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2007年3月18日

プラトンにはまっていた頃

マンションからの撤退をだいたい済ませた。これからしばらくは、実家の寝るだけだった部屋をちゃんと自分の部屋にして住まなければならない。

僕の部屋移動と、区画整理で家の小屋が引っ掛かるのと、物置部屋になっているところの再生と、他に本の整理やらなんやかんやで、向こう1ヶ月ぐらいは断続的に5部屋ほど片付けることになりそうだ。週末もおちおち寝てはいられない。

この際プリント類を全部捨てようと思い、どんどんファイルから外していると、プラトンの書物についてまとめた書き物が出てきた。ワープロの字なので、10年以上昔のものだと思う。「魂の不死と想起に関する抜粋」とか「『国家』における正義」といったテーマで、書き抜きしたり考えをまとめたりしてある。その頃の気分が垣間見えて懐かしかった。

それを見ながら思い出したけど、確かその頃、ある女子高校生の集まりに呼ばれて、「学ぶことと可能性の引き出し」という主旨の話をしたことがある。その話のもとになったのはやはりプラトンの『メノン』だった。プラトン、また読んでみようかな。

いろんな人からの手紙、探していた写真なども出てきた。デジタル化した今の世の中にはない味わいが、それらのなかには込められている。

いちばんびっくりしたのは、今は亡き義姉がくれた5千円札1枚が封筒の中に入っていたこと。添えられていた手紙から推測するに、ある節目のときに「少ないですけどお礼です」ということでもらったようだ。なぜそれを使うことなく取っておいたのだろうか。きっと大事に使おうと思ったのだろう。なんだか今さら使うのはしのびないので、来月高校へ進学する義姉のいちばん下の子に渡そうと思う。

作業をしながら、BBC World Service を流す。今日はやけにすんなり耳に入ってきた。世界中のひどいアクセントがたくさん聞けるのは World Service ならではだなと思う。

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