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2006年11月24日

縄跳びと三諦、そして暗闇へ

日が暮れたあと、小学生の姪たちと縄跳びをする。ただ跳ぶだけだからと甘く見ていたが、すぐに息切れしてしまった。二重跳びを10回も続けたら、もつれる前に苦しくなって回し続けられない。けっこう体力使うんだな。10分ちょっとやっただけなのに、今でも足は重いし、腰や背中に疲れを感じる。

「きついなあ」とはあはあしている僕の横で、楽しそうに勢いよく何度も跳んでいる彼女たち。それを眺めながら、空仮中の三諦のことが頭に浮かんできた。

小学生の頃、縄跳びは大得意だったのに、その頃の肉体と今の肉体はまったく別物になってしまっている。これが「仮諦」としての私。

その頃抱いていたこども心と、今の世界観や人間観は全然違うだろう。性格や性質も変わっただろう。感情なんていう話になったら、出てくる感情は、瞬間々々変化していく。つい今しがた、縄跳びなんて簡単さと思っていたのに、1分もすると、苦しい~という思いが顕在化する。変化し、または見え隠れする「空諦」としての私。

しかし、「私」という存在自体は、厳然と変わらず今も昔もここにある。「私」は一貫して「私」である。この不変の実体が、「中諦」としての私。

この三諦はそれぞれ一諦に含まれて、一諦のなかに三諦が現れるというのが、「円融の三諦」。これによって、人間というものを正しく全体的に把握することができるというのが、仏教的な人間や諸法の見方である。

これ分かったつもりでいたが、今日考えていたら、また分からなくなってきた。「つまるところ、僕は一体どうしたらいいのだろう?」。

夕方は一気に暗くなる。すぐそこで跳んでいるはずの姪っ子たちの姿は、凝視してもぼんやりとかすみ、ほとんど闇の中に溶け込んでいた。

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