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2007年2月28日

希望はいちばん最後に死ぬ

「逃げる2月」はあっという間に終わってしまった。暖かな日が多かったなあ。本当に環境は大丈夫かと心配し始めた人も多いのではないだろうか。今日の昼間など、外で太陽の光を浴びていると、日差しの強さがかなり強くてびっくりした。でも、三寒四温というのはやはりまだきちんと機能しているようで、今晩は急にまた冷えている。

わが家が抱えている問題は減っているのか増えているのか、はたと悩んでしまった。大家族の行く末を安定させるべく陣頭指揮を執っていて、間違った方向へは進んでいないと思うのだが、それでも時々不安になる。

今日ひとつ決断をした。それは、マンションの賃貸をやめること。緊縮財政を強いているなか、家族に範を垂れる必要があるし、明らかにいちばん無駄な出費でもあるので。実際、最近はあまり使っていなかった。さっそく退去手続きを申し込んだ。

でも、半年経ったらまたどこか借りられるように、経済の立て直しをしようと思う。「だから、それが無駄じゃないの?」と問われそうだが、希望を持ってないとやってられないので。実際わが家は経済的に今けっこう大変な状況なのだが、語り合っているとすぐに、「ここに3階建てのビルを建てよう」とか「裏の土地をそのうち買い戻そう」とか「次はBMWを買おう」とか言っていて、傍から聞いていると「お前らアホだろ」というような家族である。

高校生の頃だったか、「希望はいちばん最後に死ぬ」というブラジルの諺を教えてもらった。その言葉を時々思い出す。苦しいときは苦しさを楽しめばいい。もう二度と苦しむことはできないかもしれないから。そして、闇はそのうち暁に変わり、冬は絶対に春になるのだから、それを期待して生きていればいいのだ。

明日から3月だ。

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2007年2月27日

早起きはできない?

お久しぶりです。

いつも夜の時間にブログを書いていたのだが、何かと時間が取れない昨今なので、じゃあ朝早く起きて書こうと決意した。……が、それが見事に決意倒れであることは、ここのサイトの状況が明確に示している。朝早く起きるっていうのは辛いなあ。都心で1時間とかそれ以上かけて通勤している人のことを考えると尊敬してしまう。とても僕にはできそうもない。

考えてみたら、朝早く起き続けなければいけなかった時代は、高校のときで終わっている。それも校内にある寮だったから、通学している人に比べたら楽だったんだよな。小学校のときですら、集団登校したことはほとんどなかった。理由は、裏門から入れば学校はすぐだったから。もちろん登校は正門からだったし、みんなと一緒に歩いてくることになっていたのだが、わざわざ遠くで集まって遠回りして行くのは納得がいかなかった。いつも裏から駆け込んで登校していた。できるだけ寝ていたかったんだよ、きっと。ああ、なんだか僕の人生、昔からぴしっと芯が通ってない。

イギリスにいる友人からメールが来て、論文の修正をあと少しだけすれば博士号が取得できることになったと書いてあった。返事にも書いたんだけど、よく耐えて頑張ったなと思う。偉いです。それでわが身を振り返ってみたのだが、やっぱり僕は根気のなさがダメなんだ。

この間上京した際少し時間があったので、近くの慶應三田キャンパスを散歩した。その時感じたんだが、アカデミックな場所で一生過ごしたいなという憧れが心の中にある。いや、ただ単に本に埋もれて、時間を気にせず過ごしたいという欲求かもしれない。金さえ十分にあれば、物書きをして一生を終えたいという気持ちもある。『街道をゆく』のような仕事をしていたら、さぞ幸せだろうなと思ったりする。

まあ結論を言うと、現代社会の多くの人が所属している会社組織のなかでは、あまり生きていけそうもないということだ。

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2007年2月21日

花粉には花粉で

ちょっと最近は心が落ち着かないのだが、そんななか、2番目の姪がチョコといちごのケーキをつくって持って来てくれた。もともとパテシエを目指して製菓の学校へ行き、店で働いた経験もあるので、彼女がつくるケーキはいつもうまい。スポンジが口の中で溶けそうだった。

今日は花粉の量が多いとまわりでは騒いでいるが、僕はちっともわからない。できるなら一生わかりたくない。花粉症の人はさぞたいへんだろうと思う。花粉には花粉で対抗するのがいちばんではないだろうか。その対処法で、うちの姉家族などはかなり改善している。

今晩は久しぶりに、ひとりで静かに過ごす。ニュースもしばらく見ていないし、ゆっくり考えごともしたい。ブログを書くリズムも取り戻さなければ。

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2007年2月18日

ここ数日はあっという間に

ここ数日来客が多く座ってばかりいるので、昨日などは話している途中で突然立って股関節を動かしたりしていたら、相手に怪訝な顔で見られた。そりゃあそうだよなあ。われながら苦笑。そういう感覚が鈍感になってきているのは良いことなのか悪いことなのか……。でもずっと座っていると、なんか嫌な感じがするのだ。

話し相手に風邪を移されそうにもなった。でもいつものように、免疫力を上げるエキナセアや抗酸化力の高いサプリメントを摂取して、大事に至らず切り抜けた。毎度のことながら、植物の力畏るべし。そういえば、長いことまともな風邪を引いたことがないな。

人前で話した内容は思ったより好評だった。どうにかなるよ、という僕の姿勢は相変わらずで、つめが甘いのは重々承知しているのだが、時間がないときは仕方ない。

今日は亡き父の誕生日だったので、赤飯を炊いて祝う。

あっという間に過ぎていったここ数日。疲れたので、以上おしまい。

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2007年2月14日

忙しさのなかで忘却することも

しなければいけないことと、来客の対応と、メールや電話での問い合わせに丁寧に返事をすること ― そんなこんなで、忘れてしまうこともある。

今日がバレンタインデーであることを夕方まで忘れていた。思い出さないほど、今の僕の生活は彩りがないということだ。姪たちからもらって気づいた。

それから昨年のちょうど今日、大事なことに着手したことも忘れていた。1周年なのに。

明日ちょっとしたセミナーで話をするので、その準備をしていたのだ。ずっとイスに座っていた。本当はもっと重要な書類をつくらなければいけなかったのだが……。夕方にはまた厄介な問題も飛び込んできて。

えぃっ! 全部どうにかするぞ。ため息をついている暇はない。

夜10時過ぎてから、お手製のおでんをつまみにうまい日本酒を飲む。しばし酔う。

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2007年2月12日

インドの国力は知力

昨晩遅くテレビをつけたら、NHKスペシャルの再放送で、IIT (Indian Institute of Technology) を中心としたインドの教育についてやっていた。

IIT のことは、Thomas Friedman の "The World is Flat" で何度も言及されていたのでその本のなかで知ったのだが、映像を見ながら、あらためてIIT のレベルの高さと卒業生たちの世界的でハイレベルなネットワーク、そして彼らの国家への報恩の気持ちの強さに驚きを感じた。

Friedman が書いていたが、IIT で勉強することと比べたら、Harvard や MIT なんかとっても楽なんだそうだ。IIT を卒業してアメリカに留学するとそう思うらしい。今や IIT の卒業生は世界的企業から引っ張りだこである。

IIT は独立間もない1951年(だったと思う)、ネルーの肝煎りで最初の学校が創立されている。国力をつけるには知力であるというねらいがあった。しかも最初は国にすら財力がないので、数学というお金のかからない分野に特化した人材を生み出していく。それが大きく花開くのは、コンピュータの時代が到来したこととネットによって地理の概念が崩壊してからであるが、教育が一朝一夕で成果が出る事業でないことを考えれば、50年前からの地道な国レベルでの取り組みがあったればこそなのである。

番組ではその他、小学校での算数の授業や、貧しいが向学心に燃える若者たちが何百人と集まって朝から夕方まで勉強している姿などが映し出された。

国全体としては識字率が低いとか進学率が低いという問題があるが、なにせ人口の母数が桁違いなのだ。若者は5億人いるのだという。人材はくさるほどいる。そしてフラット化した世界にあって、彼らは世界を相手に仕事ができる。彼らにはそもそも英語という強大な武器があるのだから。

Friedman の本にはこんな話も出てくる。アメリカの学生の家庭教師はネットを通じてインド人がやっているとか、アメリカの病院で撮った MRI の画像をインドにいる解析専門の医師が見て診断するとか。時差がちょうどいい具合になっていることもあるが、仕事のできる知的労働者がインドではたくさん見つかるのだ。しかも勤勉とくるから申し分ない。

番組を見ていて、だんだん怖ろしくなってきた。教育レベルが悪化している日本は、いったいこれからどうなっていくのだろう。英語も使えないし。あんなの見ていたら、ゆとり教育なんて吹き飛んでしまう。「彼らはお金目当てでしょう」と見下して自己満足するのは簡単だが、結果的に僕らは経済的に圧迫を受けることになるし、教育の失敗がその根本原因になる。しかも、 IIT の学生たちには、お金以上の崇高な使命感みたいなものがある。なんたって、モットーが "dedicated to the service of the nation" だから。そこから来る彼らの根性たるや、今の日本人はとてもかなうまいと思う。

今ひとりでじたばたしても意味はないのだが、昨晩からずっと、とても落ち着かない気持ちでいる。

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2007年2月11日

マンデリンを飲みながら勉強

セミナーに参加するつもりだったけど、たいした内容じゃないのは明らかだったので、時間の無駄だと思って行くのをやめた。

その分自分で勉強したほうがいい。家で勉強して、それから天神の奥まったところにある喫茶店で続きをやる。ここに来るのも久しぶりなら、マンデリンを飲むのも久しぶりだ。数百円の出費で得られる安上がりの幸せ。

ひとりで住んでいるときは、マンデリンの豆を買ってきて家でも飲んでいたけど、今は実家にいる時間が長く、そうなると5人分とかつくらなきゃいけないし、しかも一日に2回はお茶をする家族なので、単純に豆がもったいないので買い置きしていない。ひとりでマンションに籠るときは、歩いて出かけたほうが気分的にもいい。ということで、最近マンデリンは喫茶店でしか飲まない。

喫茶店はたばこの臭いと煙さえなければいいんだが。みんな何故にたばこを吸うのだろう。そんなに健康のリスクを負う必要もなかろうに。この間、ファミレスの喫煙エリアに、若い男女5人が小さな子をふたり連れて入っていった。すぐさま子どもを囲むように、大人どもがたばこを吸い始める。アホすぎるというか、罪だろうよそれ。

ジュンク堂でぶらぶらした。ああ、あの本もこの本も読みたくなる。世の中知らないことだらけだ。知の渇望。とにかくあらゆることを勉強しよう。金にはならないけど。

細胞の勉強は続けていて、生化学の観点から、糖質や蛋白質の代謝について勉強。それから、NHKスペシャル『生命-40億年はるかな旅』第3集を見る。骨の誕生と海の関係について知る。BBC Radioのニュースを流しながら、同時に他のことをしようと試みるが、まだまだ日本語のようにはいかない。どうしても英語に聞き耳を立てないと、すんなりとは入ってこない。せめて英語ぐらいはものにしないと。

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2007年2月10日

母の思いは強い

先月、息子さんに腎臓を提供された方が退院されたので、ご自宅にお会いしに行った。手術は無事に成功し、息子さんも順調に回復されている。いろいろと体のことでアドバイスをしている方で、移植手術に関しては心配していたが、今のところ問題なく進んでいるので安心した。

術後は成功したという嬉しさよりも、痛みが激しくて苦しい思いのほうが強かったそうだ。お産のときぐらいかなと甘く見ていたけど、それ以上だったと。まさに身を削って、子どもの命を救った。すごいことだなと思う。腎不全がひどくなってすぐに、「私が提供します」ときっぱりと言われていた。その気持ちが揺るいだことは一度もなかった。母の思いや強し。

これで病気が治ったわけではない。腎機能の問題は和らぐとはいってもずっと抱えていかなければならないし、免疫の問題も残る。しかし、新たな人生の出発であることは間違いない。いわば母から授かった二度目の人生の意味を彼は深くかみ締めながら、きっと大切に生きていくであろうと思う。

人はそれぞれ違った問題を抱えながら生きている。問題がないことが幸せなのではなく、問題を乗り越えようとすることと、実際にそれを乗り越えることのなかに、人生の醍醐味はあるはずだ。

帰り際、お母様の晴れやかな笑顔と、今の季節にふさわしくないさわやかな風を体に受けたら、とてもうららかな気分になった。

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2007年2月 9日

意味をつくるのは自分次第

前々から予定していたちょっとしたお祝いのため、10人ぐらいで食事会を兼ねて集った。こういう楽しい時間はあっという間に過ぎるもので、全然話し足りなかった。また1年後にみんな元気な姿で集まって、もっと豪勢なパーティをすることを約束して解散した。

人間のつながりの不思議さを感じる今日この頃。

父は20年前に亡くなったが、亡くなる直前に家族以外で誰に会っておきたいか父に尋ねたところ、あるご夫婦の名前が上がった。先方に電話をすると、遠いところすぐにおふたりで来てくださり、いっとき枕元に居て話しかけてくださった。その方たちが帰られると父は昏睡状態になり、しばらくして息を引き取った。

それから長くそのご夫妻とは会うことはなかった。それが去年、母のふとした思いつきがきっかけでまた出会うことになり、今度はその息子さんと僕がとても親しい間柄になった。公私ともにお世話になっている。ご夫妻もとても元気にされている。今やこのご家族は、わが家にとって無くてはならない存在になってしまった。

同じように、十数年会うことのなかった方と仕事上の人脈のなかで紹介されて再会したということが、最近2回あった。そういうとき、「世間は狭いですね」というのが決まり文句だが、それで終わらせられない運命の糸を感じるのである。「ああ、あの頃一緒に苦しんだり喜んだりした人たちと、また手を取り合って生きていくようになっているんだな」と過去と未来を結びつけては感動している。

人生の出来事にどんな意味があるかはわからない。すべてに意味があるよと言うが、もしかしたら、意味が最初からあるのではなく、その人のその後の振る舞いによって、それに応じた意味がつくり出されていくのではないだろうか。意味はひとえに自分の取り方と取り組み如何なのではないかと思うのだ。

だから、前向きに建設的にものごとの意味は考えたほうがいい。それが因となって行動を起こせば、未来において振り返ったときに、本当にそういう意味を過去に見出すだろう。

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2007年2月 8日

豊饒の海になりたい

夕方、釣りたてのイカをたくさん頂いたので、さばいて刺身にし、げそは煮て食べた。新鮮でもちもちして甘い。久しぶりに包丁を握った。

同い年の画家の友人は、僕らの歳にしては珍しく前川清が好きで、モンマルトルの近くに住んでいるときも、彼の部屋から流れてくる音楽はもっぱら前川清だった。2週間彼の部屋で寝起きしている間に、こちらも感化されて歌詞を覚えてしまい、夜更けにセーヌ河のほとりを歩きながら、ふたりで「花の時・愛の時」を大声で歌ったりした。とっても良い歌なのだが、最初さびの「♪貝になりたい~」を聴いたとき、なんじゃそれ?と思った。

今日知り合いのおば様と話をしながら、「僕は海になりたい」と語った。人はそれぞれいろんな思想や人生観、行動原則をもっていて、相容れないところも多々ある。しかし、自分と合わないからといって批判したり排除したりしてばかりいると、相手からも同じような仕打ちを受ける。そうやって戦うのもいいだろう。

しかし、それでは自分にとっても相手にとっても、生命を研くという観点からは実は建設的ではないような気がしてきた。それはお互いエゴのぶつけ合いでしかないし傲慢だ。

「多様性を認める」という姿勢は言うは易し行うは難しだ。それでもなお、大きな心で人を包み込めるようになることが、境涯を広げるということの具現化であろうと思うし、人間はこの生のなかでそれを目指すべきだと思う。それはまた、人間を社会化することになるのではないだろうか。

海には、良い成分も悪い成分も溶け込んでいる。しかし、それは一面的な見方であって、違う角度から眺めた場合、毒と思われるものがある生き物にとっては必要不可欠な栄養であるかもしれない。また自然なものであれば、分解されて浄化されていくかもしれない。良いと思われるものが悪いものへと転化することだってあるだろう。それぞれに独自の働きがあり、意味があって存在している。可能性と危険性をもったありとあらゆるものが、大きな海のなかで渾然一体となって共存しているのだ。

人間も自らの心を豊饒の海にできるのではないだろうか。そこに自他ともに善も悪もいろんな生命を流し込んでしまえばいい。自分が海になって、人をそこに引き入れてしまえば、その人は自分の一部と化す。そして願わくば、その人がそこで漂っている間に、その人に即したかたちで同じように心を変革していってほしい。

生涯をかけても難しいかもしれないが、僕は豊饒の海を目指したい。今日いきなりそんな思いがこみ上げてきたのである。

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2007年2月 7日

『外交敗戦』を読んで

昨日からココログのレスポンスが悪く、昨晩は書くのを諦めた。今日も記事を書くページへたどり着くまでに数分かかった。どうなっているのか。

東京の行き帰りの飛行機のなかで、手嶋龍一の『外交敗戦―130億ドルは砂に消えた』(新潮文庫)を読了。想像はしていたけど、読後は日本外交の機能不全ぶりにため息が出るばかりだ。著者は「結局、私は『日本の敗走記』を綴ることになったのではないかという苦い思いが残る」(p. 415)と述べているが、筆を進めること自体が苦痛であったろうと同情したくなる。

東京の官邸や外務省のあたふたぶり。外務省と大蔵省の国益ならぬ省益をめぐる軋轢。ベーカーに好きなように操られ、130億ドル拠出してもクウェートに感謝されなかったという事実。湾岸危機から戦争までの数ヶ月にわたる一連の出来事は、日本政府の大きなトラウマとなっていて、その後の安保政策に大きな影を落としていることは間違いない。

憲法9条の精神は素晴らしいものだ。あえて「美しい国」と言うのなら、その美しさの表現が9条のなかにはあると思う。しかし、それはひ弱な知性でしかなく、強固な肉体とはなっていない。日本の置かれている大国としての立場、地域の安全保障の状況を考慮してもなお9条が意味をもつことができるかどうか、もてるとしたらどういう思想のもとでどういう政策が可能なのか、それを真剣に問わざるを得なくなったのが、日本にとっての湾岸戦争の意義であっただろう。その答えは国レベルとしては何も出ていないし、場当たり的な対処以外、深い議論はいまだ国会でなされてはいない。

手嶋は最後にこう書いている。

だが、理念もまた外気に晒されて鍛えられなければ現実という名の獰猛な敵の前にいつしか解体されていく。
この国に暮らす人々のなかにどっしりと根をおろした理念でなければ、いかなる崇高な外交や軍事戦略もやがて立ち枯れてしまう。
湾岸の敗戦訓も誰からも顧みられぬまま風化しようとしている。

自分自身を振り返っても、湾岸戦争を契機に、自らの思想のなかで9条は急速に光を失っていった。そして今、またその再構築の必要性を感じている。そこに日本の生きる道を見出すしかないのではないかという思いが募ってくるからだ。極端に右や左に振れる議論ではなく、この国際的な安全保障の環境のなかで選択できる具体的で挑戦的で平和志向の安保政策があるのではないかという思いが強まっているのである。

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2007年2月 5日

突如よみがえった記憶

土曜日は東京に着いて雑多な用事を済ませたあと、品川で仕事を兼ねて人と会った。

日曜日は朝早くから仕事で福島県の喜多方へ。往復するだけで7時間もかかった。行きは福島に入った途端、一面銀世界。郡山で新幹線を降りて、磐越西線で西へ向かうにつれて、吹雪がひどくなっていく。会津若松で乗りかえる予定だったが、そこから先は雪で電車が来ないということで、仕方なくタクシーに乗って喜多方まで行った。

帰りは郡山まで問題なく行けたが、東北新幹線は強風で全面運休しているというアナウンスが車内で流れた。郡山で泊まる羽目になったら最悪だ、俺は絶対東京へ戻るぞ、と根拠のない決意をしていたら、僕の郡山到着に合わせるように不思議と新幹線が運行再開。5時間前の列車が入ってきて、無事東京まで戻ってこれた。

記憶はいったいどうやって呼び覚まされるのだろうか。磐越西線に乗った直後、10年ぐらい前にこの路線で会津若松へ行ったことを思い出した。なんでそれをその瞬間まで思い出さなかったのだろう。とてつもなく遠い未知の世界へ向かっている、という気持ちを抱いたときに、それは突如として脳内で体系化されて浮かび上がってきた。きっと同じことを前回も感じたはずだ。磐越西線で西へ向かったという記憶は、寂寥感や不安感、遠い世界といったキーワードと結びついているのだと思う。

昔、草津の帰りに浅間山の鬼押出へ行ったときのこと。その何年か前、当時の彼女が軽井沢の人で、ドライブの途中でそこへ寄ったことがあったのだが、僕は完全にそのことを忘れていた。そして、鬼押出の場所まで来た瞬間、記憶が突然よみがえったのだ。ハンドルを握りながら、無意識に「あっ」と声を上げた。同乗していた女性が「どうしたの」と訝しげに尋ねてくる。前の彼女とのことだったので、なんとなく気が引けて答えなかった。しかし頭の中では、数年前そこで何をしゃべったかまでありありと思い出していた。脳にいたずらされているようだった。

今日ランチをしているとき、春のような明るい柔らかな光が差し込んできた。今日のこのことも、いつどこで誰と何を食べたのか、きっといつかふと思い出すのだろう。

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2007年2月 2日

The world is spinning round.

福岡と佐賀を行ったり来たりし、途中で書類を作ってみたり、朝方まで勉強会をやってみたりで、記事を書く余裕(心のほうです)がなかった。でも書いていないと、何か大事なことをずっとなおざりにしているような気まずい思いがふとした瞬間に立ち上ってくる。なので、3日目の今日は、とりあえずアップしておこうと思う。

昨晩から九州は珍しく雪で、高速道路はほぼ通行止め。久しぶりにJRの特急に乗った。博多駅で待っていると、その電車には車内販売がないという掲示が出ていて、しかもホームで並んで待っているのも寒かったので、仕方なく缶コーヒーを買った。

でもやっぱり後悔。飲んだ後の口や胃の気持ち悪いこと。年に数本しか缶コーヒーなんか飲まないけど、毎度そうなんだ。コンビニの弁当やおにぎりなんかも同じ。あんなもの買うもんじゃない。

夕方、髪を切った。何年も美容室へ行っていたが、この頃はまた床屋(というか理美容両方の店)でカットしてもらっている。顔剃りが気持ちいいからだ。いつも寝てしまう。

鏡に映る自分の顔を眺めながら、みんないつかは死ぬんだ、死んだら死んだで残った人はまたふつうに何事もなく生きていくんだ、ということを考えていた。生への執着のわりには、死んだあとはあっけない。残った人間はやはり食事をし、仕事をして、テレビを見る。トイレにも行くし、睡眠も取る。時々はセックスもするだろう。何も変わりはしないのだ。

The world's still spinning round. We don't know why.

明日は東京へ行く。

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