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2006年10月30日

突如、英語ばかりの日曜日、そしてマギリガン

昨日は某ホテルで知り合いの方の出版記念パーティーに参加。そこへ行く前に、急きょ参加することになったイギリス人のエスコートをお願いされ、別のホテルへその人を迎えにいって、一緒に会場へ。

いろんな方との会話を楽しもうと思っていたが、現実にはずっとそのイギリス人の相手をすることになった。最後は駅まで見送ることに。半日ずっと英語漬けだった。いい勉強になった。

もっと英語を話せるようにならないといけない。大切なのは落ち着くこと。それから、いつも不思議なんだけど、酒を飲むと英語が饒舌になる。度胸が出るのか? ああ、常時話せるネイティブの友人が欲しい、今ここに。

パーティーでの何人かの挨拶が終わって、彼首を傾げてこう言った。「なんでスピーチの終わりが、あんなに力入るのか。テレビでもよくみんな絶叫しているけど、それが日本のしゃべり方なんだろうか」と。悲しいかな、日本ではそうしないと一生懸命じゃないと思われるんだよ、デイブ。

彼と別れたあと、時間がゆっくりあったので、いつものアイリッシュパブへ飲みに行った。心地よい疲れを引きずって、どうしてもそこで飲みたかったんだ。

すでに常連のような顔して、その店へ入る僕。ギネスを1パイントのあと、まだ飲んだことのないアイリッシュ・ウイスキーに挑戦しようと思って、進められたマギリガンをロックで飲んだ。お店の人は「癖がありますよ」と言っていたが、なかなか好きな感じのがつんと重い一口目だった。

それがだんだんと香りが変わってくる。
「あっ、草っぽくなりましたよ」
「なかなか当たりの表現ですよ、それ」

店が混んできたので、いつもより早く帰ることにした。

例のテレビ局のお姉さまはこの間と同じように、パーティでも「あなた、私のオフィスに遊びにいらっしゃい。妙齢の女性がいるわよ」と妖しげな笑顔で言っていた。と言われたってね、ほいほいと出向くのも変だよな。ていうか、おーい、今日連れてくるんじゃなかったのか?

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2006年10月27日

履修問題―無駄から教養がうまれる

時間がないので端的に。

高校の履修科目の問題が浮き彫りになっているが、どうも納得がいかないのが、「生徒のためを思ってそうした」と言っている校長などの弁。「生徒のため思ったら世界史教えるだろうよ」と僕は画面に向かってぼやいている。

そもそも、「受験に関係ないものに時間を割きたくない」などと、生徒が堂々と功利的な主張をするような気風をつくってしまうなんて、一体どういうこと? それを受け入れる教師たちは、学校教育とは何だと思っているのだろうか? 不思議でならない。きっと中途半端に進学校なんだろうな。まあ、教師も生徒も受験システムの犠牲者かもしれないけど。そう考えると、気の毒だなあ。

予備校や塾じゃないんだから、学校ではたくさん一見無駄だと思えるようなことを教えなければいけないと思う。世界史なんて、習った細かいことなんかみんな大方忘れてしまう。でも、その果てに残る「何か」が大事なんだろう。それはきっと、その人の思想の見えないところを支えている「何か」になる。

無駄なことを勉強していない人は、僕はつまらない人間になると思うんだよな。人間的な魅力というのは、おおいに無駄なことを学ばないと出てこないんじゃないの? 教養は無駄から生まれてくるものだ。

さて、世界史を習ってないということは、もしかしてアレキサンダー大王とかナポレオンとか、そんな人物に対する知識すらほとんどないということなんだろうか? 歴史を勉強しないなんて、本当にもったいないと思う。

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2006年10月25日

どう苦しむか

月初から僕の頭を悩ませていた難しい案件があり、そのことを考えると、漆黒の闇の中に心が吸い込まれていきそうな苦しみを覚えていたのだが、一挙に意外な形で解決の方向へ向かった。人生っていうのは、不思議なことが起きるもんだ。

この問題への対処のなかで、精神的に僕はなにかひとつ大きなものをつかんだような気がする。苦しさのなかでもがいているうちに、生死の問題からしたらこんなものはちっぽけなことじゃないか、こんなことに囚われていてはいけない、それにすべては自分の生命の鍛えなのだ、喜べ、と思えるようになった。そうしたら苦しみが楽しみになり、心がしっかりと定まった。間もなく、考えもしなかった話がきて、道が開けた。

決して苦しみから目をそらすのではない。思いっきり苦しまなければいけないが、自分の心の位置がどのへんにあるかで、その苦しみ方が大きく違ってくる。苦境をありがたいと思い、それに前向きに取り組んだときに、もう地獄からは解放されている。

具体的にここに書けないが、まだまだいくつも問題がある。それに、新たな問題が次々と起こり続けるだろう。ひとつひとつ、精神の鍛えだと思って対処していきたい。

夜、外に出ると、小雨が降っていた。土の匂いがする。ああ清々しい。ひと安心してどっと疲れが出てきた体に、生気が戻ってきた。また頑張ろう。

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2006年10月23日

アメリカの不在者投票

今日は家族と知人の誕生日のお祝いが重なり、ケーキを食いすぎた。

珍しく夜遅くまでパソコンを開くことのない一日だった。今開いてさっとNYTimesのヘッドラインのメールを見ると、面白そうなのがあったので読んでみた。

Growing Absentee Voting Is Reshaping Campaigns

アメリカって、日本で言うところの不在者投票がとっても多いらしい。04年の選挙では全米で約20%の人が事前投票を済ませていた。テキサスやオレゴン、ワシントンの各州ではなんと50%を超えている。当日前に投票を済ませる人の割合は増加する一方であり、今度の中間選挙でも、候補者側は選挙戦略の見直しが迫られているという話。

アメリカ政治システムのことはあまり興味がないので、このことを知らなかった。新鮮にへぇーという感じ。日本では不在者投票というと、組織政党による激しい動員と重なってネガティブなイメージがあるが、テキサスのように半分の有権者が不在者で投票するとなると、もうそんな次元の話じゃない。ごく当たり前になってきているんだろう。

選挙参謀たちにとっては、頭を悩ます事態だろう。例えば、終盤でネガティブキャンペーンを張っても、多くの人が投票済みで時すでに遅しということになりかねない。事前投票を受け付ける期間も日本以上に長いようなので(1ヶ月とか)、どの時期にどの層が投票する傾向があるとかきちんと把握していなければ、みすみす票を失いかねない。この制度のおかげで、選挙対策は複雑になっている。まあ一言でいうと、しんどいでしょうね。

このトレンドがいっそう進むと、「選挙当日」が「選挙最終日」と呼び変えられることになったりして。

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2006年10月20日

秋の夜の匂い

昨晩、昔からの友人が遊びに来て、いろいろ話していたら夜中の2時になっていた。

見送ろうと外に出ると、ひんやりとして秋の深まりを感じる夜だった。

大きく息を吸う。「ああ、秋の夜の匂いがするなあ。これだよこれ。この季節になると、あの頃を思い出すよなあ」

吸えば、冷たい空気の清々しさを感じる。それで体が凛とすると、大学時代、夜遅くまでたわいもないことを語り、どうでもいいことに熱中していた、そんな時代を思い出すのだ。それが匂いだ。僕らはとてつもなくいい加減な生活に、ものすごいエネルギーを費やしていた。一生懸命でバカだった。

毎日のように、深夜家路についていた。それは春でも夏でも冬でも同じだったが、なぜか思い出すのは秋なのだ。それも11月に差し掛かる頃の夜。今頃の遅い時間には、なにか独特の気配がある。

彼は日本のなかを転々とし、僕は日英を行ったり来たりしながら、お互いまさかこの時代に田舎に戻ってくるとは思いもせずに生きてきた。

それはそれでいいではないか。決して不幸なことではない。お互い必死に生きているのだから。それに将来、全然別の場所で会うことになるかもしれないし。

流れにまかせながら、それでいて、流れを自らつくろうともしつつ。冷徹に現実を直視ながら、しかし、ロマンと情熱をもって未来への歩みを続けなればならない。

丘の上にある大学を出ると、そこからまっすぐに下りの坂道が伸びていた。真夜中、門の前にある交差点で立ち止まって坂を眺めるのが、僕は好きだった。そこにはおそろしいほどの深い静寂があって、時間的にも空間的にも「永遠」を感じる場所だった。赤信号の点滅が、間抜けなほど規則正しく続いていた。

昨日僕らは、「始まりもなければ終わりもない」という生命観について、どういうことなんだろうなと話していた。どんな歩みをしてきていようが、これからどこへ向かって歩んでいこうが、若い頃に培ったものは、きっと精神の奥底で核となって、見え隠れしながら常に心を動かしているのだろう。

きっと僕らは、ずっとこういうことを話し合って生きていくのだ。

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2006年10月18日

非核三原則はお題目

ライス国務長官が、わざわざ「日本の防衛に強い決意をもっている。日本に対する安全保障を約束したい」と言ったのは、北朝鮮の核実験によって一気に高まった日本の安全保障への不安感を払拭し、ひいては日本が核武装へ向かうのを阻止しようという意図があってのことだ。

いわゆるアメリカの「核の傘」がなければ、日本は一体どんな防衛手段を取るだろうか。「非核三原則」をお題目のように唱えるだけで、私たちは満足しているだろうか。「なぜ核を持てる能力があるのに持たないのだ」と国民は政府を非難しないだろうか。

核の傘を前提としての軽武装であるにも関わらず、何かというと非核三原則を持ち出して、核なんてけしからん、などという人々が多すぎるから、先日問題になった中川政調会長のような発言をしたくなるのだと思う。相変わらずこの国では、核のかの字も出せない。

中川氏を批判した人間は、論理的には今日のライス長官の発言にも、声を大にして反対すべきだろう。「アメリカの核に守ってもらう必要はありません。私たちは非核三原則を国是とする素晴らしい国です」と。日米安保を否定しないのならば、非核三原則を偉そうに持ち出すのはやめてもらいたい。

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2006年10月15日

人間のいない地球

竹内薫さんのブログのなかで、New Scientist という雑誌が面白いと書いてあったので、サイトを覗いて、最新号のなかからフリーで読める記事をプリントアウトした。題して
"Imagine Earth without People"

のっけから、「人類は地球をめちゃくちゃにした。もし可能であるならば、地球上の他の生物は、人間がこの星から出て行くよう表決するだろう」なんていうことが書かれている。確かに、「お前ら人間さえいなければ、俺たちはもっと幸せなんだ」と叫びたい種は多かろう。

チェルノブイリ近隣のプリピャチという街の話が出てくる。原発事故以来20年、危険地帯ということで、この街には人が住んでいない。しかし、コンクリートやレンガや木材の間から、植物が生長しているのだそうだ。そして、昔の生態系が復活へ向かっていて、ウクライナのその周囲では見かけない狼が、プリピャチではたくさんいるのだという。人間がいないというだけで、放射能汚染にもかかわらず、自然はとてつもない復元力を発揮しているのだ。

そういえば、こんな話を聞いたことがあった。三宅島の噴火で住民が本土へ避難して、人間が生活しなくなったら、しばらくして周囲のサンゴ礁が復活したと。生活排水が海にとって毒だったのだ。ああ、なんて人間は迷惑な生き物なんだろう。

記事は、大気や海水、絶滅の危機にひんする種のリスクについてなど、長々と書いてある。人類がいなくなっても、過剰な二酸化炭素を最終的になくすには2万年という時間が必要だそうだ。

人類が消え、それから何万年か経てば、現在の圧倒的な支配の形跡は完全に消え去ってしまい、10万年後にエイリアンが地球にやってきても、高度に発達した文明がこの星に存在したという目に見える印はない、とも。

しかし、このお騒がせで厄介者の人類は、まだまだ生き続ける。一体、人類ってやつは、何をするために、これほどの知能を持ち合わせて、地球に誕生したのだろうか?

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2006年10月13日

「海の神々」展、平家納経

大宰府へ行った。一体何年ぶりだろうか。ある程度ものがわかるようになってからは、もしかして初めてかもしれない。なんとなく、奈良のような、静かな歴史の息づかいが伝わる街だ。

天満宮へ至る参道に沿って歩き、本殿の手前で右に折れると、その向こうの林のなかに近代的で柔らかな建物の九州国立博物館がある。静寂があたりを包み、歩いていて気持ちがいい。

ここで開催されている「海の神々」展を見たくて、僕はここまでやって来たのだった。とりわけ、「平家納経」の願文が見たかったのだ。

願文は平清盛の自筆だといわれている。実は清盛は能書家だったらしい。願文は癖がなく、この人は武家だったのだろうかと首をひねりたくなるような、素直な感じの優しい字体に思えた。ああそういえば、平家は武家にして、同時に貴族的だったのだ。

平家納経は宮島の厳島神社に奉納されている。33巻からなるこの写経の中心は法華経で、全二十八品が納められている。こういうところからも、日本においては昔から、やはり法華経に重きが置かれていたということがうかがい知れる。

それにしても、神社に仏典とはどういうことだろうか…と不思議に思っていると、映像ブースのビデオの中でちょうどその疑問を投げかけていて、厳島神社の人が「当時は神社も寺もあまり違いがなかったのだ」という答えをしていた(あれ、違ったかな。確かそう言っていた)。こんな物言いを怒る、というかバカにする日蓮系仏教徒もいるだろうが、まあこれがやっぱり日本的だったんですよ、伝統的に。それが良いとか悪いとかじゃなく、日本人というのは、まるでごちゃごちゃで、良いと思ったら何でもありの民族だったのだ。寛容的というかいい加減というか。それを一神教的な考えで切り捨ててしまうだけでは、あまりものの本質が見えてこないんじゃないかと思う。

海の文化に、ここ数年ロマンを感じている。平家は西国が中心で、西国は開かれた海の文化だった。西国は母系社会でもあった。東国の陸の文化、厳格な父系社会とはかなり異なる精神性を育んできた。それは確実に、現代の人々にも受け継がれているように思う。だから九州人はダメな男が多い?

展示を見ていて、海と祭祀の関係はとっても面白いと思った。宗像大社の三宮とか、そのなかの沖ノ島は島全体がご神体であるとか、宗像三神が宮島の厳島神社など瀬戸内海を伝って各地で祀られているとか。古代の人々が何を考え、それがどういうふうに共有されていたのか、そういうことを知ると、自分たちが何ものであるのかが、少し見えてくるのではないだろうか。

夕暮れ、せっかく大宰府へ来たのだからと、「飛梅」をじっと眺め、これまたせっかく来たのだからと、参道の適当な店で「梅が枝餅」をひとつ買って、食べながら歩いた。どちらにも菅原道真の逸話が残っている。嘘でも本当でもいい。思いを馳せる歴史があるというのがいい。

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2006年10月12日

おいしい和食と楽しい会話

昨晩、隠れ家的なある福岡の料亭にお呼ばれした。店のご主人がサービスで会席料理を振舞ってくれるということで、喜んで出掛けていった。

某テレビ局の方とご一緒した。会うのはたしか10年ぶりぐらいだ。昔は毎日ニュース番組で見ていたが、久しぶりに会って、その頃より若く美しい女性になられたような気がした。いろんな苦労を乗り越えて、今が楽しいのだと言われていた。

店のご主人のダジャレに圧倒されながら、みんなで男と女の話で盛り上がり、最後は生命論の真面目な議論になった。

話に夢中で、あまり料理を味合うことができなかったのが残念。全品どれも繊細でよろめいてしまうほどおいしかったのだが、ただでさえ僕は食べるのがゆっくりなのに、自分がしゃべっているとよけいに遅くなる。みんなのペースについていくために、話を聞いている間にぱくぱくと放り込むかたちになってしまった。

でも満足したのは確か。見た目、香り、味、そして楽しい会話。すべてが脳を活性化し、心を浄化してくれる。

テレビ局のお姉さまは、僕の花嫁探しをするのだと力説していたが、さてさてどうなることやら。

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2006年10月 6日

月を眺め、祈り、団子を食う

今年も月見をした。今日の九州地方は晴れて、夜の空も澄んでいたので、まんまるの月がいやまして強い白銀の光を放っていた。月の明かりがあるのとないのとでは、随分と夜のものの見え方が違う。38万kmもの彼方から柔らかく照らしているというのに。まあ本当は、太陽の光がそれだけすごいんだろうが。

台風の影響だろうか、上空の風は強そうだ。薄い雲が駆け足で横に流れていた。満月に少し雲がかかっているのが、日本の古典的な月の風景。知らず知らず、それは僕たちの美意識になっている。家族のみんなが、「ああ、あの雲がはやく月にかからないかなあ」と期待していた。

美しい月を眺めていたら、自然と手を合わせたくなった。太古の昔の人々には、特定の宗教団体などもちろんなんの関係もない。自然への畏敬の念のなかにこそ、宗教があったはずだ。僕は今でも、その精神でいいのだと思う。

月天に祈りを捧げたあと、みんなで団子を食べた。祈っても、食べなければ生きていけない!

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2006年10月 4日

「すべては自分」と思えると幸せ

テレビをつけたら、News23でがんの特集が始まるところだった。最近がんには関心があるのでそのまま見ることにした。

今日は、余命三ヶ月といわれ闘病生活をしながらIT社長をしている藤田憲一さんを追った内容だった。以前もこの人のドキュメンタリーを見たことがあって、一度ならず人との話のなかで話題にしたこともある。その後どうされているのだろうかと思っていたので、今日はグッドタイミングだった。

ある講演会で彼がこんなことを言っていた。

「こうなったのは全部、自分の責任なんだと思えるようになると幸せだ。他人のせいにしてばかりいてはハッピーじゃない」(正確ではありませんが)

「それはわかっているよ」と誰でも言うかもしれないが、自分が苦境に陥ったときに、本当にそう思えるかどうかは疑問だ。僕は、僕の次元で、最近彼の言うような意味を自分に対して感じれるようになった。そうなってみて初めて、頭で分かっているのと心で深く感じ入るのとは全然違うとわかった。死を真正面に見据えて生活している藤田さんの感じ方はもっと深いものなのだろうが、僕なりに涙を浮かべて共感できるくだりだった。

僕はここ数年ずっと苦しんでいる。いろんな難問が次々と押し寄せ、もう生きているのが嫌だと思ったことは何度かある。3日に一度ぐらいは、家族のことなんか知るもんかと投げ出したくなった。つい他人を恨み、環境のせいにしたくなる。本気である人を呪い殺したくなったこともある。そもそも、ブログをしようと思った背景には、こういう精神のバランスを取れなくなってきている自分の危険性を、少しでも和らげたいという気持ちがあったからだった。毒気をここで吐き出したいという気持ちと、自分のなかの良質な部分を出す努力をしようという気持ちが交錯して今まで書いてきた。

それが最近、ぱっと心が開けて、「そうだ、すべては自分なんだ」と思えるようになった。この感覚を表現するのは難しい。今までもそう思ってきたつもりだったが、それとかなり違う感じ方なのだ。

そう思えるようになってからは、人や物事がまったく違って映るようになった。もちろん、「この野郎」と怒りを覚えることはあるし、「どうしてそうなるの」とうんざりすることもあるが、とっても軽やかな気分でそう思い、だから結局はポジティブな解釈へとなってしまうのだ。環境は苦しみのさなかにいる身だが、心は不思議なくらい楽しい境地にいる。

宿命や縁起といったことを積極的に捉えていくと、「自分」という存在は、自他ともの変革のまさに中心に位置しているのだという姿勢になれる。だからこそ、自分の心の世界を広げていかなければならないと思う。

生と死、生命と宇宙、そういったことの「問い」を続けて祈り生活していくなかで、それは行われていくのだろう。

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2006年10月 2日

思い込みの怖さ

思い込みが、いかに考える視点を狭めてしまうものか。

29日の夜、出先で突如としてパソコンが使えなくなった。使っている途中で放っておいて、数時間後またデスクに向かったら電源が落ちていて、電源ボタンを押したけども、うんともすんともいわなかった。

ここで僕は、数ヶ月前の故障のことが頭にあり、このパソコンは出来が良くないと決めつけていたので、すぐに「また故障だ」と思った。電源が入るんだったら、自力でどうにか努力することも可能だが、そもそもの立ち上げができないのだから、どうすることもできない。家に帰ってからNECに電話するしかないな、と諦めた。

そして、2日経って家に戻ってきてからのこと。保証関係の書類を引っ張り出して、24時間受付に電話をしようと思った矢先、あることに気づいた。

「待てよ、考えてみたら、俺は今回一度も電源コード(アダプター)を使わなかったな。もしかして、バッテリーがなくなっていたんじゃないのか」

コードをコンセントにつないだ。バッテリー補充のランプが即座に点灯。そして、電源ボタンを押すと……。

ウィーンと低い機械音が聞こえ始める。何事もなかったかのように、ふつうに立ち上がった。

おかしくて、笑ってしまった。なんで、こんな単純なことに気がつかなかったのだろうか。出先で何度もコードは目にしているのである。帰るときも荷造りで手にしているのである。コードをつないでいなくて、そして電源が入らないというのに、コードをつなごうとは微塵も思わなかったのだから、自分のバカさ加減に呆れてしまう。

このところ、バッテリーの寿命を感じるようになってきていたので、その調子の悪さもあったのだろう。ふつうだと、バッテリーが稼動しているときは、パソコンを使っていなかったらすぐに節電状態になるので、残量がゼロになるということがない。だから、まさかバッテリーの問題とは思わなかったのだ。

故障だと最初から決めつけたことで、コードのことは見ているようで見ていなかった。バッテリーのことに考えが及ばなかった。そもそも、ふだんはあれこれ考える癖があるのに、この一件に関しては、なんでだろう?と立ち止まらなかった。先入観による脳の働き。こわい、こわい。

一事が万事。こうして、いろんな日常の出来事や社会の動きに対し、浅はかな思い込みで臨むことで、人間は自らの世界を、自ら狭くしてしまうのだろう。そうならないためには、好奇心をもつこと、学ぶこと、多様な人々に会うこと、違う世界に行ってみることなどだろうと思う。刺激だ、刺激が必要なのだ。

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