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2006年8月16日

靖国参拝―心の問題と公約

静かに家で過ごした終戦記念日。テレビでは、小泉首相の靖国参拝の模様が何度も映し出されている。

5年ぶりに最初の総裁選のときの「公約」が強調された。それが批判を受けると、(こちらは常のごとく)「心の問題」であるとして居直った。これが大いなる矛盾であることは明白だ。個人的な信条であるから、他人にとやかく言われる筋合いのものではないと怒るのなら、なぜ個人的な問題に収れんできない公約という大それたものにしてしまったのか。

以下は、僕の勝手な想像。彼の発言や著作や小泉研究を参照して書いているわけではないので、ご了承を。

おそらく小泉さんは、さほど靖国問題について考えた人ではなかろうと思う。純粋に「国のために殉じた人々に対してお参りしたい」という気持ちを持っているだろうし、参拝することで平和への決意を深めてもいるだろう。だから「何が悪い」ということになる。

終戦記念日の参拝を公約にしてしまったのはちょっとしたはずみで、これもあまり考え抜いたことではないと思う。2001年の総裁選は全国の党員を含めた選挙であったので、選挙に勝つための戦術という意味合いしかなかったと思う。それも、本人の靖国への姿勢とあいまって、「公約? それいいね」ぐらいのものではなかったかと、この人を見ていると思わざるを得ない。

ただでさえ政治問題である靖国問題を、公約という位置づけにしてしまったがゆえに、よりいっそう参拝するかしないかということが無用に注目を浴びることになってしまった。中曽根さんが指摘するとおり、靖国は公約にすべき問題ではないのである。問題を不必要に大きくしてしまったのは小泉首相本人だ。

その公約に、最終的に自らが縛れることになった。「まいったな。公約なんて言ってしまって、勇み足だったな」と、総理になってすぐに悩んだのではないだろうか。靖国参拝がそう簡単なイベントでないことは、この問題に対してもっとも気負っていた2001年でさえ、8月15日には参拝できなかったという事実から想像できる。時が過ぎるに従って、公約なんて本当はもうどうでもよくなっていったのではないだろうか。

しかしながら、この人は頑固でもある。どうにかしてその公約を果たそうとした。そして今回の参拝になった。公約の呪縛から、ようやく解き放たれた気持ちではないだろうか。

小泉さんが靖国参拝にこだわるのも、それを公約にしてしまって何とも思わなかったのも、その公約を最終的に反故にしなかったのも、近隣諸国からどんなに反発されようと態度を改めなかったのも、理由はものすごく単純で、結局は先に書いたような信条に帰着するのではないだろうか。それ以上の複雑な意味合いを重ね合わせて考えられる人ではない点が、この人の魅力でもあり欠点でもあると思う。

小泉さんは最後まで、「どうして分かってくれないんだ」の一点張りだった。それは独我論であり、そこに他者はいない。だからといって、僕は中国や韓国を擁護する気はない。お互いに独我論をぶつけあっているだけでは、何の進展もないのだ。

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