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2006年1月26日

はかなさと罪とhonesty―堀江逮捕で感じたこと

ここ3日間とても忙しく、合間にちらちらニュースを見て過ごしていた。

堀江逮捕の第一報を耳にして以来、どうも力が入らない。一連の報道を見ながら、僕はなんともいえない虚脱感に襲われていた。

どうしてだろう? 堀江さんは随所に九州人っぽいところが出ていて、同じ九州人として嫌いになれない人ではあるが、別に、堀江ファンというわけではない。前の記事でも書いているとおり、なかなか面白いことをしようとしているなあと共感できるところはあったが、好きになれない部分も多かった。

仕事をしながら無意識のうちに、じゃあこの虚しさはなんだろう?と僕は考えていた。最終的に思い至ったのは、ごく単純なことだった。「人生ははかない」ということだ。

六本木ヒルズから小菅の拘置所。社長から容疑者。誰もが知っている名前なのに、番号で呼ばれる生活。ITの長者が、パソコンも携帯も持てない。高級料理ざんまいから受刑者がつくる飯へ。高層で仕事をしていたのが、外も見えない塀のなか。何百人という社員を従える立場から、愚かなる絶対者・刑務官に逆らえない日々。物心ついて以来、僕はこれほどのコントラストを見せつけられた記憶がない。

はかなさを感じるのは、このドラマのせいだけではない。他人事ではないと思ったからだ。ここまでの落差はないにせよ、法律でがんじがらめの社会、誰だっていつ同じような目に合うかわからない。人生とは危ういものなのだ。ネガティブにいうと、現代社会で平穏な暮らしができるのは、その構成員みんなが罪人になり刑を受けるリスクを負っているからだということを、僕たちは忘れてはならない。

騒ぎ立てるマスメディアや、ここぞとばかりに責める民主党には、白々しさを感じる。これが虚脱感を強めた。ヨハネの福音書に、有名な「罪なき者まず石を擲て」の話がある。姦淫の罪を犯した女性を前に、キリストは「あなたがたのうちで罪のない者が、最初に彼女に石を投げなさい」と言う。結局、誰ひとり石を投げることができず、その場を去っていった。今偉そうに批判している人たちは、自分の胸に手を当ててみるがいい。そして、胸を張って潔癖だといえる人間のみが、堂々と堀江氏を責めればいい。

堀江氏の将来は、徹底的に戦うにせよ、罪を素直に認めるにせよ、厳しいものであることは確かだ。まわりにいた多くの人々は、手のひらを返すように、彼のもとを去っていくだろう。しかし、それでもなお、すべてを度外視して、愛し守ってくれる人がいたとしたら、それこそが彼の本当の財産だ。ひとりでもいい、そういう本当に信頼できる人間がいれば、そこから人生はいくらでも再出発できる。

車を走らせながら、Billy Joelの"Honesty"を何度も聴いた。

Honesty is such a lonely word
Every one is so untrue
Honesty is hardly ever heard
And mostly what I need from you

今後彼を助けてくれるのは、家族と真の友人の、掛け値なしのhonestyだろう。そして、彼が新たに歩んでいくときに、もっとも必要とされるのもまた、honestyではないだろうか。

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コメント

最後の下り凄く良い文章ですね!

人間ってどんなに紆余曲折しても、最後に自分を見つめさせてくれるのは、自分の中にある正直さなのかもしれませんね。

投稿: kiyo1977jp | 2006年1月31日 22:26

kiyo1977jpさん、コメントありがとうございます。

》人間ってどんなに紆余曲折しても、
》最後に自分を見つめさせてくれるのは、
》自分の中にある正直さなのかもしれませんね。

本当にそうですね。でも同時に、正直さ、誠実さに立ち返ることは、とても難しいことでもあると思います。人間ってとっても厄介な生き物だと、自分を振り返っても感じますね。

投稿: マンデリン | 2006年1月31日 23:50

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