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2006年9月29日

散文的な世界で感動的なスピーチを

トニー・ブレアの党大会スピーチをBBCで聴いた。何年か前、彼の演説集を読みながら、英語のスピーチを学んでいたのを思い出す。

リズム、韻、間、レトリック、強弱、速さ、ユーモア、などなど。

日本語ではなんでもっと印象的なスピーチができないのだろうか、と日本人とくに政治家の演説を聴いていて思う。言語の構造の問題だけではなかろう。

日本でも、政治というおおいに散文的な世界で、にもかかわらず、じーんと胸に迫る味わい深いスピーチを聴いてみたいものだ。

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2006年9月26日

権力のはかなさ

今日、日本で安倍内閣が発足した同じ日、イギリスでは、ブレア首相が最後の党大会スピーチをする。

ブレアは1年以内に退陣することを明言している。97年、人々の歓呼のなか官邸入りした期待の星は、今や早期辞任を強いられる落日ぶりだ。

民主主義は冷酷だ。期待が大きすぎると、その反動で失望も大きい。

安倍政権はいったいどれぐらい続くのだろうか。案外、参院選で終わりなんてことになったりして。

そうしたら、外相に留任した麻生さんの出番もあるか?(本人は、「留年、じゃなくて留任」とさっそくボケていた) あんまり描けないイメージだけど。

それにしても、最後まで高支持率であった小泉さん、党則を変えてでも本当は続けられただろうに、すぱっとやめてしまうところが、素晴らしいんだと思う。権力の絶頂にいる人間がそれをきっぱりと捨て去れるなんて、想像できないほど難しいことなんだと僕は思う。

日英の報道を見比べながら、僕は、権力者のはかなさ、去り際のタイミングの大切さなどを考えていた。

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2006年9月24日

寒くなると紅茶が飲みたい

今、夜中の2時過ぎ。風呂上がりで部屋へ入ったらちょっと肌寒い。室温は23℃まで下がっている。

僕は、寒くなってくると紅茶が飲みたくなる。どうしてだろうか。アッサムなどにたっぷりとミルクを入れて、きれいな肌色になった紅茶を、わりと一口を多めに飲むのが好きだ。今、無性に紅茶が飲みたい。

今年の6月か7月頃、朝起きるとコーヒーが飲みたくて飲みたくてたまらない時期があった。大袈裟ではなく、「起きたらコーヒーを飲めるぞ」という思いだけで、ふとんから出ることができていた。今思い返すと、あれはあれで一体どんな体の作用だったのだろうかと不思議だ。

イギリスにいた頃は、毎日何杯も紅茶を飲んだ。コーヒー好きな僕だが、日々の生活のなかでコーヒーを渇望することはほとんどなかった。あの寒さと暗さには、毎回必ず沸騰させたばかりのお湯を注いでつくるあの飲み物がいちばんなのだ。

それがどうだろう、フランスやイタリアに行って重たい食事をした後は、エスプレッソがいちばん合う。決して紅茶を飲もうとは思わない。エスプレッソのあの濃さがなければだめだ。

じゃあ中華にもエスプレッソを、とはならないから、また面白い。中国人がやるように、テーブルに着いた瞬間から、烏龍茶なり他の中国茶を飲むのがやっぱりいい。食事中、何杯も何杯も飲む。それでこそ、たくさんの料理を口にしても大丈夫になる。

でもって緑茶だが、イギリスにいたときは、やっぱりそんなに飲みたいという気にならなかった。

こういう感覚はなんなのだろうか。先人の知恵で、その土地、そこの食事に合った飲み物が自然と出来上がったということなんだろうか。それとも、ここではこれを飲むものだ、この料理にはこれだ、といった固定観念の仕業だろうか。

ああ、とにかく今は紅茶が飲みたいのだ。なのに、わが家には今、紅茶がない。なんという悲しさ。

田舎ではたいしたもの売ってないので、今度福岡へ戻ったときに、デパートか紅茶専門店で買っておこう。いや、そこらへんのスーパーで売っているものでもいいから、明日買って飲もう。とか言って、昼間暖かかったら、きっとそんな気が薄れているんだろうな。

そういえば、スターバックスで紅茶が飲めることを、ついこの間知った。甘ったるいコーヒーなんか飲めるかと思っている僕にとって、スタバに行ったとき飲むものは、「本日のコーヒー」かアメリカーノ、よくてカプチーノぐらいしかない。でも、紅茶があるのなら、もうちょっと頻繁に足を運んでもいいかなと思う。

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2006年9月22日

雰囲気をもつ人間

先日、ある人と深夜までロイヤルホストでしゃべった。僕より20歳以上も年上のダンディな方だ。仕事上の付き合いからはじまった人間関係だが、最近はビジネスを超えていろんな人間論、人生論、生命論を交わしている。

この人と会っていると、人間は雰囲気を持っていないといけないと思う。独特のオーラがその人にはある。それは、内面からにじみ出る人間性だ。老若男女を問わず、この雰囲気を持っている人と出会ったときは、とても心が弾むし、もちろん会話も楽しい。逆に雰囲気を持たない人といるのはつまらなさすぎる。

昨日は、僕が長年お世話になっている方と、半年ぶりぐらいでお会いした。なんというか、精神的にちょっと違う次元にいる方で、今までいつも刺激は受けていたが、ついていけてなかった。それが今回は、すんなりと話が僕のなかに入ってきたのである。魂を揺さぶられるような大感動があった。この方も20歳ぐらい年上の方で、不思議な魅力を持っている方だ。

雰囲気でも、オーラでも、魅力でもいいんだけど、こういうものは無理に出そうと思ってもできっこない。僕は、無理に自分を飾っているような人間は嫌いだ。安倍晋三がどうも好きになれないのも、そこに何か無理を感じるからだ。背伸び、肩の力を感じるからだ。人間の深み、面白さが感じられない。

これからの難しい時代の舵取りに当たって、安倍さんに対して僕の感じているものが、どうか間違いであってほしいと願うばかりである。

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2006年9月20日

公明党も選挙で代表を選んでみたら? 

国民投票で総裁を選んでいるのかと勘違いしたくなるほど、街頭に繰り出してまで戦われた自民党総裁選。

代表が無投票で決定し、選挙が行えなかったことで、わざわざ「わび状」をサポーターなる人たちに送った民主党。

党員など無関係のどこかよく見えない世界で代表交代が事実上決定していて、建前では立候補の受け付けはするが、実際に選挙をやるなんてもってのほかの公明党。

こんなにトーンが違う。

公明党の代表選に複数立候補して選挙をやる事態になったら、さぞ面白いだろう。それが健全だと思うけど、そんなことあったら党も学会も一大事になるに違いない。規定路線に従わなかった人間への仕打ちは凄まじいんだろうな。

でも、本当にそのほうが党のためになると思うけど。党内にもいろんな批判がくすぶっているのだから、表面的に一枚岩を繕ったりせずに、真正面からタブーの部分も含めて討論を公の場でするようなことがあって然るべきではないだろうか。健全になると思うけどな。

まっ、あり得ないけどね。

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2006年9月18日

竹中平蔵の議員辞職に思うこと

竹中平蔵氏が議員辞職することについて、野党をはじめとして批判が出ている。確かに、国会議員として選出された責任を、小泉さんが総理を辞めるからという理由だけで、そんな軽々と放棄していいのかという批判は、それ自体としては正しい。しかし、何事にも文脈がある。大橋巨泉や田嶋陽子のように、偉そうに他人を批判しながら、本人は何もしないまま永田町を去っていくのとは、かなり次元は違うだろうと思う。

新政権誕生とともに政治の世界を去るというのは、アメリカ政府の閣僚やシニア・スタッフのような動きだ。アメリカ政界で、というかホワイトハウスでそうなってしまうのは、立法府と行政府が完全に独立しているからで、元々議員でない閣僚やシニア・スタッフが、ホワイトハウスを去った後、キャピトルヒルに戻るべき場所はない。有能さを買われて、もしくは人脈のなかでたまたま、彼らは人生のほんの一時期、政治の世界に足を突っ込むだけなのだ。それで政治はできるようになっているのである。

議院内閣制の日本では、閣僚は基本的に国会議員である。従来の自民党政治システムにおいては、大臣になるような人間は、一生の仕事として国家議員を選び、その立場を長く維持できた者だった。小泉政権下でかなりその慣習が崩れたとはいえ、顔ぶれの大半は長い間の永田町の住人たちであることに変わりはない(憲法でも規定があるので仕方ない)。基本的に日本では、政治の玄人が閣僚になるのだ。

竹中氏が経済諮問会議を仕切っている頃、亀井静香氏がこんなことを言っていたのをよく覚えている。「学者先生に何がわかるか」と。僕はこれが不思議でならなかった。バブル崩壊前から、亀井氏は議員であった。しかも実力者だった。何かしようと思えばできた。しかし、そういう人たちが無策だったから、もしくは意味のない政策をやったから、結局仕方なく竹中さんに出番が与えられたのだ。「じゃあ、権力があったくせに、あなたは何を一体してきたのか」と僕は問いたかった。ともあれ、亀井氏の言葉からは、政治の玄人としての面子が透けて見える。

そういう背景を考えると、竹中さんは仕方なく議員になったのではないだろうか。そのほうが仕事がしやすい、ということだけではなかったろうか(自民党としては、参院選の目玉として竹中票に頼ることができるという計算があった)。別になりたくてなったわけではないから、何の未練もなく辞めますよ、となる。

ふつうまず議員があって大臣があるのだが、この人の場合、大臣がまずあって、そのあとで議員がついてきた。大臣で権限を持ってやりたいことを遂行するのはダイナミックで楽しいが、一議員として議場に座って賛成・反対のボタンを押したり、地味に委員会で質問したりすることに、おそらく何の魅力も感じていないのだろうと思う。だったら政治の外でもっと面白いことやるよと。彼にとってみれば、国会議員という立場はきっとそれぐらいのものなのだ。

職業政治家、つまりその地位にとどまることに命を懸けている多くの先生方にとってみれば、自分たちがばかにされているような気分かもしれない。しかし、竹中辞職の是非はともかく、他の議員も、彼と同じように潔く政治の舞台から身を引いて、喜んで他の仕事に就けるような人間であるかどうか問うたほうがよい。バッジを外しても、魅力ある人間であるかどうか、有能な人間であるかどうか。本当は、議員の立場にしがらみのない人こそ政治に携わるべきで、しがみついていたい人間は早く追い払うべきだ。

有権者の立場からすれば、4年もの年月を残しての辞職は許せないというのもわかる。去るなら任期を全うしてからにすべきではないか、というのはもっともな意見だ。「立候補したのは、方便であり手段でしかありませんでした」といったところで、納得できない人も多かろう。僕も、一期の任期満了まではやるべきじゃないかと思う。しかし、彼の立場に立ってみれば、5年間連続で大臣をやった後に、4年間おそらく重要な立場を与えられずに、しかも無意味に縛られて生きるのは、あまりにも勿体ないとも思う。どこに価値を置くかで生き方は違ってくるだろうが、元来が職業政治家でないのだから、そのつまらない地位に甘んじていたくないというのは仕方ないのではないだろうか。

二世・三世と世襲議員が多いなか、竹中氏をみていると、人生のほんの一時期だけ永田町で過ごすという生き方もあっていい、もっと多くの有能な人がそういう生き方を選択してほしいと思う。

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2006年9月17日

台風接近中。数学の家庭教師終わる

台風接近中ということで出かける用事をキャンセルして、家でゆっくりしている。すでに断続的に停電になっていて、暴風域にも入った。ここ数年、大型の台風が来ても、肩すかしにあったように、毎回何事もなく通り過ぎていっていたが、今回は久しぶりに台風の凄さを実感するのではないかという予感がする。

数Ⅰの臨時集中家庭教師は先日終了。いきなり頼んで、高校数学を教えてくれる人なんか、田舎ではまずいない。なので、その子のお母さんが喜んでくれていた。僕のレベルもたいしたことはないんだが、十分それでも教えきれる内容だったのでよかった。時給1500円。安いような気もするが……。

教えていてあらためて感じたが、数学も国語力がないとだめだ。まずもって、問題が何を問うているかが理解できていない。だから、計算式がつくれない。問題の意味が分かる、ということは至難の業なんだなと実感した。実際、それが分かるということは、ほとんど解けたのと同じことなのだ。

これを機に夜は副業を、などとは考えていない。が、学校教師のレベルの低さを姪などから聞くにつけ、みんなかわいそうだなと思えて仕方がない。

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2006年9月13日

滝川クリステルはなぜ斜め?

『ニュースJAPAN』の滝川クリステルは、どうしていつも斜め横を向いて、しかも前傾姿勢を取っているのだろうか。あれはどんな作戦なんだろうか。

あの姿勢は、絶妙に彼女に合っている。あの眠たそうなまぶたと、気だるい声に合っている。…と思うのは僕だけだろうか。正面向いてニュースを読んでいるときより、斜めのほうが、断然引き込まれる。

あっ、ここでウィキペディアを見たら、あれはスタッフがモナリザを意識して、美しく見えるように45゜の角度を取っているらしい。そんな作戦にまんまとはまっている日本国民が、一体どれだけいることだろう。

アメリカやイギリスのニュース番組のようなあの暗いセットといい、滝川クリステルの声や表情や姿勢といい、一日が終わりそうな時間にぴったりでまったりしている。横にマグカップというのも、そういう雰囲気を出すためなんだろう。

そんななか、松本方哉の不必要に揺れる手の動きだけが、場違いに元気なのである。

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2006年9月10日

総裁選―政治は面白くなければ

自民党の総裁選、みんな興味あるのだろうか? 僕は、実質的に自国のリーダーを選ぶのだから、自分は投票権を持っていないけれども関心を注がなければと思っているのだが、どうもそそられない。

勝負が最初から決まっているからだろう。あの滑舌が悪くて、人間的な面白さが見えてこず、頭が良いとも思えない、「なんだか北朝鮮のことでラッキーにも脚光を浴びて、ここまで来ちゃいました」という感の否めない安倍さんが総理総裁になると思うと、つまらなくてつまらなくて。

安倍支持者は、社会保障に関しては長年取り組んできているとか、素晴らしい人間性を持っているとか、改革を促進できるのは安倍さんしかいないとか言うけど、そんなのうじゃうじゃ党内にいるだろうよ、と反論したくなる。

結局、来年の参院選のことなのかと思う。イメージで勝つためには安倍さんしかいないと。そして、選挙というのは詰まるところイメージなのだと。としたら、国民はバカにされてるなあ。でも、安倍さんがここまでたどり着けたのも、イメージによる国民の支持だ。世論調査で評価が低ければ安倍じゃダメだということになっていただろうが、ずっとぶっちぎりのトップだったから安倍でいこうとなるわけで。

まあ僕の安倍嫌いも生理的なもので感情論だから、似たり寄ったりだけど。安倍さんには余裕がないんだよな、人間的な余裕が。

僕は政治に楽観的な見方を持っていて、このグローバル化して世界の目に晒された現代社会において、その世界と関係を保って生きていこうと思ったら、遅かれ早かれ、常識的に妥当な方向へ個々の政策は落ち着いていく、と思っている。異常なことをしようとすると、たとえそれが短期的に実行可能であっても、そのうちそういう政策と政治家はともに滅びる運命にある。これはなにも、独裁とか圧制とかいう極端な政治体制のことを言っているのではなく、たとえば社会保障の分野で、先進国のなかで日本だけが時代遅れな政策を取り続けている、といったことが長期的には不可能である、ということだ。その変革が早いか遅いかは政治家とくにリーダーシップの質の差になるんだろうけども。

つまり、どうせいつかは政治は良い方向に行かざるをえないのだから(行かないとしたら、よほど国民は阿呆なわけで)、だったら政治が面白いと思わせる人を指導者に選びたいと思うのである。

その点、玉砕覚悟で出馬した麻生・谷垣の両氏は、負けると分かっていて出るというだけで愛すべき人物だ。1年に2000キロも自転車で走る谷垣さん、10%に消費税を上げますよと力説する谷垣さん。真面目すぎて笑ってしまうじゃないか。

それからわが麻生太郎。昨日の秋葉原での3人による街頭演説会で、「自称『秋葉原オタクの皆さん』」と呼びかけて、日本のサブカルの魅力を訴えたオタッキー人間、麻生太郎。面白すぎる。昨日の「きょうたろう」にリンクしてある講演なんか、読んでいておかしくて口元が緩んでしまう(ちゃんと立派なこと言ってますけどね)。外務大臣の講演がこんなにマニアックでいいのだろうか。こんな人間が負けてしまうのは悲しいな。

本当は、この講演のリンクを紹介しようと思っただけだったんだけど、思わずこんなに書いてしまった。つまりは、僕は安倍晋三が魅力的だとは全然思わないのだ。

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2006年9月 9日

福岡のPAUL

フランスの PAUL が福岡にもあることを知り、無性にフランスパンが食べたくなって行ってきた。

最初に PAUL へ行ったのは、四ツ谷駅のアトレ。当時近くに住んでいて、パンがうまそうだなと思ってふと入った。そのときのバゲットのサンドウィッチがおいしかったんです。それから東京駅で見つけ、八重洲口で見つけ、パリへ行ったときも、わざわざ寄ってみたりした。

福岡のお店は、福岡三越・地下2階の目立たない端のほうにある。持ち帰りだけかと思ったら小さなカフェもあったので、そこでランチをいただいた。といっても、ここの PAUL はレストランにはなっていないので、パンが数種類にドリンクだけ。おいしくはあったが量的に満足できなかったので、帰りにさらにバゲットのサンドを1本買って、そのあと車内ですぐに食べてしまった。

やっぱり、バゲットってうまい。これにチーズぐらいあれば、十分に楽しくワインが飲めるのです。

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2006年9月 6日

生まれて初めて、まともに診察を受けた

日本中お祝いムード一色のなか、僕は泌尿器科の病院へ検査を受けに行った。実は半月ほど前に生まれて初めて血尿が出て、そのことを知人に話したら、すぐに検査するように説得されたのだ。

いわく、「血尿ぐらい誰でも出るよと高をくくってはいけない。1回だけ出て、その後しばらく何の症状もなくて、数ヶ月してまた血尿が出たときは、腎臓か膀胱か前立腺かに何か重大な異常が起きているかもしれず、そのときではもう遅いかもしれない。血尿は何の問題もないかもしれないし、大きな病気の前兆かもしれない。検査をして、前者だったら安心できるわけだし、後者だったら早く発見できてよかったということになるから、とにかく受診したほうがいいよ」と。ということで、信頼できる医者を紹介してもらった。

採尿して、見えない血尿がないか顕微鏡でチェック。それと、造影剤を入れて腎臓から膀胱あたりのレントゲンを取られた。結果は異常なし。先生に血尿が出たときの状況を話すと、おそらく小さな尿路結石ができていて、それで血尿が出て、そのとき一緒に石は流れたのだろう、という推察だった。

結石の原因のひとつに、動物性タンパク質の摂り過ぎがあるが、食生活を振り返って、僕はそんなことはまったくない。次に水分はどうか。汗をかく季節は、多めに水を飲まないと尿が濃縮されて、その分結石もできやすい。水の摂取は人より少ないと思うので、この点は気をつけようと思う。それから、カルシウム過多だけでなく、摂取が足りないことでも結石はできるらしい。骨からその分カルシウムを出すからだろう。これも考えられるかもしれない。魚はよく食べるけど、半年以上前から牛乳や乳製品をほとんど取らなくなったことと関係あるのかもなあと、先生の話を聞きながら思った。ともあれ、食生活はさらにバランスを考えなければいけない。

先生は最後に「もう30を過ぎているんですから、きちんと健康診断をうけたほうがいいですよ」と忠告。ごもっともです。そりゃあそうなんだけど、今日こうして病院へ行ったこと自体が、僕としてはものすごい出来事なのだ。なぜかなら、まともに病院で診察してもらったのは、今日が人生で初めてなのだから。

でもそのうち、人間ドックに行ってみようと思う(前もそんなこと書いたけど)。生活習慣病が増加するなか、予防医学に個人レベルで意識して取り組むことはとても大切だし、そのために定期的な検査は欠かせないだろうから。今日あらためてそう思った。

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2006年9月 5日

検察は正義?

僕は「検察は正義」なんてことをまったく信じてない。だからライブドア問題に関しても、「検察はそういう風に話を作り上げたいだけなんでしょう」ぐらいにしか考えていない。

検察の動機の根底に「出る杭はこの俺たちが打ってやるぞ」というものがあるのなら(そして、それはあると思うのだが)、堀江さんは今やっているように徹底的に戦ったらいい。そのうえで有罪となれば、それはそれでいいと思う。

有罪か否かという観点だけでこの問題を見ていたら、何かその奥のもっとえげつない権力の怖さというものが見えてこない。「検察=善、堀江=悪」という単純化した構図では、事の本質がぼやけてしまう。それから、この一事をもって堀江さんを全否定すべきではない。

メディアの報道や人々の反応を見ていると、ついこういうことを書きたくなる。

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2006年9月 3日

あり得ない出会い

昨晩、いつもお世話になっている人と食事をしていて、仏教的な宇宙観の話になり、かなり知的刺激を受けた。何かひとつ開けたような気がする語らいで、とんでもなく脳みそが興奮して、それを静めるためにバーに飲みに行った(というのは言い訳)。

その店でびっくりすることがあった。若い純朴そうなバーテンダーと話をしていたら、出身地の話になり、ずっと聞いていくと、なんとなんと、僕が生まれ育った家からほんの数百メートルのところに彼の実家があることがわかったのだ。彼が生まれたときには僕はすでにその町を離れているので、お互い面識はなかったが、かなりディープなローカルな話題で盛り上がった。

ド田舎で人口が少ないうえに、外に出ている人はごくわずかしかいないその町の、さらに小さな同じ集落の出身者がふたり、福岡という120万人はいる都会の真ん中で、しかも小さな小さなお店で出会うなんて、まあものすごい低い確率ですよ。

店に入る前に、仏教の縁起や不可思議ということを語り合っていただけに、このあり得ない出会いで興奮が静まるどころか、さらにアドレナリンが出てしまったようだった。

久しぶりにボンベイサファイアをトニックで飲みながら、頭の中では、宇宙を漂っている自分の我をイメージしていた。酔いもまわらず、眠くもならず。目が冴えて仕方のない一晩だった。

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2006年9月 1日

樹木が伐採される街

僕の街を横断する国道の両側には、樹木がずらっと並んでいる。それが今次々と伐採されている。そして、木がなくなったあとには、レトロな街灯が設置されているのである。

うっそうとした雰囲気を一掃したい、すっきりとしておしゃれな街並みにしたい、ということなんだろう。分からないではないが、単純な発想で整備をしているような気がする。

街路灯だけをレトロな感じにしたって、まわりのお店や住宅は全然それにマッチしていない。樹木のおかげで今まで隠されていたバラバラな建物の外観が目立つだけの格好になってしまった。まったくもって美しくない。

そもそも、この時代に木をばっさばっさと切ってしまうのはどうだろうか。

市としては、街の美観につながると思ってやっているのだろうが、日に日に木々が減って、現れるのは逆に、寂しい街並みである。

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パソコンのサポートとコールセンター

朝、何か書きたいことがあったのだが、人と会ったり出かけたり、数学を教えたりテレビで米倉涼子を見たりしているうちに、それが何だったのかすっかり忘れてしまった。きっとたいしたことではなかったのだろう。

以前NECから依頼されて、『日経パソコン』のパソコンメーカー・サポートランキング調査に答えた。そのお礼として、調査結果が掲載されている8月28日号の雑誌が送られてきた。

NECは総合評価で3年連続1位。詳細な内容を見ても、だいたい僕の感じ方と同じようだ。確かにNECのサポートはいいと思う。

笑えるコメントが載っていた。デルは去年も今年もかなり評価が低いのだが、大連にあるデルのコールセンターに掛けると、「『日本語が通じにくい』という声はまだ多い」とのこと。まだ多い、ということは今に始まった問題じゃないということでしょ。おーい、それじゃコールセンターの意味がないぞ。

今読んでいる "The World is Flat" のアウトソーシングの話で、大連に日本向けのコールセンターが多数存在しているということが書かれている。大連には日本語を習った中国人がかなりいるんだそうで、うってつけの場所なんだろう。

コールセンターのアウトソーシングの話、とくに英語圏の世界的な展開は、フラット化する世界の顕著な例としてフリードマンの本でも強調されているが、それに関連してイギリスにいた頃見たテレビ番組で、びっくりしたことがある。それは、BT(British Telecom、イギリスのNTTみたいな企業)のコールセンターが実はインドにあるという話。インド人の社員にイギリスの言葉使いや発音からはじまって、地理や文化、社会といったことを教え育成している模様が映し出されていた。

インド人は真面目に働き、人件費が安く、海外通信コストも格段に安くなってきているので、イギリス国内でセンターを開設するよりはコスト削減になるし、仕事もきちんとやってもらえる。BTはすごいことやっているんだなとそのときは感心したものだが、実はそんなこと世界中で行われているのだ。

デルの話に戻ると、カタコト日本語を聞かされ、へんちくりんな対応をされることは、フラット化した証拠だと積極的に捉え、「ああ面白い経験をした」と仕方なく苦笑するしかない。まあその分デルのパソコンは安いからいいじゃないか。ダメか? ダメだろうな。

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