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2006年12月19日

広大な空間としての「私」

仕事でいろいろ調べものをしているうちに、ふと「原子ってどうなってるんだったっけ?」と疑問がわき、ネットで基礎の化学を教えているようなところを読んだ。僕、化学は弱いんだ。というか理科が小学校の頃から苦手。

ちょっと前にブルーバックスの化学の本を読んでいたので、原子は原子核と電子で構成されているのは覚えていたけど、原子核のなかに陽子と中性子があることは忘れていた(それ以上のややこしいことは、この際問わないでください)。

原子核の周りに電子が存在していて、その間は空間だから、「人間の体っていっても、本当はすき間だらけだよ」とよく人にしゃべっていたが、その空間がいかに大きなものであるか、今日初めて知った。

サイトによって書いてあることはまちまちだが、原子核の大きさは原子全体の大きさの1万分の1とか10万分の1とかいう大きさ。あるサイトによれば、東京ドームを原子とすると、そのマウンドに置いたピンポン球が原子核の大きさになるのだという。これでは、すき間なんていうレベルではなくて、ほとんど広大な空間でしかない。

そのかすかすのところには、かたちを持った存在ではない宇宙の何かが、自由に入り込んだり、通り過ぎたり、抜け出たりしているのではないかと、ファンタスティックなことを考えた。そして、その空間だらけのものから成り立っている「私」とはなんだろうか、「私」と「私でないもの」との間に、本当に境界があるのだろうかと……。

庭に寒椿が咲いている。じっとそれを眺めながら、あの花と「私」は本当は一体なのではないかと考えた。

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