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2006年2月23日

党首討論―もうちょっと余裕を

いわゆるメール問題はおいといて、一般的な話をしたい。

昨日の党首討論のハイライトをニュースで見たが、いつ見ても、この討論はへんちくりんな感じがする。イギリス議会のやり方を真似するのはいいが、あの演台といい、椅子といい、両者の距離といい、立って話しているときの姿といい、それらひとつひとつの全体との調和といい、すべてが何かおかしくないだろうか? 似て非なるのも甚だしくて、まるで子どもの学芸会を見せられている気分になる。

中身については、他の委員会とは違う位置づけでせっかく討論をするのだから、言質を取ろうとか、政策推進をはかろうとかはあまりせず、大局的なことであれ、細かい政策の話であれ、本質について議論ができればいいのではないだろうか。そのうえで、党首討論は一種の政治ショーという位置づけでいいと思う。国民がわくわくしながら見守るような、そして国民に政治的関心を持たせるような場であってほしい。

日本とイギリスは、議会政治の伝統も言語体系も国民気質も違うので、一概に比較して述べてはいけないだろうが、討論する際に、日本の政治家はもうちょっと余裕をもって、上質なユーモアのひとつぐらい自然に出てくるようになったほうがいいのではないだろうか。もちろんこれは、政治家だけに限った話ではなくて、日本人の気質の問題だろうが。ちょっとした言葉に感情的に反応したり、すぐに「総理、真面目に答えてください」と怒ってみたり、かといって、深い話をするでもなく。つまらない、あまりにもつまらない。

イギリスの、たとえば毎週水曜に30分行われる、Prime Minister's Question Time(首相への質問時間)は、そのままコメディとして売り出したらいいと思うぐらい、やたらと面白い。議会サイトで映像が見られるし、新聞のGuardianが音声をポッドキャスティングで配信している(議会サイトで議事録が出ているので、音声と合わせると理解しやすい)。真面目な討論をしてはいる。しかし、それだけで押し通すと息が詰まりそうなところを、ちょっと力を抜いてずらすことで、みんなを生き返らせる。こういうところが大人の国だなと思う。小泉首相はその点、このイギリス的な感覚を多少持ち合わせているような気がする(麻生外相にも同じような余裕を感じる)。

日本人らしく、日本語らしく討論すればいいだろう。しかし、笑いのひとつもなく、真面目な話をただ真面目にしか語れないようでは、粋ではないと思う。

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