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2006年10月13日

「海の神々」展、平家納経

大宰府へ行った。一体何年ぶりだろうか。ある程度ものがわかるようになってからは、もしかして初めてかもしれない。なんとなく、奈良のような、静かな歴史の息づかいが伝わる街だ。

天満宮へ至る参道に沿って歩き、本殿の手前で右に折れると、その向こうの林のなかに近代的で柔らかな建物の九州国立博物館がある。静寂があたりを包み、歩いていて気持ちがいい。

ここで開催されている「海の神々」展を見たくて、僕はここまでやって来たのだった。とりわけ、「平家納経」の願文が見たかったのだ。

願文は平清盛の自筆だといわれている。実は清盛は能書家だったらしい。願文は癖がなく、この人は武家だったのだろうかと首をひねりたくなるような、素直な感じの優しい字体に思えた。ああそういえば、平家は武家にして、同時に貴族的だったのだ。

平家納経は宮島の厳島神社に奉納されている。33巻からなるこの写経の中心は法華経で、全二十八品が納められている。こういうところからも、日本においては昔から、やはり法華経に重きが置かれていたということがうかがい知れる。

それにしても、神社に仏典とはどういうことだろうか…と不思議に思っていると、映像ブースのビデオの中でちょうどその疑問を投げかけていて、厳島神社の人が「当時は神社も寺もあまり違いがなかったのだ」という答えをしていた(あれ、違ったかな。確かそう言っていた)。こんな物言いを怒る、というかバカにする日蓮系仏教徒もいるだろうが、まあこれがやっぱり日本的だったんですよ、伝統的に。それが良いとか悪いとかじゃなく、日本人というのは、まるでごちゃごちゃで、良いと思ったら何でもありの民族だったのだ。寛容的というかいい加減というか。それを一神教的な考えで切り捨ててしまうだけでは、あまりものの本質が見えてこないんじゃないかと思う。

海の文化に、ここ数年ロマンを感じている。平家は西国が中心で、西国は開かれた海の文化だった。西国は母系社会でもあった。東国の陸の文化、厳格な父系社会とはかなり異なる精神性を育んできた。それは確実に、現代の人々にも受け継がれているように思う。だから九州人はダメな男が多い?

展示を見ていて、海と祭祀の関係はとっても面白いと思った。宗像大社の三宮とか、そのなかの沖ノ島は島全体がご神体であるとか、宗像三神が宮島の厳島神社など瀬戸内海を伝って各地で祀られているとか。古代の人々が何を考え、それがどういうふうに共有されていたのか、そういうことを知ると、自分たちが何ものであるのかが、少し見えてくるのではないだろうか。

夕暮れ、せっかく大宰府へ来たのだからと、「飛梅」をじっと眺め、これまたせっかく来たのだからと、参道の適当な店で「梅が枝餅」をひとつ買って、食べながら歩いた。どちらにも菅原道真の逸話が残っている。嘘でも本当でもいい。思いを馳せる歴史があるというのがいい。

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» 九州国立博物館「海の神々展」と観世音寺 [Izumish World]
 土曜日に夫に子供をあずけて、一人で九州国立博物館に「海の神々展」を見に行った。九州国立博物館は1年ほど前に開館したばかりで、わりと近くに住んでいることもあり、前から見に行きたいと思っていたのだけれど、妊娠中はずっとウツ状態(マタニティブルー?)だったこともあり、行くことがなかった。で、諸星大二郎や星野之宣のマンガが好きな私としては「海の神々」というテーマはすごく興味をひかれるものだったので、この機会に行くことにしたのだ。  場所は太宰府天満宮の後方あたり、というのはなんとなくわかっていたのだ..... [続きを読む]

受信: 2006年11月20日 16:47

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