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2006年3月22日

ようやく寿量品へ

法華経を読み通そうと思い立ったのは、もう1年以上前。それからの歩みはなんとも遅々としたもので、いまだに読了していない。第15の従地湧出品を読み終えてから何ヶ月もの間、次に進まなかった。

昨日、ようやく如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第16を読んだ。短いので、読み出すとすぐに終わる。寿量品は、法華経のなかで最重要といわれる部分だ。ここで初めて、釈迦が永遠の昔から仏であり、ずっと衆生に法を説いてきたということが明かされるからだ。

でも、読んでみると、物語としてはあまり面白くない。話を一応知っていたからだろうか? 良医病子(ろういびょうし)の譬も、今まで出てきた比喩と比べると、いまいちのような。

寿量品は、日蓮系では(創価学会だけじゃないよね?)日夜、勤行の際に読経されているのだが、ひとつ前の湧出品を読んだときに、「どうせなら、こっち読経したほうがいいんじゃないの?」と思った。湧出品はそのとき初めて読んだのだが、ある程度知識のあった寿量品と比べて、僕には湧出品のほうがより重要に思えたのだ。今、寿量品を読んでみて、あらためてその思いに駆られる。

まあ、僕はただ単に直感でこんなことを言っているだけで、もっと深い教義上の意義が寿量品にはあるのだろう……。

ちなみに、寿量品の最後、

「毎自作是念(まいじさぜねん) 以何令衆生(いがりょうしゅじょう)
得入無上道(とくにゅうむじょうどう) 速成就佛身(そくじょうじゅぶっしん)」

(つねに自らこの念をなす 『何をもってか衆生をして 無上道に入り すみやかに仏身を成就することを得せしめん』)

は、代々天皇が即位する際に、時の関白家がこの文を帝に奏上したと伝えられているらしい。

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