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2007年1月10日

保存と創造と

ちょっと通らないうちに、道路の位置が変わっているということは、この国では日常茶飯事のことだ。この間久しぶりに通った近くの国道の、カーブの途中にあるべき交差点が忽然と消えていて、その先に新しくT字路ができていた。

あれっ、ここってどうなっていたかな。しばらく考えて、ようやくぼんやりと浮かんできた。人間の記憶は曖昧なもので、ひとたび新たな風景ができてしまうと、ついこの間までそこにあった眺めをなかなか思い出すことができない。そして、今目に入っているものがあたかもずっとそこに存在していたかのように受け入れられてしまう。

家の近くにスーパーができて2年ほど。そこが昔、木材置き場だったことを感慨深く思い出す客はまずいまい。

家の前が区画整理によって整備されたのもほんの2~3年前。道路から家への入り口が狭かったこと、先の川に架かっていた橋が離合もできないぐらい狭かったことを、僕ははっきりとは思い出せない。

この国では、どんどん古いものが壊され、新しいものが造られていく。よほどのことがない限り、古いものを残そうという決定をしない国だ。

日本で50年前の街の写真を眺めるのは、いかに変わったかを確かめるためだ。かけらすら残っていない昔の風景を懐かしむためだ。イギリスで50年前の街の写真を眺めるとき、そこでは今と昔がいかに変わらないかが確かめられる。

変わらないことが必ずしも善ではない。変わらなければ、そこにあるのは停滞でしかないかもしれない。しかし、どんどん変化するというのもどうだろうか。便利さや新しさや経済効果ばかりを追う僕たち日本人は、高層化する一方の東京の空の上で、空虚さを感じないだろうか。歴史や自然を忘れないだろうか。

もともと木の文化だから、石の文化とは建設や破壊の概念が違うだろう。清潔好きな国民性、それを生んだ風土や気候の影響もあるだろう。しかし、それと今の日本の街づくりはどこか違うような気がする。

僕は、日本は「壊す文化」であり、その象徴が伊勢神宮であるとみなしてきた。しかし、よく考えると、20年ごとに造りかえるといっても、まったく同じ形式で造るのであるから、その結びつけ方は間違っていた。もしかしたら、そこには保存と創造のバランスという英知の表現があるのかもしれないと最近は考えるようになった。

新しいものと古いもののバランスを取るという精神が、もうちょっとこの国全体の建築や街づくりにあっていいのではないだろうか。そんななか、東京駅の駅舎は昔風に復元するというニュースを聞くと、ちょっとだけホッとする。周りの丸の内界隈がどんどんノッポになっていって、ちぐはぐな感じもするが……。

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