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2006年2月14日

生と死、どちらを考えても苦しい

朝早く、兄が電話をしてきた。何事かと思ったら、なんと僕の生存を確認するためだった。僕がいるところと同じ地域で、しかも同じ階で、男性が火事で焼死したらしい。ニュースを見て、もしかしてと思ったというのだ。実際は、どこか近くのマンションでの出来事だった。

電話を切ったあと、ベッドでまだ朦朧としながら、「俺はまだ生きているんだな」と思った。心臓が動いている限り人間は死なないが、逆にいうと、このドクドクという動きが止まっただけで死ぬんだなと思うと、ものすごく怖くなったことがある。

現代人の生活環境は、死に至る危険に満ちている。車や飛行機だけではない。ふだん口にする食べ物すら、しばしば毒である。日常的にいつ何が起きてもおかしくないのが現代だ。だから、「俺は次の瞬間死ぬかもしれない」とよく思う。

死ぬのはまだ怖い。しかし、老いるのもまた嫌になることがある。美しく老いたとしても、それに満足して生きていけるだろうか? 人間は確実に身体が効かなくなってくる。それは憂鬱ではないかと時々思う。そうまでして人間は生きなければならないだろうか? もちろん僕だって、生きなければならないと思うし、生きる価値はあると言うだろう。しかし、ふとした瞬間、そうだろうかと疑問に思うときがある。生き続けることが苦痛になったらどうしようと考えることがある。

生きること、死ぬこと、どちらを考えても苦しい。しかし、それでいいではないか、それでこそ人生じゃないかと思う。「生も歓喜、死も歓喜」というレベルに達するには、よほどの精神修行が必要で、人間そんなに簡単にそこまで到達しない。到達してたまるか、という思いもある。しかも、そういう境地に達しても、やはり時々は怖い気持ち、嫌な気持ちが湧き起こってくるだろうと思う。それが人間らしくていいのではないだろうか。

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