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2006年5月 7日

徹底して宿題をしなかった高校時代

姪が、ゴールデンウィークの溜まった宿題に精を出している。休みの長さに比例して宿題の量が決まるのは、昔も今も変わらないようだ。

高校の頃抱いていた疑問を久しぶりに思い出した。どうして休みのときに宿題をしなければならないのだろうか? 休みというのなら、なぜ文字通り休ませてくれないのだろうか? 僕は高校時代、まったくといっていいほど宿題を提出しなかった。だから、テストの点数は良くても通知表の評価は決して誇れるものではなかった。よくそんな大胆なことができたものだと振り返っても不思議だが、その姿勢は徹底していて、職員会議で話題になったこともあったようだ。しかし、とやかく教員たちに言われた記憶もないことを考えると、きっと「あいつに何を言っても無駄だ」という雰囲気が漂っていたのだろう。

僕の考えはこうだった。学期の間の長期休暇や連休のときにたくさん宿題を課すのは、学校側の自信のなさの表れだ、縛っていないと不安なのだ。でも休みのときまでいろいろと学校に決められてはたまったもんじゃない、休みなんだから俺は勝手にやる、先生たちにやることを指示されなくても自分でちゃんと勉強しますよ。まあ今考えたら都合のいい解釈でしかないかもしれないし、実際のところそんなに勉強もしなかったのだが、当時直感的に感じていた教育のゆとりのなさへの嫌気は、あながち間違ってはいないと思う。まだゆとり教育の時代ではなかったが、教育の現状に置き換えると、休みのときに完全なゆとりを与えることをしないで、授業でへんちくりんなゆとり教育をするのは、本末転倒ではないだろうか。

卒業して10年ぐらい経った頃だろうか、当時の先生たちとゆっくりと話す機会があった。ある先生が尋ねてきた。ずっと疑問なんだけど、どうして宿題を出さなかったんだ? 自分の教科だけかと思ったら、他もそうだと聞いて、きっと何か考えがあるんだろうと思っていた。理由を教えてくれないか? 僕は先に書いたようことを、もっと高尚に演説した。教育は支配ではなく、生徒の自律をこそ目指すべきであって、長期休暇に宿題を出すのは、それに反している最大の証拠だと。これが意外と共感を呼び、それから教育論で先生たちと盛り上がった。

結論として、別の先生がポツリとこぼした。「でも、お前だからいいんであって、他の奴にもそれを認めたら教育は成り立たんぞ」。そのときは笑って確かにと頷いた。「でもそこが教師の腕の見せ所じゃないですか」と言いたかったが、それではあまりに酷過ぎるようで口にできなかった。

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