2009年12月 7日

新しくブログ始めました

ブログを新たに始めました。
引っ越しではないので、こちらの記事は持っていきません。
そのうち、こちらは閉じます。

新しいURLは……ヒミツ。
うーん、別に秘密にしないと被害を被るわけじゃないし、どちらかというと今度はより匿名性をなくしたいと思っていますが、あえてここに載せる必要もないかなと考えています。
どうしても教えてという奇特な方は、それぞれご存知のアドレス宛へメールください。

<追記 12/19>
秘密って書いたら、ある人に怒られてしまいました(といって、コメントくれるわけでもないくせに……)。
だからといって、あらためてここに書くのもなんなので、このページのどこかからお越しくださいませ、とだけ書いておきます。

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2009年10月26日

太った。経済学。MT。

いろんなことをしているが、地に足がついていないことを反省する日々。

いろんなものにゆず胡椒をつけたくなる秋から冬への日々。

この1ヶ月で2キロ近く太った。自分のベストだと思っていた体重から、最大4キロ以上落ちていたので、なんとか戻したかったのだが、なかなか戻らなかった。それがここへきて、急な増加。ひとえに精神的なものが大きいと思う。気の持ちようを変えてからストレスがかなり減った。

ジェフリー・サックス著『地球全体を幸福にする経済学』(早川書房)を読む。「みんな協力したら、人口問題も気候変動も水問題も貧困も、絶対に解決できる」というメッセージを、データや過去の実績を通して訴えている。

私たち人間は、見えない力に動かされる歴史のこまにすぎないとはいえ、同時に、歴史を動かすこともできる存在だ。世界が共有の目標のもとに結集するか、それとも戦争と相互不信に陥るかを決めるのは、私たち自身の意志である。成功へのチャンスは、私たち一人ひとりが、社会のそれぞれの立場で、どれだけ変化を求める積極的な力になれるかにかかっている。とどのつまり、ジョン・ケネディがいったように、平和とは魔法の杖の一振りで得られるものではなく、「多くの行為の積み重ね」であり、一つのプロセスなのだ。(中略)エネルギーと勇気をもって、断固として「ノー」に抵抗しよう。最後の「イエス」を勝ち取る日まで。(p. 421)

いいですね、こういうの。冷めたことしか言わない学者が多いなかで、こんな熱いこと言えるのは、主義の違いを超えて愛すべきスカラーだと思う。

ブッシュ政権への痛烈な批判も随所に盛り込まれている。「テロとの戦い」と言いながら、長期的にそれを助長するような政策のミスばかりしてきた、と。

そういえば、ブクログは何も更新していないなあ。そのうち、ブログを全部ひとまとめにして、自分のポータルを作って管理・発信しようと思っているが、来月出る予定のMovable Type 5 が使い勝手が良さそうなので、それまで待つつもり。昔、MT3でブログを作ったこともあったが、当時と比べたら、かなり機能はレベルアップして、使いやすそうなので。

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2009年10月 3日

区切りをつけて新たな出発

ここ数年間、実家の諸々のことを引き受け、防波堤となって対処してきたが、9月できっぱりと区切りをつけることにした。あれこれと悩み苦しんだが、前向きな決断だと信じている。肩の荷が下りて、ここ数日ずっと背中に鈍い疲れを感じる。

これからまた新しいことに挑戦しようと思うし、中途半端なかたちになっている仕事も広げていきたいと思う。この週末は、何人か仕事の関係者と会いながら模索を続けている。

それにしても、いつも土曜日の朝は気持ちがいい。今日のように晴れて涼しいときは、なおさら。ポカポカした縁側でコーヒーを飲みながら、日経マネーやForeign Affairsを読む。こんなに気持ちが和らいでいるのは、いつ以来だろうか。欠伸してばかり。

ずっと気になっていたFacebookに登録してみた。誰か昔の知り合いがいるかなと思って探してみたら、写真があって特定できる人が何人かいるのはいるが、今さらつながってみるのもどうかな、という程度の人たちばかり。そもそも、Facebookって何か特別に便利なのかなあ? まあ使う前から考えても仕方ないのだが。

それから、もっと分からないのは、twitter。そんなにいちいち、つぶやきたいものかなあ。でもなあ、ブログも、始めるまでは「そんなに自分のことを書きたいもんかなあ」と首を傾げていたことだし。なんでも試してみる価値はあるんでしょうね。流行っているということは、そこに何かしらの魅力があるのだろうから。

では、これから心機一転がんばりまする。うーん、旅をしたい、恋をしたい。

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2009年9月15日

FP2級を受けた

13日に、FP技能士2級の学科と実技試験(個人資産業務)を受けた。即日発表された解答で自己採点してみると、どちらも合格点は超えていたので安心した。

データによると、いつも2級は2~3割しか合格していないので、3級と比べると少しは難しい。それは、3級のときのように試験を早々に終えて出ていく受験者がほとんどいなかったことからもわかる。僕は今回、過去問をどれか1回分通しでやるという練習を全くせずに臨んだので、時間配分が分からず焦った。午前も午後もひととおり見直しまで終えたのは、終了5秒前(5分前じゃなくて)だった!

AFPの通信教育も受講しているが、近いうちにAFPと2級の資格を取れるので、福岡・佐賀・長崎あたりで、誰か仕事くれないかなあ。本気で。でも、独立系のFPって、日本ではまだまだニーズがないですね。

将来的に何かに活かせればと思って勉強しているFPだが、お金っていうのは誰にでも関係してくる話だし、2級レベルまでいくと、かなり幅広く勉強することになるので、関係業種の人だけでなく、誰でもやって損はしない勉強だと思う。実際、「家計や家族の人生設計のことを考えて」勉強する主婦も多いのだそうだ。

大学時代に今ぐらいの知識があればなあ。もうちょっと堅実で真っ当な道を歩んでいるだろう。もう人生の半分を過ぎようとしているというのに、しかも活発な動きはもう4半世紀ぐらいしかできないというのに、「俺って何してんだろう」と落ち込んだりもしている。そんな話はまた今度。

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2009年9月 1日

今回の総選挙を振り返って

総選挙の開票速報以上に面白いテレビ番組はないと常々思うが、今回はいやましてワクワクした。

前から言うように、自民党がいいとか民主党がいいとかではなく、硬直した政策決定のシステムを変革するには、政権交代しかないのは明らかだ。それが初めて現実となり、昨晩は「これでやっと戦後が終わる」という感慨にふけっていた。

2001年の段階で、すでに自民党はこうなる運命にあったと思う。それが、小泉さんが総理総裁になったことで延びてしまっただけのことだし、また多くの自民党議員は今まで公明党・創価学会によってなんとか救われてきただけで、実質的に党は何年も前から滅びていた。

地元選出の自民党議員(今回もかろうじて復活当選した)を見ても思う、「もうちょっとマシな人材はいないのか」と。有権者の意識が変わってきていることを、自民党の候補者が実感できているとはとても思えないほど、勘違いだらけだった。

僕は麻生さんが好きだ。もうちょっと党の環境や経済の環境が良いときになっていたらよかったとかわいそうにも思うが、それでも演説を聞いていると、「ああ勘違いしているなあ」と思った。 「日の丸」のことにこだわっていたのは理解不能だし、責任とか安心とか財源とか言えた立場じゃないのに、どうしてあんなに恥ずかしげもなく訴えられたのか。どうしてあんなに民主党を批判することに終始したのだろう。それらすべてやればやるほど、有権者の心が冷め逃げていくということに、どうして麻生さんや党本部は気づかなかったのだろうか。不思議でならない。

ちなみに、公明党の「永田町が小学校だったら」という何本かのネットCMは、最悪の内容だった(今の公明党が口汚くなってきていることの背景がなんなのか、思うところがあるが、それは書かない)。他にもいろいろと、感覚が麻痺しているよ、と嘆くことしきり。

民主党のマニフェストが素晴らしいものではないにしても、後出しした自民党のマニフェストの中身があんなにスカスカじゃあ、どうしようもないでしょう。どっちに真面目さが表れているかというと、断然民主党だった。それに、国家というものが見えてこないという点では、別に自民も公明も民主も同じで、子どもへの手当なんていうものが大きく取り上げられるのは、国政選挙としてはどうなんだろうと首を傾げたくなる。

真面目さといえば、これは塩爺が言っていて、なるほどそうだと思ったのだが、自民党の候補者は「上から目線」の人が多かった。今回の選挙を勘違いしている証拠。それに対して、民主は若くて情熱が感じられる新人が多かった。

すぐ隣なので注目していた長崎2区の福田衣里子さんは、発する言葉ひとつひとつに重みがあり、強さがあり、響きがあった。毎回、聞いていて涙が出た。巨大な国家権力と戦ってきた経験と政治家としての能力をイコールでは結べないかもしれないが、きれい事を言わせてもらえるなら、そもそも現代の民主政治というものは、彼女みたいなか弱い人を救っていくために存在しているはずではなかったのか。

福田さんに対して久間さんは、諫早干拓とか長崎新幹線とかそんなことばっかり。そういうことで有権者の心をつなぎ止められると思っていたとすると、やっぱり勘違いしている(でも、久間さん嫌いじゃないですよ)。

あとはうーんと、あっ、僕の周りはいつも選挙で忙しい人が多いが、今回は不気味なほど最後の数日静かだった。「当選圏内に入ったから」ということだったが、僕は全然それが信じられず、「どんなに頑張っても無理だから、きっと諦めたんだよ」と思っていた。結果的に敗れたわけだが、最後の2日間周りが気の抜けたような感じだったのは、票の読み違いだったのか、僕が思ったとおりの意図だったのか、その活動の中心にいるわけじゃないのでわからない。でも読み違えていたとしたら、それはもう組織で選挙を動かせる時代ではなくなった証拠だと思う。街頭に集まってきた人、集会に足を運んだ人だけの感触では絶対にわからない。そういうところに参加しない人たちのほうが圧倒的に多く、投票率が上がれば上がるほど、顔の見えない人たちの判断に委ねられるようになってくる。

今回は、自民党や自公政権にうんざりしていた人は本当に多かった。それが、あまり接しないごく一般の有権者のなかにも「静かに」「強く」共有されていたと思う。実際に自民の落選した大物が、「選挙運動した感覚では勝ったと思ってたけどね」ということを口にしていたが、接戦を抜けたと思ったのにふたを開けたら違っていた、というケースも結構あったかもしれない。でも、民主主義はそれでいいのだと思う。票が読める選挙、という今までのスタイルが、どちらかというと間違いなのではないだろうか。

徒然に書いていますが、あと、静岡の城内実さん、4年間ずっと報道があるたびに注目していたが、勝っちゃうなんて偉いなあ。郵政の問題はさておき、こういう強い信念の持ち主は見ていて気持ちいい。それから、いわゆる小沢ガールズと呼ばれている刺客の女性たち、小沢さんって選び方が絶妙だなと感心した。誰ひとり見ても、片山さつきや佐藤ゆかりのような刺々しさや嫌みな感じがなかったし(報道見る限りですけどね)、みんな笑顔が美しかった(←そんなことか、と言わないで)。しゃべり方といい、振る舞いがよく訓練されているなあ、と感じた。

最後に、民主党は子ども手当ての代わりに、配偶者控除と扶養控除をなくすと言っているが、そんなことしたら課税所得に多大な影響を及ぼすので、これは大問題になるのではないかと思う。だってみんな、年末調整や確定申告のときの節税対策で、所得控除といえばまず考えるのはこのふたつでしょう? 対象者が3人ぐらいいればすぐに100万円超の違いが出てくるのだから、あるのとないのとでは大違いだ。女性を家に閉じ込めるな、という民主党の言い分もわかるけど、だったら配偶者控除だけなくして、扶養控除は対象が子どもだけではないのだから、子ども手当てに該当しない被扶養者がいれば扶養控除を維持する、もしくは配偶者控除も、今の配偶者特別控除で行なわれているように、配偶者本人の所得に比例して控除額を減額する、といった修正をしてほしいものだと願う。

昨日の感想をいろいろ書きました。とりあえず以上。

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2009年8月10日

政局LIVEアナリティクスの記事

昔、僕が持論として展開していて、研究テーマだった内容が、この人の記事にほぼ丸ごと書いてある。

政局LIVEアナリティクス 第29回「民主党政権だと安全保障が進展するというパラドックス」

内容は一度だけ小さな研究会で発表しただけで、レフリー付き論文として出したわけでもなく、今は学者でもないので、どこの誰が同じような論を展開しようが、クレジット云々とも言えないのだが、ちょっとばかり寂しい気分。その研究会で僕の発表を聞いた人なだけに。

この人の言うとおり、自民党が弱いときのほうが、実は安保政策は進展するのです。理由は上のリンクを読むべし。

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2009年8月 9日

父にかかわる事ごと

1日半掛けて、庭の剪定をしてもらった。亡き父にちなんだ大好きな松もすっきりとなり、見た目が若くなった。

剪定後の松

先月末、大家族みんな集まって父の23回忌を行なった。昨日は、母・姉と墓参りに。何をするために生まれてきたのか、いまだにはっきりしない人生を送っていることに対し、申し訳ない気持ちになる。帰りに、よく父に連れて行ってもらった庶民的な中華のお店に寄って、たらふく食った。

釣りたての小アジをたくさんもらったので「南蛮漬けにしよう」と言ったら、案の定自分で作る羽目になった。料理はやり出すと楽しいもの。アジはゆっくりと揚げる。玉ねぎ、にんじん、ピーマンがあったので、それらを細切りにして、タレにからませた。ちょっと酢を入れすぎたようだが、まあ夏だから良しとする。ひと晩、冷蔵庫で漬け置きしてから頂いた。頭から尻尾まで丸ごと食べる。うまい。

ここのところ、時間があると、『ファウスト』を読み返している。

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2009年8月 6日

友人とゆっくりと

7月をなんとか乗り越えて、ひと息ついた。身の回りがたいへんなときは、なかなか書く気も起こりませんね。

昨日、韓国の大学で教鞭をとっている友人が帰国していたので、福岡で会った。

行きつけの昔ながらの喫茶店で昼食。東京にいる頃、僕らは好んでそういう店に行っていたし、お隣の国ではまともなコーヒーさえほとんど飲めないのを知っていたので、彼が喜ぶのは目に見えていた。「おお、ナポリタンがある」といって、懐かしそうに食す。

隣の席に、ソフトバンクのユニホームシャツを着た女性が座った。黒地にピンク色でラインや文字が入ったレディース用で、ホークスファンのうちの姪っ子も欲しがっているアイテムだ。ソフトバンクの携帯ショップの人かと思ったら、今日は観戦に行くので着ているとのこと。その時点でまだお昼だというのに、その気合の入りようにちょっとのけ反ってしまう。でも、そのシャツがとってもお似合いの、いい感じの女の子でした。

梅雨明けしてとても暑かったので迷ったが、彼と一緒に太宰府まで電車に揺られて行った。国立博物館でやっている奈良・興福寺の阿修羅展を見るため。意外と人は多くなかったので、すんなりと入られて、ゆっくりと観賞できた。

阿修羅の顔、とくに正面を向いているあの顔は、とても人間的だし、現代にも通じる顔をしているから不思議だ。しかも、確かにイケメンである。その辺にいそうなリアルな美しさを阿修羅の顔はかもし出している。天平の時代、一体どういうイメージであの顔が制作されていったのだろうか。

友人は、黒木瞳が音声ガイダンスをしている、というだけで、500円出して機器を借りていた。「暗闇で聴く黒木瞳の声はいい」と、アホな妄想をしている。途中、何度か無理やりその声を聴かされた。

帰りがけ、太宰府天満宮の参道で茶屋に入って、抹茶と梅が枝餅を頂く。ここへ来て、この餅を食べずには帰られない。家族へのお土産として、いくつか包んでもらう。

半日、高尚なことから猥雑なことまで楽しく話ができて、すっかり気が楽になった。

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2009年5月13日

器は大事

テレビを見ていていちばん吐き気を催すのは、報道特に事件において、語気を荒くして当事者を非難するコメンテーターである。
なかでも、検察や警察出身者のコメンテーター(最近多くないか?)なんてひどいもので、尊大な態度で自らは無謬とでも言わんばかりの言動にはうんざりだ(顔つきからして嫌だ)。
この検察王国においては、自分がいつ同じ目に合うかわからないのだから、そのことを常に念頭に置いて、表面的で受けのいい怒りの言葉ではなく、業ともいうべき人間性の深みに根ざした味のある言葉を発してほしいものだと思う。

草なぎ剛や小室哲哉は、また一から頑張ればいいさ。
時間かかるだろうけど、誠実に生きていれば、きっと理解し応援してくれる人たちが集まってくる。
ホリエモンも2年ぐらいは発信する気力がなかったらしいが、このところ毎日のように吠えている。
彼の罪の是非は別にして、検察批判は大いにやってほしい。
政治家はなんだかんだいって、常に国民の目に晒されてそれなりにチェックされているからいいけど、検察なんてほとんどの人は何にも知らないからねえ。
小沢一郎の一件で、ざまあ見ろ、と思っている青年将校のような検事もいるのだろうが、これでもし今回も政権交代ができないようだったら、僕は東京地検を恨むよ。
自民党がいいとか民主党がいいとかではなく、日本の政治がダメなのは、政権が変わらないから、という一点に尽きる。
大局観を持てないような正義なんて、ただの独我論で迷惑なだけだ。

さて、ちょっと前に古い食器を整理していたら、いい感じの盃と徳利が出てきた。

徳利と盃

徳利と盃

一目で気に入る。
父のお客さんだった伊万里焼の某窯元のもので、おそらく30年ぐらい前に作られたもの。
山水の絵柄がなぜか全然古くさくなくって、じっと見ていると実にいいのです。
盃がきれいに円くなく、しかもひとつひとつ微妙に形が異なっているのも趣がある。
下から見ると中の文様が透けるぐらいに薄く、そのせいか、ひとつは少し欠けてしまっていたが、4つは使えそうだった。

時を同じくして、おいしい地酒を一升瓶で2本頂いたので、このセットを使って飲んでみたのだが、そのとき僕はひとつ、はっきりとわかったことがある。
それは、器は大事だということ。
そりゃあ元々おいしい酒かもしれないけど、入れ物が違えば、気分も変わる。
気分が変われば、味も酔い方も違ってくる。
器によって、見た目のおいしさも違うし、贅沢感も出る。
なんだかんだと楽しくなるのだ。

これだと何杯でも飲めちゃいます。
というわけで、渋く日本酒を口にしている今日この頃。

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2009年5月10日

そろそろ、また書こうかな

最近何かと難しい状況に追い込まれていて、全然ブログを書きたいという気分になれなかった。
でも、この間高校時代からの友人と久しぶりに会い、彼の抱えている苦しみに寄り添ったあたりから、気の持ち方が少しずつ変化してきて、僕の心にも晴れ間が見え始めた。

人知れず心の奥底に悲しみを抱いている人間を僕は愛す。
どんなに立派な人間だと世間で言われていても、悲しみから来る人間性の深みを感じない人を、僕は好きになれないし、薄っぺらいと感じてしまう。
快活な人も、それが悲しみに裏打ちされていなければ、一緒にいて退屈だ。
最近僕は思う、悲しみを湛えて精一杯生活している人たちとともに生きていきたい、そしてそのために僕自身は強くあろうと。

畑はひと冬越えて、それらしくなってきた。
この間土を掘り起こしたときに、さらに少しだけ広げて、今はナス、トマト、ゴーヤ、キュウリ、パプリカの苗を植えている。
秋に種蒔きしたサヤエンドウがここへきて一気に伸びてきて、毎日のようにちぎっている。なのに次の日見たら、またどこかしらで生っている。
今、家庭菜園がブームらしいが、確かにこれは楽しい。

家から車で20分ぐらいの所にいいカフェがあるのを、昨日他の人のブログで知った。
モンネ・ルギ・ムックというカフェで、ここから山を越えた波佐見町という所にある。

波佐見は、有田の隣ということもあって焼き物の一大拠点だが、古い製陶所の建物をカフェとして使っているということで興味をそそられ、今日さっそく行ってみた。
結論としては、良かったです。いや、かなり気に入りました。
ありがとう、見ず知らずのブロガー様!という感じ。

まず古い建物だっていうのがいいし、中の雰囲気も良かった。
エスプレッソベースのコーヒーはボリュームがあり、好みの苦みでよかったし、チーズケーキもおいしかった。
それに、周辺も昔の建物が残っている。落ち着くなあ。

外観はこんなです。

モンネ・ルギ・ムック

座っていたイスから外のほうを撮った写真。

モンネ・ルギ・ムック

うん?、ケーキの写真は? コーヒーは?
ありません。
どうにも、それをする勇気はありませぬ。

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2009年3月 8日

『資本主義は嫌いですか』を読む

ずっと読もうと思っていた竹森俊平著『資本主義は嫌いですか―それでもマネーは世界を動かす』(日本経済新聞出版社、2008)を一気に読む。

サブプライム問題を中心に、バブルと流動性に関する分析?、というか分析の対立軸の紹介。読み通すのにある程度の知識はいるが、一般向けに分かりやすく書かれている。サブプライム危機の本質とは何なのか探りたい人には、いろんな観点からの議論がまとめられているのでお薦めです。

でもなんというか、どっちつかずで結論はない。あるとしたら、マネーが抱えるジレンマのあぶり出しだろうか。バブルはいつかバーストするという危険を孕んでいるが、バブルが起こらないと経済の成長はない、とか。読みながら、貨幣経済のシステムから逃れられない現代世界に生きる僕たちは、リスクと不確実性を重く背負いながら、うまく生きていくしかないのだ、という思いを強くした。そんなため息とともにタイトルを見返してみると、「仕方ないんだよねぇ」という著者のインプリケーションを感じる。

さて、もうとっくの昔の話のようだが、FP技能士3級の結果発表があり合格していた。2級からが本物なので、今年中に受けたいと思う。5月に受けられるかどうかは微妙だけど。

それから、ある古典の翻訳を一緒にしないか、というオファーがあり、引き受けることにした。いつ完成するやら、果たして完成するのやらわからないけど、知的作業はいくらやっても楽しいので参加することに。

田んぼに菜の花がちらほら咲き始めている。春が近づいてきた。

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2009年2月28日

畑づくりのその後

昨年秋に始めた自家菜園は、1か月ほど前から、伸びてきたネギやシュンギクを適当に切って、時々口にしている。

これは今日取ってきて食べたもの。チンゲンサイ、ネギ、ミズナ、シュンギク。土がまだまだ痩せているので、たいした出来栄えではなく、とくに風味がどれも足りない気がするが、それでも自分で育てたものは買ってきたものとは違う愛着がある。野菜さんたちに感謝して頂きました。

Veg

かなり集中して作業している昨今。そんななか先日、高校生の姪が「これ、おみやげ~」といって持ってきたのが、MaxFactorの小さなパンフふたつ。綾瀬はるかがとってもかわいかったから、きっと気に入るだろうと思って、デパートの化粧品売り場から持ってきたらしい。

こんな写真です(法的な問題があるかもしれないので小さめに)。

Haruka

この効果は抜群で、やる気が落ちてきたときにふと眺めると、また元気になりまする。

姪が「前髪が私とかぶってる」と言うので、即座に「それは似て非なるものだ」と却下したら、「げー、ひどい!」と叫んで去って行った。

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2009年2月21日

赤ん坊の頃

寒い寒いと震えているうちに、気づくともう梅の季節になった。梅には、凛としていて厳かで落ち着いた美しさがある。僕は昔から梅が好きだった。

新しくネットショップを立ち上げるべく、地元の企業の方たちと打ち合わせや検討を重ねている。僕自身が「ここだったら間違いない」と思う生産者や製造業者を厳選して交渉しているのだが、皆さん乗り気になってくれて順調に進んでいる。こだわりをもって仕事をしている人々と話をするのはとても楽しい。お茶と焼き物とお米で、まずは契約を取り付けた。

そんなこんなで、バタバタしています。作業部屋を作るべく、倉庫代わりにしていた部屋を片付けていたら、僕の赤ちゃんのときの写真が出てきた。まあ田舎だこと。

My_photo1

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2009年2月 8日

ふろふき大根、かんぽの宿&シルクロード

大根は食っても食っても、誰かしらまた持ってくる。本当に脚ぐらい太い大根ができるもので、そんなものもらってしまった日には途方に暮れる。

一向に在庫が減る気配がないので、ちまちました食べ方はやめようと、ふろふき大根を作ることにした。っていうか、無性にそれが食べたかったのです。あんまり主張すると自分が作る羽目になるのだが、今日は兄が張り切って作ってくれたので助かった。昆布だしをベースに、米を混ぜて大根を炊いていた。みそはもう少し甘辛くてもいい感じ。面取りをちゃんとしてあったら、さらに点数高かったが。でも、熱々の大根は冬にはもってこいの一品で、おいしゅうございました。

政治家の話って、なんであんなにバカバカしいのか。かんぽの宿なんて、どんなに安くったって、維持して莫大な赤字が増えるより早く売れればそれでいいじゃないの。不透明だっていうならもう1回入札やってもいいだろうけど、どのみちそんなに高くはならないと思うけどなあ。そもそも、「建設費2400億円」を持ちだしてきて落札価格が安すぎるなんて批判するのは、とってもナンセンスだと思う。建設費と比較してどうするの?

でも、あんまりネガティブな命は出さないでおこう。これ以上書くと、定額給付金のことで長々と文句を書いてしまいそうだ。一言だけ。「国民目線で」とか「庶民の気持ちがわかる」なんてよく言っている某党の人たち、そんなこと言うのは傲慢だよ。ちゃんちゃらわかっちゃいねえっつうの。

宮本輝『ひとたびはポプラに臥す1』(講談社、1997)を読む。たしか以前に3巻ぐらいまで読んだのかなあ。図書館で本棚を眺めてたら、また読みたくなった。

僕の友人はこの本を評価しないし、その理由もわかるんだけど、あえて「今(といっても10年以上前)のシルクロード」という視点に立って、変にロマンティシズムに陥ることなく、感じたものを書こうという姿勢で書いてあるのだと思う。

この本を読んで、シルクロードを旅したいと思うようになる人はいないだろう。でも、現実のシルクロードはそんなものなのだ。行く先々で、社会主義国家の役人の堕落ぶりに怒りを感じ、人々の生気のなさに虚しさを覚え、食べ物がまずくて下痢に悩ませられる。そんななかで、鳩摩羅什も永遠もあったもんじゃない、というのが正直な気持ちだろう。でも、折々に手紙の形式で綴られている文章のなかに、その猥雑な現実を離れて、彼の感じたものの上澄みの部分が表現されているのではないだろうか。手紙って、宮本文学ではいつも大事なのだ。

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2009年2月 6日

フクヤマ続きですが

昨年後半から、週一ぐらいの割合で近くの温泉へ行く。今まで、温泉街にいながら温泉には滅多に入らないというもったないことをしていたが、最近はここの温泉のなかでも泉質の評価がとても高い旅館の風呂に、兄と一緒に行くようになった。芋の子を洗うような多い時は避けたいので、旅館から情報をもらって、泊まり客が少ない時にふらりと何も持たずに出掛ける。

だだっ広い風呂にのんびりと浸かるのは気持ちいい。いろんな嫌なことを忘れて、一気に気持ちを切り替えることができる不思議な空間だ。それに、肌がツルツルになる。そりゃあ女性には人気あるわな。

『歴史の終わり』の続きで、フランシス・フクヤマの『アメリカの終わり』(講談社、2006)を読んだ。ネオコンとは伝統的にどういう主張をしてきたのか、イラク戦争でネオコンたちは何を誤ったのか、これからのアメリカの外交政策はどうあるべきかを考察している。

フクヤマがまずもって強調したかったのは、イラク戦争によってネオコン思想は完全に歪曲されてしまい、もはや本来の意味に戻すのが不可能であるということだ。なぜネオコンと目されていた彼がブッシュの戦争方針に反対したのかも、彼が指摘するネオコンの伝統に沿って考えれば、自ずと理解できる。言ってみれば、ブッシュ政権によってネオコン思想はズタズタにされてしまったのだ。

彼が今後の米外交の方向性として主張する「現実主義的ウィルソン主義」は、リアリストとリベラリストとネオコンとの寄せ集めのような考えだが、ブッシュ政権のような異常に偏った政策の取り方(予防戦争、敵か味方かの二元論、国際法や国際機関の軽蔑や都合のいい解釈、など)を除けば、概ねアメリカの政策は今までも、そしてこれからも、彼の主張から大きく外れるものではないだろうと思う。重要な点は、国連というひとつの世界規模の機構だけにすべてを任せるのは無理で、多数の国際機関やそれに準ずる組織が、問題を分担して管理解決していく、それらの連帯のなかで世界政治を運営していくという「重層的な多国間主義」を掲げていることだろう。これは、アメリカの理想と国益がもっとも合致して力を発揮したのが第二次世界大戦直後、様々な国際機関の創設や国際協調をアメリカ主導で成し遂げた時である、という著者の確信からきている。この見解については、かなり意見が分かれるだろうと思うが……。

ネオコンについて簡潔に歴史と思想的背景が書かれているので、そういう点ではお薦めできる本だ。また、アメリカの「善意による覇権」という考えとイラク戦争との関係についても把握することができる。

昨日から、サミュエル・ハンチントンの The Clash of Civilizations and the Remaking of World Order を読み返している。字がちっちゃくて、なかなか進まないけど、こういうパラダイムシフトになったような本は、読んでいて引き込まれる。この本も批判が多いが、パラダイムやフレームワークを提供する目的で書かれた論考の細かい部分を批判するのはナンセンスだといつも思う。だって、周辺を捨てるリスクを取って、核となる部分を主張しているのだから。

源氏物語も岩波文庫の1巻目がようやく終了して、「須磨」に入ったところ。「そうだった、源氏はイケない関係(朧月夜との)がばれてしまって、いっとき都から逃げるんだった」と思いだした。寝る前に読みながら、いつもすぐに沈没している。

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