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2006年5月 6日

どこへも行かない、何もしない旅

ここ2,3日の移動中、林望の近著『「どこへも行かない」旅』(光文社)を読んだ。

日本人の旅行というと、テーマパークへ行ったり名勝・史跡をくまなく巡ったり、ご当地の評判のお店をはしごしたりと、寸暇を惜しんでふんだんに予定が盛り込まれている。リンボウ先生は、そんな旅を真っ向から否定する旅、イギリス仕込みの、何もしない、何も予定を立てない、ただゆっくりと、風景を愛でながら歴史を感じながら人間と触れ合いながら、何事もなく過ごす旅を推奨している。

そのうち読書録のブログを立ち上げるのでそちらでまた書こうと思うが(と年頭から何度も書いている気がするが、ずうっと決意倒れだ)、僕は最近そういう旅の仕方の面白みがわかってきたような気がしていたので、いちいち同意できる内容だった。

何も整備されていない、どちらかというと忘れ去られたような場所に、なんともいえない歴史や美しさを感じることが多い。ふだん車を走らせているだけでも、ひなびた神社の鳥居や田んぼのなかに立つ茅葺きの古いだけの家など、いつも眺めるスポットがいくつかある。著者が本書に紹介している写真も、そういう飾り気のないものばかりだ。

何度か真鶴の話が出てくる。一度だけ僕も東海道線に揺られて行ったことがあって、また来ようと思った土地だった。どこへ行くという当てもなく、ただ海の音を聞きたいという(当時の)彼女と一緒に、半島の先まで行ったのだ。波打ち際で黙って随分と時を過ごした。そのあと、すぐそこまで迫り来る森林のなかの遊歩道へも入っていった。そこの樹木のことが、この本の中で書かれているのだが、僕はおそらくこの真鶴への小旅行あたりから、そういう旅の良さを味わい始めたような気がする。今振り返ってみたら、当時の彼女は「どこへも行かない旅」「何もしない旅」というものの醍醐味を、すでに十分に知っていたのかもしれない。そう思うと、彼女に対してはなんとも申し訳ない時間の過ごし方を何度もしてしまったようだ。

あるがままの風景、人間の息づかいが聞こえるような町角、じっと歴史を想像したくなるような場所、そんなところを発見して写真に収めるような旅に、すぐにでも出発したい衝動に駆られている。

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