« 豊饒の海になりたい | トップページ | 母の思いは強い »

2007年2月 9日

意味をつくるのは自分次第

前々から予定していたちょっとしたお祝いのため、10人ぐらいで食事会を兼ねて集った。こういう楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、全然話し足りなかった。また1年後にみんな元気な姿で集まって、もっと豪勢なパーティをすることを約束して解散した。

人間のつながりの不思議さを感じる今日この頃。

父は20年前に亡くなったが、亡くなる直前に家族以外で誰に会っておきたいか父に尋ねたところ、あるご夫婦の名前が上がった。先方に電話をすると、遠いところすぐにおふたりで来てくださり、いっとき枕元に居て話しかけてくださった。その方たちが帰られると父は昏睡状態になり、しばらくして息を引き取った。

それから長くそのご夫妻とは会うことはなかった。それが去年、母のふとした思いつきがきっかけでまた出会うことになり、今度はその息子さんと僕がとても親しい間柄になった。公私ともにお世話になっている。ご夫妻もとても元気にされている。今やこのご家族は、わが家にとって無くてはならない存在になってしまった。

同じように、十数年会うことのなかった方と仕事上の人脈のなかで紹介されて再会したということが、最近2回あった。そういうとき、「世間は狭いですね」というのが決まり文句だが、それで終わらせられない運命の糸を感じるのである。「ああ、あの頃一緒に苦しんだり喜んだりした人たちと、また手を取り合って生きていくようになっているんだな」と過去と未来を結びつけては感動している。

人生の出来事にどんな意味があるかはわからない。すべてに意味があるよと言うが、もしかしたら、意味が最初からあるのではなく、その人のその後の振る舞いによって、それに応じた意味がつくり出されていくのではないだろうか。意味はひとえに自分の取り方と取り組み如何なのではないかと思うのだ。

だから、前向きに建設的にものごとの意味は考えたほうがいい。それが因となって行動を起こせば、未来において振り返ったときに、本当にそういう意味を過去に見出すだろう。

|

« 豊饒の海になりたい | トップページ | 母の思いは強い »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 意味をつくるのは自分次第:

« 豊饒の海になりたい | トップページ | 母の思いは強い »