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2006年3月26日

都庁を眺めながら

東京へ来ている。定宿の京王プラザ。いつものように、窓の向こうにはばかでかい都庁がそびえ立っている。高層階の部屋から眺めても、お隣の都庁はさらに高い。

なんでそんなにでかいのか、と思う人もいるだろうが、東京都ってよく考えたら、財政・経済的にものすごく大きな「国」なんですよね。たとえば、カリフォルニア州を国としてみたら、世界第5位の経済力を持っているといわれる。カリフォルニアと比べたら米粒ほどの東京都だが、おそらく同じように、巨大な国力を持つ国とみなせるだろう。実際、つい最近まで、韓国の国家予算より東京都の予算のほうが大きかったんだから。東京は一個の大きな国なのだ。だから、日本にとっての霞ヶ関と永田町の機能が、東京都の場合この都庁に集結していると考えたら、まあこれぐらいの建物が必要なのかもなあと、僕は納得している。

昔は都庁のビルは好きじゃなかった。いかにも日本の都市らしく、バラバラな景観の象徴のように思えたからだ。でも最近は、これはこれでいいかもなと感じるようになってきた。まるでニューヨークの摩天楼のような(行ったことないんですけどね)重厚感がないだろうか。東京の高層ビルは高いのに軽い印象の外観が多いように思うが、都庁は圧倒的に重い。グレーの色の統一感も良い。

しかし……、その向こうには、まるでゴミを積み上げたかのような、ごちゃごちゃの風景が、はるか遠くまで広がっている。

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2006年3月22日

ようやく寿量品へ

法華経を読み通そうと思い立ったのは、もう1年以上前。それからの歩みはなんとも遅々としたもので、いまだに読了していない。第15の従地湧出品を読み終えてから何ヶ月もの間、次に進まなかった。

昨日、ようやく如来寿量品(にょらいじゅりょうほん)第16を読んだ。短いので、読み出すとすぐに終わる。寿量品は、法華経のなかで最重要といわれる部分だ。ここで初めて、釈迦が永遠の昔から仏であり、ずっと衆生に法を説いてきたということが明かされるからだ。

でも、読んでみると、物語としてはあまり面白くない。話を一応知っていたからだろうか? 良医病子(ろういびょうし)の譬も、今まで出てきた比喩と比べると、いまいちのような。

寿量品は、日蓮系では(創価学会だけじゃないよね?)日夜、勤行の際に読経されているのだが、ひとつ前の湧出品を読んだときに、「どうせなら、こっち読経したほうがいいんじゃないの?」と思った。湧出品はそのとき初めて読んだのだが、ある程度知識のあった寿量品と比べて、僕には湧出品のほうがより重要に思えたのだ。今、寿量品を読んでみて、あらためてその思いに駆られる。

まあ、僕はただ単に直感でこんなことを言っているだけで、もっと深い教義上の意義が寿量品にはあるのだろう……。

ちなみに、寿量品の最後、

「毎自作是念(まいじさぜねん) 以何令衆生(いがりょうしゅじょう)
得入無上道(とくにゅうむじょうどう) 速成就佛身(そくじょうじゅぶっしん)」

(つねに自らこの念をなす 『何をもってか衆生をして 無上道に入り すみやかに仏身を成就することを得せしめん』)

は、代々天皇が即位する際に、時の関白家がこの文を帝に奏上したと伝えられているらしい。

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2006年3月20日

草むしりに精を出す

ひと仕事終えたあと、庭の草むしりをする。

久しぶりに土の臭いをかいだ。大胆に奥のほうの木の下にもぐり込んでも、まだ春先なのでヘビの心配をする必要がない。雑草の葉と見紛うぐらい小さなカエルを、何匹か目撃する。そばで草が引っこ抜かれても、どれもあまり動きが敏捷でないのは、冬眠明けだからだろうか。うん?もしかしてまだ冬眠中で、無理やり地上に引っ張り出された? だとしたら、ごめんなさい。

koke 庭石がどれもいやまして苔むしている。きれいだなと思っていくつか接写したが、写真で見てみるとあまりその感じが出ない。よくわからない写真ですが、ご覧ください。

草むしりもやり出すと精が出るもので、3時間ぐらい続けた。まだまだ汗が迸るような季節ではないが、それでもだんだんと日差しが強くなって、体がじわりと汗ばむ。

中村元がこう言っていた。

日なたぼっこをしていると、太陽からの光線を私一人で受けているわけです。これは驚くべき事実だと思います。そうすると、この小さな一個の人間が偉大な宇宙をそこに具現している。こう考えていきますと、われわれが生きているということは、この地球の上だけの事実ではなくて、さらに宇宙的規模の事実でさえもある。人間に思考し、行動する自由が許されているとするならば、その道を通じてどんな小さなことでも、偉大な宇宙とつながっているということが言えるでありましょう。(『温かなこころ―東洋の理想』(春秋社、pp. 67-8))

こういう感受性、物事のとらえ方を、今の僕は大袈裟だとは思わない。額の汗を軽く拭いながら、このくだりを思い出し、「その通りだ」と素直に頷いた。

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2006年3月16日

無財の七施

ここ数日また寒さが戻り、今日などは風の音がなんとも哀切だった。

中村元の簡単に読める一般向けの本を、パラパラとめくった。曰く、仏教の説くところの中心は、「温かなこころ」である。いわゆる「慈悲」という言葉で、伝統的に言い表されているものだ。

我執を離れ人へ施すことに、具体的な「温かな心」の実践があるという。その施しだが、財がなくてもできる施しとして、雑宝蔵経(ぞうほうぞうきょう)の「無財の七施(しちせ)」という話を紹介している。

1. 眼施(げんせ) ―常に好ましい眼差しで見る。

2. 和顔施(わげんせ) ―にこやかな和らいだ顔を示す。

3. 言辞施(ごんじせ) ―優しい言葉をかける。

4. 身施(しんせ) ―身をもって尊敬の態度を示す。

5. 心施(しんせ) ―よい心で施す。

6. 床座施(しょうざせ) ―他人のために座席を設けて座らせる(例えば、電車でお年寄りに席をゆずるなど)。

7. 房舎施(ぼうしゃせ) ―客人を家に自由に泊まらせる(誰も彼もというのは現代では難しいだろうと彼も言っている。大事な人に対してという解釈でいいだろう)。

どうですか皆さん、できてますか? そんなもん関係ないと一蹴する人もいるでしょうが。僕は、最近わりとできているかな。

常にそうできたら、そりゃあ素晴らしいだろうが、そこは凡夫なので、なかなか難しい。ただ、他人への姿勢として、これをひとつの理想とすることもできるだろう。まあ、荒れまくっている人間は、それはそれでものすごく面白いですけどね。

中村元は、「慈悲」の概念は、近しい人への思いというのを超えて、時間的にも空間的にも広がりがあるという(もちろん、その延長上に国際平和もある)。果たしてどこまで、自分はそれを広げることができるだろうか。最近、心を豊かにしなければという思いは募るばかりだが、それは仏教的には、慈悲の思いをどこまで広げられるかということになるのだろうと思う。

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2006年3月14日

トルストイの映像

友人から紹介された本が絶版で買えなかったので、久しぶりに地元の図書館へ行った。しかしいつもの癖で、違う本を探したり開いたりしてしまう。そうして、館内をぐるーと巡っているうちに、DVDのコーナーでNHKの「映像の世紀」を目にし、「これ全部見てみるか」と思った。

テレビで放映されていたときはほとんど見なかったが、加古隆のテーマ曲「パリは燃えているか」の憂いと悲しみとノスタルジーに満ちた音楽が、とても印象的だったのを覚えている。

ということで、第1集「20世紀の幕開け」を見た。心に残るシーンは、トルストイがモスクワの駅で、群集に歓呼のなか送られるところ。小説家がいわば大衆の精神的指導者だった証左なわけで、現代人にとってはちょっと想像を超えている。トルストイが稀有な作家だったいうことだろうか?

それもあるだろうが、それ以上に、活字が多大な影響力を持ち得ていたのだろう。なにせ、トルストイの晩年になって、映像技術はようやく緒に就いたばかりだった。人々は、「読む」しかなかった。それに、映像が普及していないのだから、その人を見るには直接会うしかなかった。映像で映し出されているモスクワ市民の心はきっと、「この千載一遇のチャンスを逃してなるものか」という切実なるものだったろう。今の僕らが、誰か著名人をひと目見たいという気分とは、おそらく天地雲泥の差があると思う。

ナレーションによると、群集のなかに「もう百年生きてください」と叫んだ者がいたという。人々が目覚めはじめ、かつ映像がなかったこの時代、トルストイは知識人として、もしかしたらもっとも幸福な時代を生きたのかもしれない。

<追記>
DVDの上記の部分を見返してみると、映像がなかったこの時代、「活字文化を担った作家が大衆のヒーローだった」とナレーションは言っているが、トルストイの場合、ヒーローなどという言葉では片付けられない、なにかもっと深い精神的な結びつきを、大衆は感じていたのではないかと思う。

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2006年3月12日

激しくて面白い、山本一太「気分はいつも直滑降」

久しぶりに会って食事をした知り合いの女性が、新幹線で自民党の山本一太氏に遭遇した話をしていた。彼女曰く、「通路を挟んだ隣で、ものすごい勢いでキーボードを叩きはじめて、とってもできるビジネスマンかなと思って見たら、山本一太だったのよ」。彼女、根っからのお嬢さんなのでそう感じたのかもしれないが、僕の感覚からいくと、きっとふつうにタイプしていただけだろうと思う。

それはともかく、その話を受けて、「きっと、一太さんもメルマガかブログか、それらしきものを発信しているのだろう」と思って本人のウェブサイトを見たら、案の定書いてます、それこそ量的には「ものすごい勢い」で。「気分はいつも直滑降」というタイトルが、なんとも彼らしく、真っ直ぐで、スピード感があって、軽やかで、さわやかで、楽しそうではないか。

これ、すでに1749回も続いているので、とてもバックナンバーを全部は読めないが、人よりは政治が好きなつもりの僕にとっては、時間があったら全部読みたいと思うほど、内容が面白い。一応、国政報告なんだが、たとえば世耕弘成氏のブログ「世耕日記」が、淡々とまるで業務日報のように国会での一日の動きが書かれているだけなのに対し、「直滑降」は激しく主観がばら撒かれている(世耕さんのは、世耕さんらしくきれいにまとめてあるので、それはそれでいいのです)。

最近のエントリーを読む限り、地元・群馬の自民党県連内では、来年改選を迎える参院選挙において、彼を公認しないよう画策する動きがあるらしい。まあ、福田・中曽根・小渕という大物家系が並ぶ群馬県自民党ですから、いろんなことがあるでしょう。どうも、安倍さんを次期総裁候補に推しているのが気に食わないらしい。

しかし、自分でメディアをもった人間は強いし怖い。一太氏は、「直滑降」の(そして、他のダイレクトの発信ツールの)メディアとしての威力を十分に理解している。No.1727「動き始めた謀略」で、こう書いている。

ひとつハッキリしているのは、地元の意地悪な一部長老(「ベテランの叡智」もいるが)が「得意の口コミ」で回りの関係者に囁く山本一太の「悪口」より、このHPで発信するメッセージのほうが、ずっと多くの地元有権者に届いているということだ。たとえば、彼らが地元のマスコミに都合のいい情報を流したり、「意図的な記事」を書かせたとする。(*そんないい加減な地元メディアがあるとは思えないが…。)その瞬間に「直滑降」で反論出来るというわけだ。だいたい、自分の言動や活動について「直滑降」よりタイムリーなメディアなんてあるはずがない。(笑)しかも、情報量(記事の頻度)が圧倒的に違う。(中略)
だだし、「公認外し」の経過は、詳細に(場合によっては実名で)「直滑降」レポートに書く。上州の有権者に何が起こっているのかを、正確に伝えるために。不透明な「情治政治」に慣れきった「アンチ・山本グループ」は、今まで経験もしなかったプレッシャーに直面するだろう。それは、「情報公開」と「透明性」がもたらす「草の根」からの反感と反発だ。

本人がこう自覚している限り、きっとこの小さなメディアは大きな影響力を発揮することだろう。頑張ってください。

ともあれ、「気分はいつも直滑降」は激しくて面白い。みんながみんな、こんな書き方をする必要はないし、書きもしないだろうが、この人はきっと、書いているうちに血がたぎってきて、ついこういう書き方をしてしまうのではないかと思う。なんだか官僚のようなこじんまりとスマートな国会議員が増えているなか、こういう熱い政治家がいるのはいいではないか。

一太さん、紅茶がお好きなようだ。それから、あんまりおいしいものは食べてないようだ。これから、定期的に読んでいきたい。

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2006年3月10日

あんずの花が咲いた

僕は、いわゆる「ごとおび」が好きではない。今日10日も支払いが多く、朝からストレスいっぱいだった。外は4月下旬並みの陽気に恵まれているというのに、まったくウキウキせずに車をあっちこっちへ走らせていた。

あんずの花1 途中、一度家へ戻ってくると、庭にあんずの花が咲いているのを見つけた。2年前に、家族のあることを記念して、苗木を植えたのだった。

一昨年も去年も花を咲かせなかった。今年初めて、きれいに花開いた。植えただけで、なんの手入れもしていなかったので申し訳なかったけど、ちゃんと生き抜いていたようだ。自然はたくましい。

あんずの花2 久方ぶりの陽光が、薄いピンク色の花びらに反射して、いやましてまぶしかった。足を止めて、しばし眺める。可憐な花びらだった。何年かしたら、大きな木へと育つのだろうか?

花を見つめていたら、顔がほころんだ。あくせくしていたのが、なんだかどうでもよくなった。

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2006年3月 8日

自分の「思想」―淘汰されて残るもの

人の思想なんて実にいい加減なものだと、自分を振り返ってみて思う。

たとえば、昔はNews23をありがたく見ていたものだが、今は筑紫さんの意見を聞いているとイライラするので見たくない。

同じように、昔は岩波の「世界」という総合雑誌を読んでいるだけで自分が知的な感じがしたが、今はその論調に同調できないので、読もうと思わない。

僕自身、昔はユートピアな平和論を熱く語っていたものだが、今はその非現実性が僕をとことん冷めさせている。

別に、考え方が変わることを恥ずかしがることはない。清水幾太郎のように急速に右転回した思想家だっているぐらいだから。それに、生涯を理路整然と体系づけられる思想家なんて、おそらく皆無だろうと思う。ましていわんや、一般人をやである。

それにしても、僕はちょっと極端だなという気もする。まあ、いいか。右に左に、前に後ろに、いろいろブレながら方向が決まっていくのも悪くはない。その過程で捨てるものは捨てればいい。復活するものだってあるかもしれない。捨てたはずが捨て切れていなかったと驚くことだってあるかもしれない。

そうやって、淘汰された先に残るものはなんだろうか? 本当は、そういうものこそ「思想」と呼ぶべきものなのだろう。そういう意味では今のところ、幸か不幸か、日蓮を拭い去ることはできないというか、面白いと思ってしまうので、ここがやっぱり根本なんだろうと思う。 

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2006年3月 5日

食に関する面白い偏見

所用で佐世保へ行った。

先日テレビで、長崎ではひな祭りのときに、桃のカステラを食べたり贈ったりする習慣がある、という話が出ていた。「へぇ、どんなもんだろう? 食べてみたいな」と思っていたら、昨日行った先でちょうど出してくれた。

ふつうの長方形のカステラと違って、上から見るとまさに桃の形。カステラの上に砂糖菓子がのっている感じで、砂糖の部分は桃に見えるようにデザインしてある(写真を撮っておけばよかった……)。味はだから、ふつうのカステラよりかなり甘ったるい感じ。でも、おいしかったです。

夜はお鮨をいただく。佐世保に来たときに食べる鮨は、いつもおいしい。久しぶりに、たらふく鮨を頬張った。そう、頬張ったと言いたいぐらい、ねたは大振りだった。満足、満足。

僕の思い過ごしかもしれないが、北部九州つまり大分・福岡・佐賀・長崎あたりの人たちは、「自分たちはうまいものを食っている」という自負心が強い。逆にいうと、「他のところの人たちはふだんあまりうまいものを食っていない」という大いなる誤解というか偏見がある(僕のまわりだけかもしれないけど)。だから、家で食事をふるまうときですら、客に対して平気で、「うまいでしょ?」と聞く。実に面白い人たちだ。

かくいう僕もそのひとり。東京から友人が来たりすると、「どうせうまいの食べてないだろうな」という先入観が働いて、「うまいでしょ?」と、つい口走ってしまう。言ったあとに、言った自分がおかしくて、心のなかで笑ってしまう。だって、良い物はぜーんぶ、東京に集まっているんだから。

ちなみに僕らの間では、同じ九州でも、宮崎の人はおいしいものを食べていない、という怖ろしい偏見がある。

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2006年3月 3日

永田寿康氏の姿を見て

永田寿康議員の一件を見ていて思うのは、人間って責められると途端に弱くなってしまうということだ。辻元清美議員の数年前の姿もそうだが、責めたてることを仕事のようにしているこの人たちには、とっても良い経験だろうと思う。相手の立場を想像できるようになるから。他者性の感覚だ。

責める側には、とことんまで相手を追い込まずに、精神的な逃げ道を残しておくような優しさが必要だと思う。そういう意味で、責められた経験をもてば、きっとそれが次に責めるときに活きてくるだろう。永田氏は、懲罰がどういう結果になるにせよ、これからどんな立場になるにせよ、また人生を一から頑張ればいいと思う。

そして、他の議員もひいては国民も、いつ自分が責めるほうから責められるほうに立場が逆転するかわからないということを肝に銘じて、武士の情けというか、厳しくも優しい心を持ち合わせていてほしい。

最近のメディアを見ていると、その心がとても欠けているように感じる。どん底まで相手を落とす。それを面白がっているふうにすら思える。最近の何か事が起きたときの当事者への質問は、まるで検事のようですらある。政治の世界もまた然り。

永田氏の場合、問題の取り上げ方も謝罪の仕方も、稚拙であることは確かだ。自業自得ではある。しかし、だからといって、彼の疲弊した姿を笑っているばかりではいけない。僕らはしばしば、彼と同じぐらいいい加減な気持ちで、他人を非難しているからだ。

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