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2006年2月12日

日蓮の書き物を音読する

最近、日蓮の御書全集を手に取って、時々音読している。「一生成仏抄」(「生死一大事血脈抄」の間違い。2月14日訂正)という書き物を全部暗記したという知人の話に感化された。

日蓮といえば、一般的に有名なのは「立正安国論」や「開目抄」などだが、これらは音読するにはちょっと長いので、他の短めのものをいくつか読んでいる。日蓮の文章はとてもリズムが良い。だから音読したくなる。

なんだかんだいって僕のなかには日蓮の精神が宿っているわけで、これはいろんなものを消し去ったあとも残るものだと思う。なので、御書を読むと、「おぉ」と盛り上がってくるものがある。日蓮は良くも悪くも激しい。

日蓮には偏見を持っている人も多いだろうし、実際に偏ぱな部分もある。しかし、短い消息文(手紙)などは人間的に味わい深いものが多いし、教義の面を省いても納得できるところは多々ある。たとえば「一生成仏抄」のなかに次のようなくだりがある。

「又衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり」

これなどは、「自分の心ひとつで、自分を取り巻く環境は変えることができる」という姿勢を生みだすだろう。

柄谷行人のマルクスではないが、日蓮の「可能性を読む」という作業は大事なことだと個人的に思っている(もちろん他の哲学者にもあてはまることだ)。特定の宗教というのを超えて、日蓮の思想には学ぶべき点はあると思うし、人にも語っていきたいと思う。まあ、こう考えるので、よけいに自分がどこに立っているのかわからなくもなるのだが……。

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» 日蓮、丸山眞男、フッサール、ハイデガー [鉄血人文主義!]
私はとっくの昔に日蓮の仏法を信じられなくなった退転者だが、だからといって日蓮の思 [続きを読む]

受信: 2006年3月 6日 02:00

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