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2006年8月30日

無謀な引き受け

今朝、知り合いの知り合いの人からいきなり、息子に期間限定で高校の数学を教えてほしいと頼まれ、急きょ明日から教えることになった。某試験を来月半ばに受ける予定なので、期間はたったの2週間。実際は10回ぐらいしか時間が取れないだろう。

そんなのは無謀だと思いつつ、でもどうにかなるだろうといういつもの悪い癖で、簡単に引き受けてしまった。短期間で少しでも学力向上させるためには、こちらも工夫して準備をしておかないと成果があがらないと思うが、けっこういろいろやることあるのに、どうやってそんなエクストラなことのために時間をつくるのか。ああ、やっぱり無謀だな。

でも、なかなかいい感じの高校3年生だったので、精一杯努力してみるつもり。数Ⅰレベルでよさそうだし、本業ではない僕でもできるだろう。1点2点の差がけっこう意味をもつ試験のようなので、やらないよりはやったほうが本人のためなのだ。

ということで、その試験の過去問をコピーして試しに解いてみたのだが、三角関数は完全に忘れている。なんと、人に教える前に自分が勉強しなきゃいけないじゃないか。

まあ、人生には偶然はないと信じているので、今わざわざ高校数学を教えなきゃいけないのも、なにか意味があるのだろう。そういえば、数年前に買ってひととおり勉強した『高校の数学を復習する本』(中経出版)も、今日から意味をもつことになる。

こうして、ふつうならまったく交わりのない新しい人に出会うのも、また何かの縁。

人間も人生も、見えない糸が絡みに絡んで成立しているに違いない。だから、できる限りひとつひとつの事象や出会いを積極的に捉えていかなければいけないと思う。たとえそれで、短期的には不快な思いをしたり失敗したりしても、そういう姿勢を持ち続ける人には、長期的に見たときにきっと意味を与えてくれるだろう。

人生の複雑さを楽しまなければいけない。と格好いいこと言うのは、半ば安請け合いした自分への慰め?

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2006年8月28日

秋の気配

ストレスいっぱいの一日だったので、夜ウォーキングでいつもよりちょっと遠くまで歩いた。街の中心を流れる川に沿って上流へ。

せせらぎにまじって虫の音が聞こえてくる。ふわりと風が流れて涼しい。ああ、秋が静かに近づいてきているんだ。

姪っ子と「あいのり」を見る。前は「しょうもないの見てるな」と思ってたけど、いったん見始めるとはまるもので、総理とちゃきがどうなるのか気が気でなかったが、案の定、総理はひとりで日本へ帰る羽目に。

「でも、そばにいてほしいのは、総理じゃない」かあ。こんなにスパッと言われたら諦めがつくよな。なんだか急に、若い頃のような純粋な恋をしてみたくなった。

感傷にひたる秋。ああ、そんな季節の先取りをしてはいかん。

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2006年8月27日

麻生太郎は面白い

このブログのなかでもちらっ、ちらっと言及しているが、僕は麻生太郎が好きだ。今朝サンデープロジェクトで久しぶりにこの人の話をまともに聞いたけど、やっぱりいいな。あの独特の余裕。あのべらんめぇ口調。あのへんてこにゆがんだ顔。過去の失言何するものぞ。

育ちのいい悪ガキっていうのは僕の知り合いにもいるけど、不思議と許せるんだなこういうの。スマートにやるから怒れない。吉田茂がおじいちゃんで、白洲次郎に面倒見てもらったりしてるんだから、そりゃ無茶苦茶になるだろう、いい意味で。ユーモアと放言癖は、バカヤロー解散した祖父譲りで筋金入りだ。

総務大臣時代の大臣ウェブページのタイトルが「あっ、そうだろう」。事務所のオフィシャルサイトの日記のページのタイトルが「きょうたろう」。

ネット上では、麻生太郎の面白みをいろんな人が書いている。読んでていちいち笑えてしまう。家族が怪訝な顔で見るのでクスクス押し殺して笑っていると、よけいに怪しまれる。とにかく話題に事欠かない。無類の漫画好き。

仕事もできる(と思う)。安倍晋三より全然魅力的。ふたりに3時間ぐらいぶっ通しで討論させて、それを編集なしでテレビで流したらよかろうに。10%ぐらい差は縮まらないだろうか。まあ、そうしたら1時間にひとつぐらいは危ない発言が飛び出すだろうが。

ちゃんとふたりの政策案も見比べてみなければいけないし、感覚でものを言ってはいけないんだけど、どうも安倍さんは、頭の悪い人が無理して精一杯の力を出しているようなイメージで、いいとこ取りしているだけで中身がないという偏見から脱皮できなくて、この人の本を読む気にならないんだよな。日本人の気質からいくと、全力投球する姿は美しいのかもしれないけれど、僕は見てて息苦しい。それは粋ではない。

イギリス仕込みの麻生さんは、きっとそんな姿を見せないだろう。憲法をGHQに押し付けられ、人生でこの上ない屈辱を味わったときに吉田が発した絶品のジョーク「GHQは ”Go Home Quickly” だ」のような面白みを彼には期待できる。

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2006年8月26日

長生きするための7つの健康習慣

別に僕自身は問題ないのだが、肥満や糖尿病、ダイエットなどのことを少し勉強している。ある本のなかで、臨床栄養学の観点から、健康長寿にとって必要な7つの健康習慣が挙げられていた。

1.標準体重の維持

→BMI(体重(kg)÷身長(m)の2乗)で僕は20.5ぐらい。ばっちり標準。もうちょっと太ってもいい。

2.適度な運動

→できるだけ、30分以上ウォーキングしている。腕立てや腹筋などはけっこう限界まで(といっても数十回だが)。ストレッチは毎日丹念にやるが、これは運動ではないか? ヨガに最近興味があり、ストレッチの後、覚えたポーズをいくつかやっている。元来ハードなことをしないのだが、実はもうちょっと増量したくて上質のタンパク質(いわゆるプロテインですね)を摂取している。それの効果を生むためには、もうちょっと激しく体を使う必要があるらしいが面倒だ。

3.喫煙をしないこと

→全然しない。生まれてこのかた、たばこは1本も吸ったことない。イギリスで葉巻が格好いいなと思って、モンテクリストを買ってみたりしたのだが、それにカッターまで買ったのだが、喫煙したことのなかった僕は、ただただ口の中の気持ち悪さしか感じなかった。当時の彼女も「ちょっと男らしいじゃない」とこの冒険にノリノリだったが、「とても俺には無理だ」と思ってすぐにやめた。

4.飲酒は適量にすること

→ほとんど飲まないという習慣を1年半以上続けている。お酒はとっても好きだったのに、いまや飲まなくても全然平気な毎日だ。その分、たまに高いビールやワインなどを飲んで、おいしさを楽しむようにしている。

5.朝食を習慣的にとること

→昼まで寝ていない限り、きちんと朝食はとる。それに、わりと朝の摂取量は多いのでいいのではないだろうか。

6.間食は極力制限すること

→ほとんど間食はしない。おいしそうなケーキや和菓子があるときはあまり気にせず食べるが、コンビニやスーパーでお菓子を買ってきて食べるという考えが僕にはない。

7.睡眠を十分にとること

→寝るときと寝ないときの差が激しいのでいけないだろうな。それに就寝と起床の時間が規則正しくないので、これはなんとかしなければいけない。常々早寝早起きの習慣を見につけようと思うのだが、どうしても早く寝れない。

最後の睡眠を除けば条件をクリアしているので、このままいくと長生きできそうな。でも楽しく長生きしないといけない。

健康であったほうがいいけど、QOLを高めるためには、そのうえに何か積み上げていかないといけない。生の充実にはほど遠い。

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2006年8月25日

ES細胞。そして政治と宗教。

Stem Cell News Could Intensify Political Debate

ES細胞や幹細胞の話に関心がある昨今。昨日のNYTimesのトップに上の記事が掲載されていた。受精卵を壊さずにES細胞をつくることに成功したというニュース。

周知のとおり、アメリカではこの問題は純粋な科学的問題ではなく、ものすごく政治的な問題として扱われている。来たる中間選挙では、ES細胞研究を重要な争点にしている候補者もいるそうだ。

こういう報道に接するたびに、一見もっとも世俗的な国に見えるアメリカが、実は非常にキリスト教の原理的な考えに影響を受けていることに驚かされる。これは別にブッシュ政権だからということではない。たとえば、中絶をめぐる議論は長く続いている。

宗教的な思想、とくに厳格に聖典に忠実であろうという考えに基づいて、(総体としての政治姿勢というのではなく)個々の政策決定の判断をするのは、果たして誉められるものなのだろうか? そして、政治の世界から宗教が駆逐された現代日本に住む僕たちは、それを喜ぶべきなのか、それとも悲しむべきなのか?

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2006年8月24日

時には物事を疑おう

惑星数、一転8個へ 冥王星「格下げ」 IAUが修正案

先日の増やす案から一転、今度は減らすべきだという修正案。冥王星は惑星とみなすには小さすぎるので、現在の9個の惑星から冥王星だけ除外して8個にしようというもの。

揺れているな。しかし、こんなまったく反対に動いていいもの? しかも数日の間に。冥王星格下げの可能性を主張してきた竹内薫は自身のブログでこう書いている。

ようするに、商業科学主義のNASA派に対して、純粋科学主義の反NASA派が巻き返しを図った、という構図だろう。(『薫日記』の「やっぱり8個かよ!」より)

上にリンクした朝日の記事にも、格下げにはアメリカの反対がありそうだということが書かれているが、こんなところにも純粋に科学的じゃない力が働くんだなとあらためて認識させられる。捕鯨の問題にしてもそうだしなあ、そんなものかな。

権威あるところの決定を、まるで唯一の真実のように鵜呑みにしてはいけない。それはまさに「仮説」にすぎないのだ。

さて。いろいろな問題に対して、「すべては仮説だ」といって懐疑主義で臨んだら、人生は重くて辛いものになってしまうだろうから、そんな姿勢はほどほどにしておいたほうが身のためかもしれない。それでも、時々は疑って物事を観察し考え直してみる作業は大切だろう。じゃないと、盲目になり狂信になるばかりじゃないだろうか。そんなことを、上の問題から派生して考えた。あっ、つい最近も同じようなこと書いたか。

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2006年8月23日

兄の胃がん―腹腔鏡手術とその後の経過

今月2日に再入院した兄は、7日に胃の3分の2ほどを摘出する手術を受けた。すでに31日の退院が決まっている。実をいうと、今すぐに退院してもいいと主治医には言われているのである。

胃がんは早期で、王監督と同じ腹腔鏡手術で行われた。そのせいか、術後の回復が異常に早く、2日目にはすでに歩いていた。食事もふつうにしていて、もう薬も治療も一切なし。

先生に言わせると、「完璧です」。十二指腸とつないだところの漏れや狭窄もなく、がんの転移もなく、食事が詰まることもなく、便通も良い。

実は2年8ヶ月前にがんが見つかって、その後手術をすることになっていたのが、直前になってがんが見えなくなり取りやめになった経緯がある。以前書いたように、今回何度も検査することでようやくそのがん細胞を再発見したのだが、この3年近くの間まったくといっていいほどがんが進行しなかったことが、先生たちにとっては不思議でならないらしい。術後、切り取った胃を見せてもらったが、肉眼ではほとんどわからないほどだった。理由が分からないという主治医に対して、兄や僕はいくつかの療法の効果を感じているのだが、どうせ先生は信じないだろうから、あえてそのことには言及しなかった。

先生と話していて知ったのだが、胃がんに対する技術は日本(そして韓国)が最も進んでいるらしい。その裏には、胃がんになる人が割合的に多いということがある。しかし、年々胃がんは減ってきていて、逆に大腸がんが増加しているとも。食の欧米化と関係しているのだろう。国会で先般可決したがん対策基本法で、放射線治療の充実をはかることにしたのも、大腸がんが増えていることと、放射線治療が大腸がんにはわりと有効であることが関係していたと記憶している。

ともあれ、so far so good である。

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2006年8月22日

a flattened world

書店に行くたびに、平積みされているトーマス・フリードマンの『フラット化する世界』を買おうかなと思いつつ、ハードカバーの上下2冊はちょっと高いなと出し惜しみして、ずっと買わずにいた。

昨日、丸善へ行って洋書のコーナーを見ていたら、原書の"The World is Flat" のペーパーバックが置いてあった。日本語版の1冊分より値段が安かったので、迷わずこちらを買うことにした。まあ、値段は半分以下でも、読むには倍の時間がかかるだろうが……。でも、けっこう読みやすい英語だ。

僕なりに、今の世界は距離の概念が消滅しつつある、どこにいても面白いことができる、個の持つ力が発揮しやすくなってきている、といったことを実感していて、この本をパラパラめくったときに同じようなことが書かれている気がしたので、しっかりと読みたかった。

The world is being flattened!

どっぷり浸かって読書するわけにはいかないので、いつ読み終わるだろうか?、いや一体読了するのだろうか?とのっけから自分に疑問を抱いているが、何か刺激的な日々のルーティーンがないと、日常は退屈になりがちなので、いっときはこの本を開くことを毎日の楽しみにしたいと思っている。

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2006年8月21日

世の中は仮説だらけ

太陽系12惑星に? 科学の進歩で揺らぐ定義

これ数日前のニュースで、最初はテレビの報道で聞いたのだが、それから「この話どこかですでに読んだ気がするんだけどな」とずっと考えていて、昨日ようやく思い出した。2ヶ月ぐらい前に読んだ竹内薫『99・9%は仮説 思いこみで判断しないための考え方』(光文社新書)に書いてあったんだ。

そこでは、冥王星より大きな天体が見つかったりして、冥王星を惑星としてみなすには非常に怪しくなってきた、もしかしたら冥王星は格下げになって太陽系の惑星は9個から8個になるかもしれない、といった話が出てくるのだが、国際天文学連合では反対に増やす方向で検討しているという。

定義次第で減らせもするし、増やせもする。しかもその定義づけに紛糾している。まことに人為的に物事は決められているわけで、この一時からしても、それも天文学といういかにも科学的事実によって動かしがたい知識が構築されているような分野においても、いかに大胆に「仮説」によって物事が決定されているかということを思い知らされる。

囚われてはいけないのです。『三四郎』の有名な広田先生の言葉のように。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より頭の中のほうが広いでしょう。囚われちゃ駄目だ。いくら日本のためを思ったって贔屓の引倒しになるばかりだ」(趣意)

まあ多少なりとも何かに囚われていないと、思想というか意見というか、その人の根本は出来上がらないだろうけれども、その度がひどすぎて他のものを全く受けつけなくなってしまうと、それは狂信と呼ぶべきものになるのであって、そういう人間にだけはなりたくないなとつくづくと思うのである。

世の中は仮説だらけなのだ。頭を柔軟にして、いろんな未知なるものに出合って、自分をさらに高めていかなければ。

ちなみに、竹内さんの『99・9%は仮説』はとても読みやすく面白い本です。ご一読を。

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2006年8月16日

靖国参拝―心の問題と公約

静かに家で過ごした終戦記念日。テレビでは、小泉首相の靖国参拝の模様が何度も映し出されている。

5年ぶりに最初の総裁選のときの「公約」が強調された。それが批判を受けると、(こちらは常のごとく)「心の問題」であるとして居直った。これが大いなる矛盾であることは明白だ。個人的な信条であるから、他人にとやかく言われる筋合いのものではないと怒るのなら、なぜ個人的な問題に収れんできない公約という大それたものにしてしまったのか。

以下は、僕の勝手な想像。彼の発言や著作や小泉研究を参照して書いているわけではないので、ご了承を。

おそらく小泉さんは、さほど靖国問題について考えた人ではなかろうと思う。純粋に「国のために殉じた人々に対してお参りしたい」という気持ちを持っているだろうし、参拝することで平和への決意を深めてもいるだろう。だから「何が悪い」ということになる。

終戦記念日の参拝を公約にしてしまったのはちょっとしたはずみで、これもあまり考え抜いたことではないと思う。2001年の総裁選は全国の党員を含めた選挙であったので、選挙に勝つための戦術という意味合いしかなかったと思う。それも、本人の靖国への姿勢とあいまって、「公約? それいいね」ぐらいのものではなかったかと、この人を見ていると思わざるを得ない。

ただでさえ政治問題である靖国問題を、公約という位置づけにしてしまったがゆえに、よりいっそう参拝するかしないかということが無用に注目を浴びることになってしまった。中曽根さんが指摘するとおり、靖国は公約にすべき問題ではないのである。問題を不必要に大きくしてしまったのは小泉首相本人だ。

その公約に、最終的に自らが縛れることになった。「まいったな。公約なんて言ってしまって、勇み足だったな」と、総理になってすぐに悩んだのではないだろうか。靖国参拝がそう簡単なイベントでないことは、この問題に対してもっとも気負っていた2001年でさえ、8月15日には参拝できなかったという事実から想像できる。時が過ぎるに従って、公約なんて本当はもうどうでもよくなっていったのではないだろうか。

しかしながら、この人は頑固でもある。どうにかしてその公約を果たそうとした。そして今回の参拝になった。公約の呪縛から、ようやく解き放たれた気持ちではないだろうか。

小泉さんが靖国参拝にこだわるのも、それを公約にしてしまって何とも思わなかったのも、その公約を最終的に反故にしなかったのも、近隣諸国からどんなに反発されようと態度を改めなかったのも、理由はものすごく単純で、結局は先に書いたような信条に帰着するのではないだろうか。それ以上の複雑な意味合いを重ね合わせて考えられる人ではない点が、この人の魅力でもあり欠点でもあると思う。

小泉さんは最後まで、「どうして分かってくれないんだ」の一点張りだった。それは独我論であり、そこに他者はいない。だからといって、僕は中国や韓国を擁護する気はない。お互いに独我論をぶつけあっているだけでは、何の進展もないのだ。

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2006年8月 6日

Edy機能付マイレージカード、突然届く

ANAからEdy機能付きのマイレージカードが送られてきた。「~カード在中」と書かれた封筒を見て疑問。「Edy付に切り替えるって頼んだ覚えないけどな?」

カバーレターにはこう書かれていた。

お客様におかれましては、これまでANAマイレージクラブカードをご利用いただいておりましたが、是非ともこの新しい国内線搭乗サービスをご利用いただきたく、このたび誠に勝手ながら、「スキップサービス」にご利用可能なEdy機能付ANAマイレージクラブカードをお送りさせていただきました。

一瞬、わが目を疑った。本当に「誠に勝手ながら」じゃないか。なんというすごい押し付けの親切。お前ら大阪人か!(大阪の人ごめんなさい。僕の偏見です)と思わず叫びたくなった。確かにふつうに切り替えをしても、今だと発行手数料は無料だから、結果としては同じことなんだけど、こんな一流の企業が、こんな大胆なことをするなんて、驚きでした。でも、どうせだったらANAカード(クレジット)に自動的に切り替えしてくれればよかったのに。そんなことが不可能なのは百も承知の上ですが。

この切り替え、オンラインでまだ移行してない人みんなに行なっているサービスなんだろうか? それとも、なんか基準があったのだろうか? なぜこんなことを考えるかというと、自分の心を見透かされているようで、ぞっとするからだ。たとえば、今までのいろんなデータからいって「この人だったら悪く思わないで、きっと、『じゃあさっそく使ってみるか』と思って、搭乗してくれるだろう」と思われているとか。Edyが付いたことよりも、このカードによって新しい搭乗システを利用できるということが、より相手の心をくすぐるだろうから。

悲しいかな、僕はそんな人間だ。こんなのをもらうと、すぐにでも試してみたくなる。会社の思う壺なのである。ドンピシャリの人選なのである。つまりは、僕はカードをもらって、実は全然怒っていないのである。

Edyについては、田舎では使えるところがないが、博多にいる時はちらほらと見かける。すぐに思い浮かぶのはPRONTO。そして、僕にとってPRONTOといえば、おいしいプレミアムモルツのブロンズグラス。行くたびにこれを飲む。Edyにチャージして近々また行ってみるか。

などと考えている僕、向こうのビジネスにまんまとはまっている、なんとも単純な人間だ。

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2006年8月 3日

昔ながらの取引

朝早くから庭の剪定をしてもらう。毎度のことだが、これをやると庭の風景が一変して引き締まる。

何年も頼んでいる植木屋さん、実は今日まで連絡先を知らなかった。名前すらみんなはっきりと覚えていない状況。それでどうやって頼むのかというと、頃合を見計らって、向こうから連絡があったり、ふらっとやってきて、やりましょうかと言ってきたりするのだ。

今回も向こうがふらりと訪ねてきた。そのときの母の言葉、「あらっ、あなた、もうそろそろ来るだろうと思ってたのよ」(本当はものすごい方言ですが)。連絡先が分からないのだから、もし来なかったらずっと待つのだろうか? このご時勢に、なんとものんびりしている。通信手段が発達するまでの行商などは、大体こんな感じだったのだろうか? ある意味で、こんなやり取りが今見られるとは感動だ。

今日は最後に名前と連絡先を書いてもらった。でも、きっと電話などしないだろう。待っていればちゃんと来る。今度は来年の春、あんずの木を植え替えに。

親しくしている街の電器屋さんも面白い。電子レンジを買い換えようかな、とか掃除機の新しいのを買おうと思うんですけど、とか言うと、勝手に向こうが見繕って適当な製品を持ってくる。「あなたのところは、これぐらいのものでいいんじゃないかと思います」などと言って。そのうち見に来ますよ、と言ってても、1日も待ってられないらしく、おじさん自ら持ってくる。

よほど金額が計画以上だったり、見た目や性能が気に入らなかったりしたら断るけど、なかなかこちらの懐具合やねらいを理解していて、いちばん手を出しやすいものをちゃんと揃えてくる。こちらは、「じゃあそれにしますか」と早々と諦めて、玄関口で購入を決めてしまうのだ。そのたびに、われながらおかしくてたまらない。「こんな商売あるもんか」と思いつつ、人間らしいじゃないかと思って、向こうの手にまんまと乗っかっている自分。こうやって街の電器屋さんは生き残っているのだろう。

一時は大型量販店に飲み込まれてしまうのではという怖れもあったが、最近はまた街中の小さな電器店は盛り返しているという報道を何度か目にしたことがある。薄型テレビの4台に1台がこの手の店で購入されているんだとか。

うちのお店の人は、地デジ対応のプラズマテレビとIHのコンロを買ってほしいらしい。まだその辺はわが家に需要がないので心は傾かないが、きっとそのうち、ここから買うことになるんだろうな。なんと原始的な商取引。まあでもそういうのもたまにないと、この世の中は息苦しいですよ。

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2006年8月 1日

兄、再びの入院

死の淵から蘇り元気になって帰ってきた兄だったが、入院中から徹底的に検査をされ、ついに胃に良からぬ細胞が発見された。厳密にいうと、2年半前にも一度見つかっているので、再発見である。

前回は結局、その後ガンが分からなくなってしまって、手術をしないまま終わったのだが、今回は切ることになるだろう。しかしまあ、別の病気で入院していたのに、前回の恨みを晴らさんがごとく、「何が何でも見つけてやる」といわんばかりのしつこい検査でしたよ。検査を重ねることでかえって胃を悪くしたんじゃないか、と疑いたくなるぐらいだ。だって、今回もやっぱり最初のうちは見つからなかったんだから。

2年経っても早期ガンのままらしい。長い間早期のままじっとしているガンもあるが、そのまま放置して手の施しようがなくなるケースもあるし、腫瘍で固まっているガンではないのでたちが悪いということで、最終的には早期発見されたことをよしとして、切ることにした。明日、さっそく入院する。王監督は手術からわずか半月で明日退院となるが、果たして兄はいつ復帰となるだろうか?

ということで、いろいろとまた僕の計画は再検討を迫られている。今は家を支えるしかないので、真正面からそれに取り組む覚悟を新たにした。僕らしく楽観的に頑張ります。その分、人より長生きすりゃいいさ。

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