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2007年3月 5日

『たそがれゆく日米同盟』

いかにも春というようなうららかな天気で、気持ちのいい週末を過ごした。今年は雛壇を出すことなく終わってしまったが、みんなでちらし寿司を食べてお祝い。ひと月ぶりにビールを飲んだら、1杯でくらくらした。「できるだけ禁酒」状態はもう2年になる。飲むときは飲むし、飲んで楽しむことはするが、飲酒を習慣にしないという姿勢。すっかり体になじんで、今では無意識に実行している。

朝早く起きようと努力しているが、こっちのほうはなかなか難しい。昨晩は早く床に着いてみたが、逆にいつもより遅くまで眠れなかった。もうろうとしたところで、どでかい雷が鳴って呼び戻されるし。結局、読みかけだった本を読了してしまった。

『外交敗戦』に続いて、同じ手嶋龍一の『たそがれゆく日米同盟―ニッポンFSXを撃て』(新潮文庫)を読んだ。日本の戦後安全保障史を読むたびに、FSX(次期支援戦闘機)の文字が出てくる。一体何が問題だったのか?という疑問はずっとあったので、手にとってみた。戦闘機を純国産で開発しようとした日本側の試みが、アメリカの一部の勢力によって、ずるずると日米共同開発へと後退させられていくという話。

FSX問題が起こったのは80年代の終わりなのだが、当時の日本はバブルの絶頂で、その経済力はアメリカ指導部を震撼させる勢いだった。実際、国際政治の論文のなかでも、日本脅威論がかなり存在した。FSX問題がそれと強くリンクしているところが興味深い。時代が生んだ問題だったともいえる。

それから、政治というのは、どこかで意図的に流れができてしまうと、そこに意識も議論も集中してしまい、問題の全体像が薄らいでしまう危険性があるということを、あらためて感じた。アメリカは政府も議会も、FSXについて最初は何も注目していなかった。それが、あるひとりの国務省職員の精力的な動きによって、連邦議会から火の手が上がった。

FSX問題から十数年を経て、今では日本脅威論は存在しない。湾岸戦争を機に、自衛隊の活動も変わってきている。しかし、FSXのときに投げかけられた日本の長期的な安保政策の方針は、いまだに揺れている。揺れているのはいいが、しっかりとした議論すらないのではないだろうか。

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