« 下痢も核問題も機能不全の表れ | トップページ | 雷の轟音、夢の中の夢 »

2006年11月 5日

空仮中の三諦について考えたり

やりたいことと、やらなければいけないことを合わせると、とても一日は24時間では足りない。しかし、休みのときはゆっくり寝るのだと、昼近くまでふとんの中にいる僕。起きた後に、なんでもっと早く起きなかったかと後悔するのは毎度のことである。

家で溜まった財務関係の書類を整理する。ちょっと法的な交渉ごとをしようと企んでいて、その準備をそのあと始める。時間がかかる仕事になりそうで、友人の弁護士にもすでに話をしてある。家の事情に関わって生きていることで、僕はほとんどなんでも屋さん状態で、いろんなことをやっている。はあ~とため息が出るときもあるが、次の瞬間、えいっとやる気を出してそんな気分を払拭することに慣れてしまった。中毒か……。

家の書棚から本を引っ張り出してきて、仏教の「空仮中の三諦」について、少し読んで考える。仏教的認識論の基本をなすもののひとつだが、なんとなくそれが理解できてきた、というか、そうだなと納得できるようになってきた。

茂木健一郎さんが今日のブログで、釈迦の四門出遊について言及していた。茂木さんは、ひとつひとつは脳のニューロンの化学反応であるにも関わらず、その集合として「心」という有るとも無いともいえない存在になることを、心脳問題としてずっと探求されている。釈迦の四門出遊から始まった仏教の考えの究極のひとつが空仮中の三諦である。この認識の仕方はきっと、心という存在、その身体との関係性を考えるときのヒントになるのではないかと、僕は漠然と考えている。

夕方、体が鈍っていたので、久しぶりにウォーキングをする。いつも西へ向かって歩くのだが、今日は東へ行った。前方の山際には、うっすらと大きな月が。歩みを進めるとともに、月はだんだんと昇り、そしてオレンジ色に染まってくる。日が沈むのを眺めるのもいいが、月はやはりしみじみとしていい。

|

« 下痢も核問題も機能不全の表れ | トップページ | 雷の轟音、夢の中の夢 »

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 空仮中の三諦について考えたり:

» 悪臭、体臭、大衆 [コミカル・ミュージック]
悪臭が漂う、それはロサンゼルスのダウンタウンだ。とてつもない悪臭が漂っている。私もこの悪臭にいずれまみれてしまうのではないかと毎日恐怖している。そこは、このネオリベラル資本主義で競争から脱落した敗者の捨て... [続きを読む]

受信: 2006年12月 1日 02:25

« 下痢も核問題も機能不全の表れ | トップページ | 雷の轟音、夢の中の夢 »