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2006年1月27日

小学校で英語を教える必要はない

公立小、英語を正式科目に…自治体判断で08年度から

小学校でも、英語を一科目として教えられるようになる、ということだが、本当に小学生に英語を教えることが重要だろうか? 藤原正彦氏がよく批判しているように、英語よりもまず徹底して教えるべきものは、国語(と算数)である。

思いっきり自慢だが、僕のTOEICのスコアは975(04年9月)。その僕が言うから信じてほしいが、ネイティブじゃない人間にとって、英語力はイコール国語力だ。このことを僕はみんなに言い続けている。

英語は入口はやさしいが、深みに入っていくと、ものすごくルーズで規則性がなく、一転して難しい言語になると僕は感じている。だから、英語と深く付き合おうとすると、その深いところの意味を理解できる力が必要になってくる。その力が日本語の能力なのだ。

そもそも、日本語を母国語とする人が、日本語以上に英語ができるはずがない。日本語ですら言えない、書けないものが、なんで英語で表現できるというのか。国語力が乏しい人は、英語力も、どうでもいいおしゃべりレベル以上に伸びはしないのだ。

さらにいうと、英語はたどたどしくて構わない。日本語訛りでも大いに結構。英語は単なる手段であって、大切なのは、伝える中身を持っているかどうかだ。外国人と交じって圧倒されるのは、彼らが、自分たちのアイデンティティを基盤にして、強い「意見」や「思想」を持っていることだ。逆に、語るべきものを持ち合わせていない日本人がいかに多いか、強烈に思い知らされる。日本人はもっと、中身を持たなければいけない。

個人的に英語を習うというのは、個々の判断だからいいとしても、システムとして小学校が英語に時間を割くなんて、国の教育方針として間違っていると思う。英語よりも、まずは国語そして地域文化や歴史などをしっかりと教えていくべきだ。逆説的だが、英語に重点を置くと、低レベルの英語しか使えない、そして英語で伝える内容を持たない貧困な日本人を生み出すことになりかねない。

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