろになって起きた。座敷に行くと、花瓶にオレンジ色のキンセンカが挿してあった。近くの知り合いの方が持ってこられたそうだ。その続きの部屋のテーブルには、チューリップが数本挿されている。これはまた別の人が届けてくれたらしい。花が一輪でもあると、空間の雰囲気が全然違ったものになるから不思議だ。

夕方、知事選の投票へ。結果は最初から分かっているけど、選挙に行かないという選択肢は僕にはない。政治は好きだし、投票しない人に文句を言う権利はないと思うので。

最近、国会議員から知事や政令都市の市長に転じる人が多い。首長のほうが魅力があるのだろう。小さくても一国一城の主であるし、東京都にいたっては世界中の多くの国よりも実質的な力を備えている。

国会議員が当選したときのインタビューなどを聞いていると、どこか抽象的で空々しさを感じる。結局、議員というのは one of them でしかないからだろう。その点、首長の話は面白い。その人の考えとほぼイコールでこれからの政策を結びつけることができるからだろうと思う。

どこでもそうなのだろうと願いたいのだが、僕の実家の周辺自治体を見渡すと、けっこうやり手のしかも若手の首長が多い。地方に魅力的な知事や市長が増えるのは、日本の政治の将来にとって良い影響を与えると思う。

夜はまだまだ肌寒い。焼酎のお湯割りを飲もうっと。

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2007年4月 8日

本当に大事なことは心に記憶されている

金曜や土曜の夜は、薄暗いところでワインに酔いながらメロディアスな音楽を聴いていたい。なかなかそんなことはかなわないけど。

福岡市内を離れたばかりだというのに、地下鉄であちこち移動しながらついつい、次に住むならどこがいいだろうと考えてしまう。以前住んでいた百道浜はやはり一番候補。完全に人工的な街でお店もあんまりないけど、海がすぐそこで、通りは広々としている。大きな図書館もあって、福岡ドームもすぐそこ。ふらっとホークスの試合を見に行くというのが暇つぶしだった。

実家で家族が使っていたパソコンがいかれてしまい、再セットアップをすることになった。再セットそのものはすぐに済むが、各ソフトを最新状態にしたり、不必要なものを外したりして、使いやすい状態にもっていくまでが意外と時間掛かる。昨日今日とけっこうそれに時間を費やしてしまった。最後に全体をスキャンして、夕方終了。これを機に、でたらめに使うことや無秩序に保存することを禁じる旨、家族にお達しを出すつもり。

家族が使っていたものだから、データのバックアップなんかもちろん取ってない。みんな消えちゃうけどいいよな、と最後通告をして開始した。まずデータを消して再セットアップの準備が始まった。目盛りが左から右へ動いていく。それは、今までの記録がこの世から抹消されていることを示していた。いいさ、最初からなかったと思えば。みんなにはそう言ったが、もちろん一抹の寂しさも感じた。

きっと僕らは、いらないものを残しすぎるのだ。なんでもかんでも残すから、その喪失感が大きいのだ。時々、大胆に捨てよう。その果てに残るものだけで、思い出も過去の財産も十分なのではないだろうか。

それに本当に大事なことは、心のなかに勝手に記憶されているはずだ。それは消そうと思っても消せない。リセットすることなんてできない。真に一からスタートということは、僕たちにはできないのだ。僕らはいつも過去を、その善も悪も負いながら、未来へ歩んでいかなければならない。そして、その蓄積のなかで人間性が醸成されていく。僕らはそんな存在なのだ。

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2007年4月 4日

男も美的なケアを

庭の楓やあんず、金木犀の木々から、若葉が一気に顔を出した。

今日は寒い一日だった。こんな日、人間はちょっと着込めば済む話だけど、植物は出し始めた葉っぱを引っ込めるわけにはいかない。じっとその場で耐えて生き永らえている植物っていうのは、人間なんかよりずっと偉いんじゃないかと思った。実際に、抗酸化をはじめとしたフィトケミカルの力を借りて、人間の病気を治癒していく研究はどんどん進んでいる。そんなもので治るもんか、と偏見を持っているような人間は時代遅れも甚だしいと僕は思う。

今日会った女性の人たちに、肌がきれいですね、と羨ましがられた。よく言われるのだが、そのたびにどう反応していいか悩む。別に自分ではそう思わないのもあるが、それ以上に、男としてこれが褒め言葉であるのかどうかわからないからだ。毎度のことながら、スキンケアをちゃんとやりましょうね、という話になって、ああしてこうして、ということを語っていると、なんで俺はこんなことしゃべってるんだろう?と苦笑してしまう。慌てて、そっち系じゃありませんよ、と念押ししたりする。

でもこのご時勢、男も女もあんまり関係ないかもね。清潔感を求める人は、男女問わず多いわけだし。僕の兄なんか丁寧に爪を磨いている。僕にもしきりにやれと進めるのでやり始めたら、これがなかなかいい。

あんまり度が過ぎてくると誤解されちゃうけど、適度に体の美的なケアをするのは楽しい。

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2007年4月 2日

満腹感のない一日

朝から、食べても食べても満腹感を感じない妙な一日だった。生理学的に食欲がなぜ起こるのか、もしくはなぜ減退するのかという理論にはいくつかの説がある。しかし、まあそんな話は置いといて今日の自分を見ていると、思いつく点は3つ。

1. 日頃と比べて体を動かしすぎた
2. 気が張っていた
3. おいしいという満足感が足りなかった

とくに、リラックスして食事するってかなり大事なんだよね。今日はそれが全然なかった。明日は気をつけよう。

朝、外に出ようと思ったら、車が砂だらけ。…黄砂だ。昨日、雨も降ったので、それでよけいに砂の付着しているのが目立つ。とてもじゃないが出られる感じではなかったので、まずは水洗いをする羽目になった。しかし、こんなにひどいとは。それで気になって、他の人の車を行く先々でチェックしてみると、やはりほとんどが汚くなっていた。周囲のかすみも昨日からおさまっていない。去年もこんなにひどかったかな? その威力ぶりにちょっとびっくりだ。

夜、本を読みながら、ソファでうたた寝をしてしまった。夢の中では、どこか燦々と光の降り注ぐ国で気持ちよく遊んでいたが、目が覚めるととたんにぶるっと震えた。夜はまだだいぶ冷える。

そういえば、気象庁の使用する言葉のなかから、「宵のうち」が消えるんだそうだ。この味わいのある言葉をあえて残そうという粋な計らいを、どうして彼らはしないのだろうか。一方、政府では、恥ずかしげもなく「美しい国づくり企画会議」と銘打った会議が始まる。ああなんという底の浅さ。「美しい」を連発する前に、美しい日本語を使おうよね。

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2007年4月 1日

4月は再度一年の始まり

The Lotus Sutra の "Belief and Understanding" (第四『信解品』)を読む。

静岡では真夏日だったらしいが、九州はこの週末ずっと天気が悪かった。花見どころじゃなかったよ。昨日から外に出ていなかったのでまずいなあと思って、雷や風がおさまった夕方、ウォーキングに出た。2キロぐらい歩いて戻ってきて、ふと思い出す。「どうして反対側に行かなかったんだ? そっちへ行ったら川沿いの桜も見れただろうに」。ああ、きっと気がせっていたんだ。今日から4月で新年度のスタートでもあるし、なんて考えながら。

と言いつつ、朝一番で掛かってきた仕事の電話の内容をいまいちはっきりと思い出せない。寝ぼけていたので、適当に答えてしまった。来週の何日から何日までは不在です、といった内容だったと思う。それから何かを送ると言われたんだが、それが何だったか。まあ待っていれば何か届くんだろう。

月初めはいつも家族で話し合いを持つことになっている。このひと月各自どうするのか、そんなことを決めるのだ。今日は日曜だったけど、みんな揃っていたので夜になって急きょ開催。何か事業を新たに起こそうかと、またアホな話で最後は盛り上がる。でもなあ、土地は余っているし、能力も余っているし、本当に何か考えてもいいんだよな。このところ、僕が「あとこれだけ金が余分にあったらなあ」と言っていると、毎回それだけのエクストラな収入があるので(右から左へと流れていってしまうが)、今日僕が何気なくぼそっと言った金額を聞いて、みんなが「だったらそれだけ入ってくるんじゃないの」と裏の目標として掲げられてしまった。破天荒な数字なんだけど……。時々、わが家はとってもラテン系だ。

4月は仕切り直しをするにはいい月だ。これからまた一年が始まると思って、ちょっと気合いを入れて今月は頑張ろうと思う。

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