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2006年10月 2日

思い込みの怖さ

思い込みが、いかに考える視点を狭めてしまうものか。

29日の夜、出先で突如としてパソコンが使えなくなった。使っている途中で放っておいて、数時間後またデスクに向かったら電源が落ちていて、電源ボタンを押したけども、うんともすんともいわなかった。

ここで僕は、数ヶ月前の故障のことが頭にあり、このパソコンは出来が良くないと決めつけていたので、すぐに「また故障だ」と思った。電源が入るんだったら、自力でどうにか努力することも可能だが、そもそもの立ち上げができないのだから、どうすることもできない。家に帰ってからNECに電話するしかないな、と諦めた。

そして、2日経って家に戻ってきてからのこと。保証関係の書類を引っ張り出して、24時間受付に電話をしようと思った矢先、あることに気づいた。

「待てよ、考えてみたら、俺は今回一度も電源コード(アダプター)を使わなかったな。もしかして、バッテリーがなくなっていたんじゃないのか」

コードをコンセントにつないだ。バッテリー補充のランプが即座に点灯。そして、電源ボタンを押すと……。

ウィーンと低い機械音が聞こえ始める。何事もなかったかのように、ふつうに立ち上がった。

おかしくて、笑ってしまった。なんで、こんな単純なことに気がつかなかったのだろうか。出先で何度もコードは目にしているのである。帰るときも荷造りで手にしているのである。コードをつないでいなくて、そして電源が入らないというのに、コードをつなごうとは微塵も思わなかったのだから、自分のバカさ加減に呆れてしまう。

このところ、バッテリーの寿命を感じるようになってきていたので、その調子の悪さもあったのだろう。ふつうだと、バッテリーが稼動しているときは、パソコンを使っていなかったらすぐに節電状態になるので、残量がゼロになるということがない。だから、まさかバッテリーの問題とは思わなかったのだ。

故障だと最初から決めつけたことで、コードのことは見ているようで見ていなかった。バッテリーのことに考えが及ばなかった。そもそも、ふだんはあれこれ考える癖があるのに、この一件に関しては、なんでだろう?と立ち止まらなかった。先入観による脳の働き。こわい、こわい。

一事が万事。こうして、いろんな日常の出来事や社会の動きに対し、浅はかな思い込みで臨むことで、人間は自らの世界を、自ら狭くしてしまうのだろう。そうならないためには、好奇心をもつこと、学ぶこと、多様な人々に会うこと、違う世界に行ってみることなどだろうと思う。刺激だ、刺激が必要なのだ。

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