« 朝の縁側 | トップページ | 柄谷行人『世界共和国へ』 »

2006年12月13日

でかい山は勘弁

朝、車で走っていると、雨上がりで煙る山々が美しく、心が洗われるようだった。小高い山と田んぼと民家という、僕が想像する理想的な日本の田舎の風景は、いつ見ても心が和む。色も音も動きもすべてが落ち着きがあって、動物としての人間に立ち返らせる自然との結びつきや匂いがある。

たとえばイギリスに生まれていたら、自然の美しさへの感覚やどんな風景にアイデンティティを感じるかといったことは、日本人である今の僕とはまったく違ったものだったろう。もっというと、同じ日本に生まれても、その感じ方には相違があるだろう。僕は、長野や群馬といったところの山々には怖さを感じる。でかすぎるのだ。高さも広がりも。どこから山が始まっていて、いったいどこまで山が続いているのか見当がつかないと不安になる。

向こうの人からいわせると、僕が見てきた山はかわいいもので、きっと迫力に欠けるのだろうが、僕にはこれで十分。向こうの山を見ると、勘弁してよと言いたくなる。

山ひとつ取ってみても、人間の気質に影響を与えているのは間違いない。個性とか性格とか、そういう個別の問題として済ませられない何か共通する性質を、地域ごとにおそらく見出すことができるだろう。

そんなことを研究している人はさぞ楽しかろうと思う。金儲けにはならないだろうが、そういう、われわれはなにものであるか、ということへの興味は僕のなかで膨らむ一方である。

|

« 朝の縁側 | トップページ | 柄谷行人『世界共和国へ』 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: でかい山は勘弁:

« 朝の縁側 | トップページ | 柄谷行人『世界共和国へ』 »