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2006年6月15日

とりあえずのエントリー

日常の忙しさのなかに身を置くと、つい知的な作業は怠慢になってしまう。いかんなと思って、最近読もうと思っていた竹内薫や柄谷行人の新書を丸善で買ってきた。『ダ・ヴィンチ・コード』が文庫本になったので、話題のものだから読もうかと思って一緒に購入した。早速読み始めたが、なかなかゆっくりと本を開くことができない。タイム・マネージメントをもっとうまくできるようになり、一日の層をもっともっと厚くするようにしなければ。だって、もっと知的に面白い人間になりたいもの。

庭の手入れもしなければと思いつつ、最近はゆっくりと眺めることすらしていなかった。長いことサツキが咲いていたが、さすがにもう終わりのようだ。気がついたら、あんずの木に実がひとつ。今年は花が咲いただけでなく、実もついた。いつかあんず酒ができるぐらい実が生ってくれるといいなあ。

毎日を充実して過ごすこと。こういうどうでもいいことをブログで書いたりするのも、その一環として必要かと。書くって、とっても充実した作業ですから。中身のあることを書かなきゃと思いつつ、まあそんなことどうでもいいじゃんという思いも。

とりあえず書いたという記録残しのためのエントリーでした。

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2006年6月14日

がん対策は予防にこそ力を注ぐべきでは?

昨日、がん対策基本法案が衆議院を通過した。近い将来、2人に1人が何らかのがんで死亡するかもしれないなか、国家的な問題としてがんに取り組むことはたいへん重要なことだと思う。

しかし、中身はどうもピントがずれているのではないかと思う。放射線治療の充実や末期患者の緩和ケアなどが強調されているが、根本的に問題にしなければならないのは、がんの予防、つまりどうしたらがんにならないかを明確にすることではないだろうか。

がんが発見されたら、手術か放射線、抗がん剤がふつうは選択されるだろう。たとえば腫瘍を切除したとする。果たしてそれはがんを治したことになるだろうか? なるはずがない。結果としてできた腫瘍を取り除いたって、それができてしまった根本の原因をなくす治療がなされていないからだ。それは、転移の疑いがあるから抗がん剤を投与するといったこととは意味合いが違う。なぜその人ががんになってしまったのかを追究して、その原因を断たなければ、結局その人は再発してしまうだけではないだろうか?

早期発見も大事、患者に治療法を選択させるのも大事、終末ケアを施してあげるのも大事。しかし、予防ということに重点を置かなければ、すべては空回りしてしまうのではないかと素人ながら危惧している。有害化学物質の曝露、食生活の変化、腸内環境の悪化、活性酸素の増大、こういった要素とがんとの関係は深いと僕は思っていて、その関係性に照らせば、がんの予防医学が採るべき道も自ずと決まっていくと思う。

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2006年6月 9日

お久しぶりです

長い間ご無沙汰していました。

実は前回エントリーのあと、実家のほうがたいへんで時間が取れなかった、というか心の余裕がなかった。世帯主である兄が意識不明になってしまったのだ。今ではある程度ふつうに戻っていて医師も首を傾げるばかりだが、今様々な検査をしていて、その結果次第では入院が長引くかもしれない。

まあ、わが家はみんないろんな困難を乗り越えてきているので、そんなことで取り乱したり落ち込んだりすることもないのだが、代わりに一家の長になっている僕は、それなりに緊張した毎日を強いられている。今までもわが家を仕切ってきていたつもりだったが、今は本当にすべてにおいて責任を持たなければならない立場であり、家族を持つということはこういう気分なんだろうなと感じている。

今日は午後、仕事で長崎へ行った。帰りに夕陽に映える大村湾を横目に眺めていたら、心がちょっとほぐれ、ブログを少し書こうかという気になった。

この世の出来事は意味があって起こっていることばかりだから、前向きにとらえて頑張るしかない。

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