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2007年1月30日

思考停止しているだけ

柳沢厚労相の発言は問題あるだろうけど、久間防衛相のほうはどうってことないんじゃないのか。同盟関係って、いつ何時も相手の選択や行動を支持するということではないでしょうよ。この期に及んで、イラク戦争に対して政府内部からまったく批判的な声が上がらない、もしくは渋々でも非を認めようとしない政府は日本ぐらいなもんじゃないの?

「主張する外交」なんだから、もっと言いたいことを言い合って、大人の付き合いをしようよ。ジュニア・パートナーだから、核の傘に入っているから遠慮しなきゃいけないっていうけど、それは違うと思う。自ら思考を停止しているだけで、楽な道をとっているだけだ。

堂々とするために、長期的にどう防衛戦略を立てていったらいいのか、国を挙げて検討すべきだと思う。核を持つことも、平和国家になることも、本気で追求しようと思えばかなりリスクを背負うことになる。だけど、9条のこともまともに論じれない、核のかの字も出せない、安全保障基本法もつくれない。一方でだらだらとなし崩し的に防衛拡大が続き、他方でそれに対する感情的な批判。ここにも思考停止がある。冷静に話し合える機根はいったいいつ整うのだろうか。

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2007年1月29日

あやうく事故に

ここ数日いろいろと解決しなければならないことが続き、精神的にどっと疲れた。ほんと、宇宙の見えない力にうまく動かされているようで、ぎりぎりのところでなんとか生かされている感じ。まだまだ見捨てられてない。

時間を見つけては、本をあちこち読んだり、細胞の勉強をしたり、YouTubeでOasisのビデオを見たり。食事会をする予定だったが、それはキャンセルした。

今日、交差点で止まっていたら、赤信号を無視して対向車線を前から車が突っ走ってきた。横方向からは、青信号なのでふつうに車が入ってくる。危ない!と思った瞬間、前方の車は横からの車を避けるためにこちら側の車線、つまり僕の車の目の前に進んでくる。思わずこちらも反対側にハンドルを切ったが、向こうは曲がりすぎて歩道へ乗り上げた。そしてそのまま歩道を走って、また車道へ戻って走り去った。ものすごいスピードで突っ込んで去っていったけど、何かから逃走しているようだった。

いやあ映画のいちシーンのようだったな。すごい速さだったのに、何度思い返しても、その瞬間はスローモーションだ。あの状況で事故が起こらなかったのだからすごい。そばの建物やガードレールにもぶつからずに狭い歩道を突っ切ったあいつはなにものだったのか。

もう一度言うけど、生かされているよ、ほんとに。

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2007年1月26日

世界史のなかで日本史を考えること

アンドルー・ゴードン『日本の200年―徳川時代から現代まで』(みすず書房)が書店で平積みされていた。外国人の専門家が日本の歴史をどうとらえているか知るのは有益だなと思いつつ、買おうと思うほど心は動かされなかった(なにせ、高くつくので)。そしたら、図書館の新刊のコーナーにこの上下巻がすでに置いてあったので、じゃあ読んでみるかと思って借りてきた。

原書は "A Modern History of Japan"。これを "Modern Japanese History" としなかった理由を、著者はまえがきのなかで述べている。後者のタイトルでは、特殊日本的な物語が中心であり、それを近代という時代に限って綴るということでしかない。それだと世界的に進行した近代化との関連が薄れてしまう。前者は逆に、世界と関係しながら近代性が日本でどのように展開していったかを叙述することになる。つまり、後者は日本史、前者は世界史のなかの日本史となるのだろう。そう区別して、著者は前者のタイトルを選択している。

昨年から、日本史を教えたり世界史の本を読んだりしていくなかで、日本史をもっと世界史と関連づけて知ることが大事なのではないかと僕も考えるようになった。島国とはいえ、日本の政策決定は東アジアをはじめとした世界の動きに古代から影響を受けているのであり、そもそも国家としての体をなしていく過程自体が、朝鮮半島や中国の政治情勢に関係しているではないか。日本史という狭い視野、「日本人論」なるジャンルの存在、そういうものが日本人の歴史観を貧しいものにしてしまっているのではないかと、最近考えている。

これは何も日本に限ったことではないだろう。中国や朝鮮半島においても、歴史解釈をめぐってはより広い世界の動きのなかで先の大戦をとらえる努力は必要だろう。日本が主張する「列強の帝国主義のもと、日本の動きは当時としては仕方なかったのだ」という考え方は、世界史のなかで考えたら頷ける余地がある。しかし、占領されたほうはそういう見方をしてくれない。一方、遅れてきた日本の帝国主義はやはり世界史の潮流には乗っていなかっただろうし、そこでの行為のひとつひとつが否定的に見られるのは仕方のないことだ。しかし、それを日本側は認めたくない。

お互いに世界史の視野のなかで寛容になって過去をとらえない限り、未来志向というものは生まれないだろうと思う。共同で歴史を見直すにしても、それがまるでゼロサム・ゲームになってしまっては価値はないし、そういうことを目指していると、永遠に共通認識には至らないだろう。ポジティブサムを目指すべし。

以上、まえがきを読んで思ったこと(果たして、この本を読みきるだろうか……)。

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2007年1月25日

次から次へと

今日の茂木健一郎さんのブログは、読み終わったあとなぜか胸に迫るものがあった。素晴らしい友人、美しい人生、学問の意味……。いろんなことが凝縮されていた。

人生なんでこんなに苦しいのかと嘆いてみたり、これも修行ぞ、喜んで受けてみせると気合いが入ったり。まるでジェットコースターに乗っているみたいに、気持ちは上昇したり急降下したりする。

まあそれでも長い目で見たら、いろいろと乗り越えてきて、かなり強い人間になったのではないだろうか。何か起こっても、基本的に前向きな姿勢にすぐに立ち戻れる。生命境涯というものがあるとしたら、以前に比べて豊かで広がりが出てきたと思う。

人生とはよくできているもので、ひとつなにかを克服したらさらに高い障害を設定されて、息を抜く暇があまりない。生まれてきた意味を自らに問うためには、そんな時代が誰しも必要だと思う。今初めて、僕はそのサイクルのなかに入っているような気がする。負けてはならないのだ。

地道な努力。だいたい、これをするかしないかが、人生の分かれ道になる。可能性を信じて、いつ誰がどうなるか分からないのだから、夢と計画をきちんともって、日々無駄にせずに生きていこうというのが、最近の僕の姿勢だ。

ああ、なに書いてるんだか。でも、こんなことを書きたい気分になってしまったのだ。

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2007年1月24日

“<”を何と読む?

夜お茶をするために茶の間へ行ったら姪に捉まってしまい、そのまま数学を教える羽目になった。何度も同じこと書くけど、いったい教師は何を教えているんだろうか。

“<”(小なり)という記号を、姪は「く」と読んだ。「正式には何というの?」と聞き返したら、「えっ、『く』以外知らない。先生が『く』と教えた。いつも『く』って言ってるよ」という答えが。

「じゃあ“>”(大なり)は?」「『く』の反対」。

「本当に数学の先生がそう教えたのか」「うん」

とても信じられないのだが、彼女は真剣にそう言う。

「じゃあ“≦”(小なりイコール)は何と読むの?」「以下」

「“<”と“≦”の違いは?」「分からない」

そりゃあ、そんな表現していたのでは分からんよな。

その数学の教師への怒りというか嘆きというか、なんだかいろんな感情の入り混じった体内からのうねりのようなものが込み上げ、激しく教えてしまった。時間を見たら、11時半を過ぎていた。

でも冷静に考えたら、彼女自身の問題でもあるよなあ。

ということで他に書こうと思ったことがあったけど、時間がなくなったので、このとんでもない会話を記録として留めておくだけにしたい。

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2007年1月23日

「政治は素人がやる」に賛成

昨日はココログのメンテナンスが一日のなかで3回もあり、その前後もつながらない状態だったので書くのを諦めた。トラブル続きですなあ。ココログは大丈夫なんだろうか。

そのまんま東が強調する「政治は素人がやるべきだ」という考え方は、政治の理想としては正しいと僕も思う。政治は常識の範囲でできることだからだ。

政治の玄人の意味するところが、大胆な策を何ひとつ打てない官僚の代表のような頭の固い政治家、政治エリート化し世間の感覚と大きくずれてしまったような政治家、政治家一家に育ち政治の世界に生きるノウハウには長けていても別に他に何の能力もないような世襲の政治家のことを指すのであれば、玄人なんていないほうがいい。

僕は政治のプロを自認する人々のなかで仕事をしたことがあるが、官僚がほぼすべての政策案をつくり、政治家はそれを丸ごと認めるか、細かい部分の訂正をするぐらい。官僚は世間の人々の感覚とはほど遠い。世間とは断絶した世界で生きている。だからこそ、最終的な決定権をもつ政治家は、一般人の感覚を肌身で感じて物事を判断しなければならないのだ。それができないのであれば、政治は死んだようなものだ。

だからといって、政治家は誰でもいいというわけではない。明確なビジョン、具体的な政策、鋭い問題意識、政策決定過程の知識、社会を変革したいという情熱、説得力のある弁論術、人を惹きつける人間性など、必要とされる要素は多い。しかし、それらはまずもって選挙を通じて、有権者に冷静に判断されていく内容だ。

日本国の借金は、地方まで合わせると1600兆から2400兆円になるという。こんな事態に至った責任を、政治の玄人たちは取ろうとしないではないか。宮崎県という枠組みのなかで、そのまんま東はその無責任さを問うたのだと思う。そして、それは県民に響いたのだと思う。

彼にはこれから様々な抵抗勢力が待ち構えている。まず、本来下僕として言われたことを遂行すべき立場の県職員。「それは違います」という言葉を部下から浴びせられることだろう。議会が抵抗するのは仕方ない。そもそもそういうシステムなのだから。それが政治の健全化に寄与するものであればいい。理不尽なものであれば、県民が判断するだろう。最大の抵抗はもしかしたら、あらゆる勢力が結託して探し求めるスキャンダルかもしれない。そういうものが出てこないことを願うが、突いていったら芸能人なだけにいろいろ出てくるだろうなあ。それを大袈裟に伝えるんだ、悪意のあるメディアは。

翻って、世襲でなければ当選しそうもない国会議員はたくさんいるんじゃないだろうか。世襲ということで騙されている有権者は多くないだろうか。そんな意味の政治の玄人は全然必要じゃない。

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2007年1月21日

敵対から劇的に共存へ

人っていうのは何もしゃべらなくても、顔をしばらく眺めていたら、その人がどういう人だかだいたいの想像がつく。昨日初めて会った人は、見た瞬間から「ああ、この人賢いだろうな」という表情をしていた。かもし出すものがあるのだ。案の定、その時のテーマに対して他の人より知識があり、突っ込んだ話になった。

さて、今とても興味のある生命とか細胞ということを、雑学と専門の中間あたりのレベルでしっかりと今年は勉強しようと思っていて、まずは図書館から借りてきたNHKスペシャル「生命―40億年はるかな旅」の最初の回のDVDを見た。いやあ、実にエキサイティングな内容だった。

各細胞のなかにある核(DNAが存在しているところ)とミトコンドリア(エネルギーを生産しているところ)は、もともとは敵対する原始のバクテリアだったそうだ。前者が、硫化水素を栄養源とする最も古いバクテリア(地球は最初の頃、硫黄や硫化水素だらけだった)。後者が、地球上に酸素が増加していくなかで、毒であった酸素に適合してそれを栄養源に変えていったバクテリア。

酸素は硫化水素の20倍のエネルギーをバクテリアにもたらしたのだという。力を得た後者のバクテリアは活発に活動し、前者をどんどん殺していくことになる。前者ももちろんその状況に対応して自分たちどうしが結合して対抗する。この両者の敵対状況が長く続き、最終的にはひとつの細胞におさまって共存へと劇的変化を遂げるのだ。

ああ、これが宇宙というものなのだ、と思う。

その細胞が発展していって僕ら人間も誕生しているわけで、ということは、僕らの生命の奥底に、人類が平和に共存できる可能性が秘められているのではないかと、アイデアリスティックなことを思わせる。カントが説いた、戦争を通して人類は最終的に平和へと至るのが歴史の必然であるということを、思わず信じたくなってしまう。

しかし、そのためには人類の歴史はまだまだ短すぎるのかもしれない。原始的な細胞が誕生して、敵対するバクテリアが核とミトコンドリアとなって共存するまでに、実に20億年という気の遠くなるような時間を要している。

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2007年1月19日

気温も体温もわずかな差が大きな違いを生む

この100年間で、地球の気温は平均0.7℃上昇したという。これを、わずか0.7℃と軽視できないことは、地球温暖化によると思われる様々な生態系の破壊を考えればすぐに分かる。地球は微妙なバランスで成り立っているのだ(分かろうとしないのは、ブッシュ政権とその取り巻きぐらいなものだ!)。

人間の体もしかり。たとえば女性が基礎体温を測るのは、排卵後には体温が上昇するからだが、低温期と高温期の違いといっても、わずか0.5℃ぐらいでしかない。

体温が36.5℃になると、免疫は正常かつフルに働くという。これが35℃に下がると、がん細胞が活発に働く。また、ウイルスや菌を殺すために、37℃を超える体温になる。だから、平熱が低いのと高いのとでは、がんへの抵抗力などに大きな違いがある。そしてその差はわずかなものでしかないのだ。

低体温の人は、体温を上げる必要があるときに十分に上げることができず、それでいろんなリスクを背負うことになる。免疫力が低下し、アレルギー性疾患に罹りやすく、ウイルスや菌に弱くなり、がんになりやすい。基礎代謝が落ちるので、太りやすくもなる。女性では、低体温と不妊に因果関係があると言われている。

若い女性に聞くと、多くの人が低体温だ。そういう人たちは必ずといっていいほど、不妊をはじめとして様々な健康上の問題を抱えている。この人たちは、意外とちょっとした心がけが健康回復への大きな一歩になるのではないだろうか。食生活の見直しを中心に、できることをまずするところから始めよう。

地球環境を回復するのもまた、ちょっとした取り組みから始まる。マクロの地球にとってもミクロの人体にとっても、何もしないことがいちばんいけないことなのだ。

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2007年1月18日

うどんのくだりが気になって

移動中、手嶋龍一の『外交敗戦』を読み始めた。手嶋さんは9・11のときのNHKワシントン支局長として有名で、名前や近著『ウルトラ・ダラー』は知らなくても、顔を見たらみんな「ああ、あの人か」と頷くだろう。

この手の本を読むと、やっぱり政治関係の本って好きなんだよなと思う。時間をつくって、ぼちぼち読んでいこう。

年末から気に掛かっていたことを解決すべく、丸善へ行った。ものすごく些細なことなんだけどね。『海辺のカフカ』の主人公の少年が家出して高松へ着いて、まずうどんを食う場面があるのだが、そのくだりはこう書かれている。

僕は東京で生まれ育ったから、うどんというものをほとんど食べたことがない。しかしそれは僕がこれまでに食べたどんなうどんともちがっている。(中略)あまりにうまかったのでおかわりをする。(新潮文庫、上p. 67)

これを英訳ではどう説明しているのだろうかという疑問があった。僕ら日本人は、さらっとこの文章を受け流せる。東京はそば文化だから、あまりうどんを食べたことがないというのも、だから讃岐うどんを食べておいしかったというのも、容易に想像がつくし納得できる。

しかしこれを直訳した場合、文化背景が分からないからちんぷんかんぷんだろう。どんな風に意訳しているのだろうか。その答えを求めて、洋書コーナーで英訳本を手にとって、該当ページを探した。

答えは、最初の一文はそのままで、次の文のなかに、「うどんの本場(Udon Central)・四国」という説明が挿入してあった。ああ、そうか。それだけで最低限のことは分かる。僕だったら、「なぜなら東京にはうどん屋があまりないからだ」とか、「なぜうまいかというと、高松は讃岐うどんという有名なうどんの街だからだ」とか冗長な説明をしてしまうだろう。原文をなるだけ崩さない翻訳は難しいなと思う。

翻訳のことで引っ掛かるのであれば、そういう文はこの小説のなかに無数にあるのだろうが、たまたまぱらぱらと読み返していてそこに目が行った。書店から帰ってきたあとにこの疑問を思い出すことが何度かあり、そのたびに確かめてこなかったことを残念に思っていたので、やっとすっきりした気分。小さなことではあっても、どうでもいいことではなかったのだ。

――そして今、そばとうどん、どちらを食べたいかと問われれば、……そばを食べたい。ずるずる音を立てて、ざるそばを食べたい。でも、そばだけじゃ満足できないから、丼ものも少し食べたい。九州でそば屋はあんまり見かけないのだ。

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2007年1月17日

何かを残さなければ、何も残らない

朝方までミーティングをしたり、セミナーに参加したりして、時間が取れなかった。今の気分は、……眠い。

定年で新たな人生を歩み始めた知り合いの方のなかで、自分史を書き始めた人が何人かいる。書きものを残すという選択をするのは、なんとなく分かる気がする。

有名人でもない限り、自ら綴らなければ個人の歴史は残らない。それがどれだけの価値を生むかは、誰も分からない。家族や親族以外誰も振り返らないかもしれないし、何世代か後に、当時の風俗や社会を知るための貴重な文献となっているかもしれない。ともあれ、自分はなにものであったのか記しておきたいという気持ちになるのは、死に向かっていく人間にとって、ある意味で自然な感情であろうと思う。

最近読んだ本のなかで、こんなことが書かれていた。草原の遊牧民族が世界史のなかで軽視される一つの理由は、彼らが文字で歴史を残さなかったからだと。

歴史といっても、ほとんどのことは書き残されないのだし、それに客観的な歴史が不可能だという前提に立つと、「書いたもの勝ち」のようなところがある。書けば残るから、同時代人がいなくなってしまうと、書き残されたものこそが歴史であるということにもなりかねない。もちろん厳密な考証が後代の学者たちによってなされるであろうが。

さてさて、こんなブログをずっと続けていくだけでも、年を取ってからは貴重な自分史の財産となっているかもしれない。刻々と変化する多くの感情の、また様々な自分や社会の出来事のほんの断片でしかないにせよ、いつかそれらを振り返って結びつけたときに、何らかの自分の像が立ち上がるのではないだろうか。

それは決して文字というもので表現される必要はないだろうが、どうであれ、何かを残さなければ、何も残らない。

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2007年1月14日

今日の長崎は晴れていた

朝から長崎へ。「長崎は今日も雨だった」と歌にするだけあって、長崎へ向かうときはほとんど天気が悪いのだが、今日は珍しく冬晴れの気持ちのいいドライブとなった。

仕事で何人かの人に会った。先日来の皿うどんを食べたいという気持ちはリンガーハット程度では満足できず、今日は本場・長崎で食べるぞ!と意気込んでいたのだが、ちょうど昼食でご馳走になったのが皿うどんだった。それも地元の人以外絶対に知らないというような小さな食堂の代物。これはディープだと思いつつ、喜んでたくさん食べた。大満足。

長崎へ来たときよく立ち寄るホテルのラウンジで、ケーキとコーヒーもいただいた。街なかは相変わらず観光客が多いなと思う。

じっくり話したかった人と会って、何時間か対話した。人の考えは本当に変化するもので、こちらが意を尽くして話せば、真っ当な人なら理解してくれる。もちろん、それはまた何かの縁で逆の方向に触れることもあるのだろうが、長い目で見たら、徐々に磁力の強いほうへ引き寄せられていくのだろう。

今日は良い一日だったなと感謝しつつ、長崎自動車道を北上。日がほとんど沈んでいたので、大村湾にはいつものきらきらと水面が輝く美しさはなかったが、日本的なしみじみとした風景が眼下に広がっていた。

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2007年1月13日

英語の勉強をしなければ

昨日から今日と、座って人と話している時間が長く、途中でコーヒーを飲みすぎたのも手伝って、ちょっと気持ち悪くなった。コーヒーを1日2杯以上飲んでいる人は肝がんになりにくいというデータもあるが、飲みすぎでくらくらしだすと、その後けっこうきつい。

歩かねばという衝動に駆られて、夕方寒いなか外に出て、川のせせらぎに耳を傾けたり、山を眺めたりしていたら、少し回復した。イスに座りすぎると前立腺にも良くないのだ! デスクワークばかりしている人は気をつけましょう。

定期的にチェックしているブログのなかには、時々英語で記事を書いている人もいる。英語が得意だということを日常的にほのめかしている人たちなのだが、書いているのを読む限り、そうでもない。人間の自信というのは多くの場合、誤認識や過信からうまれるものなのかもしれない。

英語を本当に自由に操れるようになるために、日常的に勉強をしなければいけないなと思っている。英語が達者な知人に相談したら、その人は毎日のようにNHKラジオの英語関係の番組をいくつか聴いていると言っていた。バカにできないらしく、長年リスナーであるという人も多いんだそうだ。

といっても、決まった時間に決まったことをやるということが性格的に難しい。ネット上でオンデマンドで好きなときに聴けたらいいんだけど、NHKはまだそんなサービスを提供していない(ここらへんは本当に日本は遅れている。何のためのブロードバンド?)。

そこで探していて見つけたのは、やっぱりBBC。Learning Englishというのがあって、面白そう。これだと無料で好きなときにある程度満足いく勉強ができる。簡単な内容も多いが、意外ときちんと分かっていないことも多いので、確認するにはいい。当分はこれで勉強しようと思う。

Longman の "Dictionary of Common Errors" という本を机に立てかけて、英語を書くときにいつでも参照できるようにしているが、これを読んでいるだけでも、使い方を間違っている簡単な単語はけっこうあるものだ。言語というのは奥が深いです。

その知人はドイツ語にも精を出していて、「もう1ヶ国語、なにか本格的にやったほうがいいよ」とけしかけられた。別にビジネスに何の関係もないが、フランス語への憧れはずっとあるので、昨日は発奮してフランス語のCDを聴いたりしたのだが、道のりは遠いよな。でも、10年ぐらいのスパンで考えて、地道に勉強していこうと思う。フランス語しゃべって、パリのカフェやブラッセリーでほろ酔いになっているって想像したら、ちょっと格好いいじゃんないか?という、きわめて軽いのりである。

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2007年1月10日

保存と創造と

ちょっと通らないうちに、道路の位置が変わっているということは、この国では日常茶飯事のことだ。この間久しぶりに通った近くの国道の、カーブの途中にあるべき交差点が忽然と消えていて、その先に新しくT字路ができていた。

あれっ、ここってどうなっていたかな。しばらく考えて、ようやくぼんやりと浮かんできた。人間の記憶は曖昧なもので、ひとたび新たな風景ができてしまうと、ついこの間までそこにあった眺めをなかなか思い出すことができない。そして、今目に入っているものがあたかもずっとそこに存在していたかのように受け入れられてしまう。

家の近くにスーパーができて2年ほど。そこが昔、木材置き場だったことを感慨深く思い出す客はまずいまい。

家の前が区画整理によって整備されたのもほんの2~3年前。道路から家への入り口が狭かったこと、先の川に架かっていた橋が離合もできないぐらい狭かったことを、僕ははっきりとは思い出せない。

この国では、どんどん古いものが壊され、新しいものが造られていく。よほどのことがない限り、古いものを残そうという決定をしない国だ。

日本で50年前の街の写真を眺めるのは、いかに変わったかを確かめるためだ。かけらすら残っていない昔の風景を懐かしむためだ。イギリスで50年前の街の写真を眺めるとき、そこでは今と昔がいかに変わらないかが確かめられる。

変わらないことが必ずしも善ではない。変わらなければ、そこにあるのは停滞でしかないかもしれない。しかし、どんどん変化するというのもどうだろうか。便利さや新しさや経済効果ばかりを追う僕たち日本人は、高層化する一方の東京の空の上で、空虚さを感じないだろうか。歴史や自然を忘れないだろうか。

もともと木の文化だから、石の文化とは建設や破壊の概念が違うだろう。清潔好きな国民性、それを生んだ風土や気候の影響もあるだろう。しかし、それと今の日本の街づくりはどこか違うような気がする。

僕は、日本は「壊す文化」であり、その象徴が伊勢神宮であるとみなしてきた。しかし、よく考えると、20年ごとに造りかえるといっても、まったく同じ形式で造るのであるから、その結びつけ方は間違っていた。もしかしたら、そこには保存と創造のバランスという英知の表現があるのかもしれないと最近は考えるようになった。

新しいものと古いもののバランスを取るという精神が、もうちょっとこの国全体の建築や街づくりにあっていいのではないだろうか。そんななか、東京駅の駅舎は昔風に復元するというニュースを聞くと、ちょっとだけホッとする。周りの丸の内界隈がどんどんノッポになっていって、ちぐはぐな感じもするが……。

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2007年1月 9日

「・・・よろしかったでしょうか」

たまらなく皿うどんが食べたくなったので、リンガーハットへ行った。夜遅かったので店内は客がまばらで静か。レジ近くで店の電話が鳴る。

アルバイトの男性がその電話を取る。どうやら持ち帰りの注文のようだ。注文内容が終わったあと、真面目な声で彼が言った。

「お名前よろしかったでしょうか」

なに? オナマエヨロシカッタデショウカ? よろしくない、全然よろしくないだろうよ。なんだよ、そのマニュアルごちゃ混ぜ表現。間違いに気づけよ!

しかし、よどみなく電話の向こうとの会話は続いている。相手がよほど寛容で意味を理解して答えてくれたのか。はたまた、ちっともおかしいと思わなかったのか。彼が言い直すことも、すみませんと言うことも、恥ずかしさで苦笑することもなく、スムーズにやり取りは終わった。不思議だ。

どうしてファミレスやファーストフードではマニュアル人間ばかり養成するのだろう。何を欲しているのだろうか、何を怖れているのだろうか。現代人の労働者としての程度がそれほど低いということだろうか。

彼の場合、気が弱そうで元気がなかったので、まだ人間らしくてよかった。元気いっぱいで明るいマニュアル店員がいると、「お願いだから消えてくれ」と言いたくなる。

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2007年1月 8日

生涯独身?

昨日は朝5時過ぎ始動で夜遅くまで忙しく、その反動で今日は目覚めてもしばしボーッとしていた。今日はなぜ休みなんだ? ああ成人の日。田舎では正月の帰省中に成人式が行なわれるので、今朝まで何の日か気づかなかった。

20歳かあ。俺は今年で37だよ、と考えていたら、なんだかとても怖くなった。もう40歳が視野に入っている。全然若くないじゃないか。うわぁ、いったい今まで何をしてきたんだろう。

今の家族や自身の状況を考えると、結婚するとしても40歳ぐらいだろうか。それから子どもができたとしても、自分が還暦を迎えるときにその子はまだ成人するかしないかぐらい。そんなことに思いをめぐらすと、ふさぎ込んじゃいそうだ。これから結婚して家族を持つのは、正直言って面倒だし荷が重い。

きっとそれが雰囲気に表れているんだろう。「独り身で好きなように遊んでいるのが似合っている」とよく言われる。全然誉め言葉じゃないけどね。

周りを見渡すと、独身や離婚者が男女問わず多い。あの人もこの人も、あいつもこいつも。これじゃあ少子化にもなるわけで。

家族を持つ意義はもちろん分かるけど、強いて結婚して子どもをつくろうとも思わないなあ。当分は流れにまかせていこう。そのうち、いきなり「結婚します」なんて言うかもしれない。人間なんてそんないい加減なもんだ。

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2007年1月 7日

ダラダラと

今日(6日)は知人とカフェでゆっくりと話した。あらゆることに話が及び、気づいたら4時間経っていた。楽しい知的な会話はいつまでしていても飽きない。

本当はその後実家へ戻る予定だったが、面倒くさくなって明朝早く帰ることにした。おいしい天丼を食べて、デパ地下でフルーツデザートとバゲットサンドを買って、マンションへ戻ってきた。

そのあとは寝転がってテレビを見たり、コーヒーを飲んだり。今年初のものすごいダラダラ。

英語力をさらにアップさせるために、何かをやっていこうと思う。現在模索中。

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2007年1月 4日

「公」と「個」と

甥っ子が今日、成人式を迎えた。

母がポツリと言った。「昔は成人するということは、赤紙がいつか来るということだったんだよ」。子供ながらに母は、成人男子が次々と軍隊へ取られていく姿を目に焼き付けていたのだ。

想像して、ぞくりとした。召集令状を受け取る時以上に、自分が国という社会に所属していることを思い知らされることがあろうか。戦時中に成人することは手放しで喜べたことではなかったのだろう。本人たちだけでなく、母親たちにとっても。

僕たちに何かそれに匹敵するような緊張感や公との関係性があるかと問われれば、もちろんないし、強いて求めたいとも思わない。ただ、国家というものは究極的には人の命をも支配する権力であることを、平時にあっても僕らは忘れないようにしなければならないと思う。

というと、だから憲法9条は守らなければならないんだと主張する人たちがいるだろうが、同時に国家は人の命を守ってくれる存在であることも認識しておかなければならない。諸刃の剣なのだ。

だから、行き過ぎた「公」の主張も、行き過ぎた「個」の主張もダメなんだと思う。バランス感覚をもってものごとを見つめていくことを、僕らはもっと訓練しなければならないのではないだろうか。

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2007年1月 3日

イギリス英語のほうが新しい

昨晩放映された『深夜の語学新年会』という番組での町田健先生の指摘にびっくりした。

英語は、やたらと舌を巻いて発音するアメリカの英語のほうが古くて、それをしないイギリスの英語のほうが進化している。つまり、アメリカでは今でもきちんと "r" の発音をしているが、イギリスではすでにそれが消えてしまっているのであって、その意味でイギリスのほうが言語としては新しいと。

これには、そこに参加していた人たちの大半も驚いていたのだが、フランス人のパトリス・ルロワさんが、ケベックのフランス語がアメリカ英語と似た状況にあるということを紹介した。フランス人はケベックのフランス語をバカにするけども、ケベックのほうが古き良きフランス語をしゃべっているのであると。

おそらくこれはどの言語にも通じるもので、各言語の中心地では発音や単語の使い方などが、まさに中心であるという余裕と権威から、柔軟に変化していくことが許されるのだと思う。

番組を見ながら、僕は漱石と鴎外のことを思い出した。どこかで読んだ比較なのだが、鴎外は島根という地方の出身で、正確な日本語を書くことに神経を尖らせていたが、江戸っ子の漱石はその点無頓着で、ちょっとした間違いをあまり気にはしていなかったのだという。

もし、満州や朝鮮半島、台湾などの植民地がそのままの状態であったとしたら、もしくは十分に日本語が根付いていたとしたら、今ごろ日本の周辺では、懐かしい日本語が話されていたのかもしれない。

最近、中国本土ではまた日本語ブームだという。日本語検定を受ける人が急増している。大連はとくに日本語熱が盛んだというが、どんな日本語を使うのだろうか聞いてみたい。「かたじけない」なんて返事で言われたらどうしようか。

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2007年1月 2日

中也をまた読んでみよう

日経新聞の新年号で、中原中也の特集があった。今年は、中原中也の生誕100周年に当たる。

中也のあの顔写真を見ると、いつも彼のつぶらな瞳の中に吸い込まれそうな気持ちになる。憂いをいっぱいに溜めたような、世界を悲しく見つめていそうな、震えさえ感じるあの瞳。じっと眺めていると、こちらのすべてを見られているような気になる。

2面にわたる記事のテーマは「故郷」だ。山口への複雑な思い。2年前になるが、僕が彼の詩集を読んだときに、「帰郷」という作品がとても気に入った。それを前のブログで紹介したのだが、この特集のなかでもそれが取り上げられている。直感的に良い詩だなと思ったのだが、少し背景を知るとさらに読み方が違ってくるだろう。もう一度、彼の詩集を読みなおしてみようと思った。

僕の手帳には、中也の詩集から抜書きしたものが挿まれている。記事を読んだあと、久方ぶりにそれを引っ張り出してみた。四つ折りされたその紙を開くとき、心の奥にそっと閉まってあった自分でも忘れていた密かな思いに触れたような気がして、恥ずかしくもあり懐かしくもあった。今年は、時々はこれを開こう。

ぜひ彼の故郷を訪ねてみようと思う。「帰郷」の詩碑もあるんだそうだ。

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2007年1月 1日

毎日が元日であれば

元日というのは不思議な力を持っている。多くの人がこの日を清新な気持ちで迎える。さあ新たな出発だ、と気合いを入れなおす。この日ばかりは、そこかしこに希望と決意に満ちた笑顔があふれている。

でもだんだんと、その明るさは失われていく。日常によって、現実によって、心はやすやすと侵食されてしまうのだ。願わくば、今年の僕は、いつもよりは強く、長く、それに抵抗していきたい。

ああそうだ、毎日が元日のようであればいいのだ。そうすれば、常に前向きでいられる。ケのなかでこのハレの気分を持ち続けるのは難しいだろうけど、「今日から新たな1年が始まる」と毎日思い続けられるとしたら、けっこう充実した心持ちで生きていけるのではないだろうか。それは、「只今臨終」の裏返しでもある。

元日が持つ力は、どこか外部から来るものではない。「新しい年の始まりだ」と思う自分自身に内在化している力だ。この内なるエネルギーが核となって、人生はつくられていく。すべては自分なのだ、と原点回帰することを忘れずに、素晴らしい一年を送りたいと思う。

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